◆第十話『期待してたわけじゃないけど』
「たしかに一気に制圧するとは言ってたけど……こんなにあっさりいっちゃうなんて」
私は肩で息をしながら呆然としていた。端的に言えば城内の制圧は終わった。たぶん三十分ぐらいしかかかっていない。前庭よりも多くのゾンビを相手にしたことや、大きくて複雑な城内の構造を考えれば相当早かったんじゃないかと思う。
「でも、これはどうなの」
石造りの幅広廊下。その両脇に浄化された人たちが苦痛に顔を歪めながら座り込んでいた。彼らが怪我をしたのはオデンさんのせいだ。戦車みたいな突進で遭遇したゾンビを次から次へと弾き飛ばす光景はまさに凄惨の一言。というかはっきり言ってやりすぎ。浄化できたのはオデンさんのおかげでもあるけど、なんとも複雑な心境だ。
「突進にかけて団長の右に出る者はいませんから」
「そんな分野で競争あるのが驚きなんだけど」
レックスがドヤ顔で説明する〝突進業界〟の事情は置いておいて。ひとまず重傷者がいなさそうで安心した。みんな打撲程度で収まっている。もしかするとオデンさんも手加減したのかもしれないけど、それは本人にしかわからないことだ。
と、噂をすればなんとやら。突進界の王者ことオデンさんが奥の角から姿を現した。なにやらやりきったとばかりに汗を拭っている。そんなオデンさんを恨めしそうに浄化された人たちが見ていたけど、厳格な顔に返り討ち。みんな揃って目をそらしていた。ああ、無情なり。
「ミズハ殿、協力感謝する」
私のところに来るなり、オデンさんが頭を下げてきた。こんな歳の離れた人に頭を下げられることなんてなかったのですごくむず痒い。
「あ、頭を上げてください。私、なんにもしてないっていうか、ただ後ろについていってペチペチしてただけですし」
「私がどれだけ暴れようともゾンビを浄化できなければ意味がない。ミズハ殿がいてこそできた王城制圧だ」
暴れた自覚はあったんだ、と言いそうになった口を閉じつつ。これ以上、謙遜するようなことを言うと面倒な奴だと思われそうだ。
「じゃ、じゃあ素直に受け取っておきますね」
「助かる。なにか困ったことがあれば私が力になろう」
「はい、そのときはお願いしますっ」
いまはゾンビだらけで情報収集どころじゃないけど、落ちついたら元の世界に帰る方法について訊いてみよう。オデンさん、いかにも見聞が広いみたいな顔だし。きっとなにか知っているに違いない。
「ところでミズハ殿。一つお願いがあるのだが」
オデンさんが神妙な面持ちで話を切り出してきた。私は「はい?」と小首を傾げる。
「その、名前の呼び方だ」
「えーっと、オデンさん?」
「できればオ・デ!・ンと呼んで頂けるかな。これが正しい発音なのでね」
せっかく煮物の「おでん」から外したのに戻された。これじゃオデンさんの名前を呼ぶたびにおでんを思い出してしまう。ただでさえお腹が空いているのに。なんて罠だ。なんてことを思っていると、ぐぅ、とお腹が鳴ってしまった。
「うぅ……」
恥ずかしい。しかもこんなに人が沢山いるところでなんて最悪だ。顔も熱いし、きっと真っ赤に染まっているに違いない。そうして私がお腹を押さえて羞恥に悶えていると、「はっはっは!」とオデンさんが大きな声で笑い出した。
「たくさん動きましたからな。腹が減るのも仕方ない。……レックス」
「はい。ミズハ様、ご安心ください。食糧ならちゃんとありますよ」
「え、ほんとに?」
すぐさま反応して卑しい子みたいだけど仕方ない。悪いのは空腹だ。
「こんなこともあろうかと我がグランツ城は常に大量の食糧を保管してあるのです。非常食なので味は保障しかねますが」
「こんなときだし、味なんて贅沢言ってられないよ」
「では今すぐに向かいましょう! 食糧庫は城の地下です!」
なんて張り切りながらレックスと食糧庫に来たのだけど――。
「く、腐ってますね……」
「やっぱり……」
広々とした薄暗い部屋の中、山積みになった木箱。その内の幾つかを取り出してみたところ、どれも紫色に染まっていた。もとは乾パンのようなものだったみたいだけど、ほとんど原型がない。
なんとなくわかっていた。大体、外の自然だけでなく建物にも傷みが見られたのだ。非常食だけ都合よく無事なんてことはまずありえない。仮に缶詰だったりパックに詰められていたとしても変わらなかったんじゃないかと思う。
「申し訳ありません、ミズハ様」
「ま、仕方ないよ。っていうかレックスが悪いわけじゃないしね」
「ですが、このままではミズハ様のお腹が鳴り続けてしまいます」
「お願いだから私だけの問題にしないで」
女子の間ではよく食べるほうだけど、大食いと呼ばれるほどじゃない。こんな非常時なら我慢の一つぐらいできる。できる……なんて言い聞かせていたら無理だと言わんばかりにお腹が鳴った。私、頑張る。空腹と戦う。
とはいえ、いくら我慢したところでその先に食糧がなければ意味がない。どうしたものかなーと思考を巡らせていると、レックスの難しい顔が目についた。なにやら腐った豆のようなものを手にしている。
「レックス、どうしたの?」
「……ミズハ様、お願いがあります」
突然、レックスがぐいと顔を寄せてきたので私は思わず仰け反ってしまった。男子と話すのに抵抗はないけど、男性経験が豊富なわけじゃない。というか正直に言うとゼロだ。好意があるなしにこんなの動揺せずにはいられなかった。
「え、ちょっとなに?」
「どうか私に……」
出逢ってから間もないけど、こんなにも真剣な顔を見るのは初めてだ。私は緊張からごくりと生唾を飲み込んだ。それからちょうど一拍後。ついにレックスの口が開かれる。
「ミズハ様の唾液を下さい」
「殴っていい?」