プロローグ
パラパラパラ――
小さな部屋の中に、紙をめくる音だけが小さく響いていた。
この部屋に居るのは、俺ともう一人、金髪ツインテールの美少女、アレシアだけだ。アレシアは、俺のことを真剣な表情でじっと見つめながらページをめくり続けている。
パラパラパラ――
ただただ無言で、ページをめくり続ける。
紙のこすれる音以外、何も聞こえない。
パラパラ、パラ――
と、不意に紙をめくる音が止まった。
一瞬の静寂が場を支配する。
「.....ねえ、何か喋ってよ」
まるでそこに人間が居るかのように、あたかも人間に話しかけるように、アレシアが本に向かって声をかけた。いや、本ではない。見た目は本だが、その本の正体は――
「いや、特に話すことなんてないし」
――その本の正体は、紛れもなく俺自身なのだから。
こんな状況になったのには、海よりも高く山よりも深いわけがあるのだ――あれ?それって矛盾してない?
.......まあいい。
それは、少し前のことだ。
「動くな!」
突然発せられた大声に、思わず身がすくむ。
声の主を確かめようとあたりを見回すと、それらしき人物がナイフを持って暴れていた。
「動くな、動くな!!」
ここは銀行の中。
いたって普通の高校生である俺は、ほとんど家事をしない親に代わって銀行から金を引き出しに来たところだった。
そこに乱入してきた、ナイフを持った銀行強盗と思われる男。
「おら、そこに跪け!後ろ向けや!」
銀行の中に居たほかの人も、みんな男の指示にしたがって壁の近くに跪く。取り乱して叫んだりしている人は幸いにも一人も居ない。
全員が集まったのを確認すると、男は懐から出した結束バンドで手足を縛っていく。もちろん、俺も縛られた一人だ。
「くっそ!」
何にいらだっているのか、机の上においてある電話や機械などを床に叩きつけ、机にどっかりと腰を下ろした。
(やべえやべえやべえやべえやべえやべえ)
俺の頭の中は混乱の極みだった。
それからのことは、よくは覚えていない。
確か、警察が来て、身代金を要求して、30分以内に金がこなければ人質を殺すとか男が叫んで――
とにかく、刑事ドラマかなにかで見るような展開だったことだけは覚えていた。
そして、どうやら30分がたってしまったようで。
「誰から殺してやろうか?ああ!?」
急に切れはじめた男に、誰も声を発することすらできない。
「....なら、俺が決めてやるよ」
男は値踏みするように人質たちの前をゆっくり歩き回ると、不意に俺の目の前で止まった。
「おい、お前」
「は、はぃ」
かすれた声で返事をするのが精一杯だ。
「お前が――」
なんだ、俺が最初に殺されるのだろうか。
なんで俺が。
それぐらいの感想しかない。
だが、以外にも俺は最初に殺される役ではなかったようだ。
「お前が、人質を殺せ」
そういって、男は懐からもう一本ナイフを取り出すと、俺に差し出した。
屑みたいな笑みをにたぁ、と浮かべながら。
「殺す奴はお前が決めろ、いいな」
結束バンドを外され、殺す奴を決めろとせかされる。背中にナイフを突きつけられているので、逆らうことができなかった。
男がせかしてくるが、俺はできるだけゆっくりと歩を進める。無駄な時間稼ぎだというのは分かっていたが、これしか俺にできることはなかった。
が、そのあがきもすぐに限界を迎えた。
「おら、早く決めろよッ」
男が俺の脚に蹴りを入れる。
「ぐっ――」
完全に入ったようで、足に力が入らない。
思わず地面に倒れこんでしまう。だが、短気な男はそれすらも許さなかった。
「こんぐらいでへばってんじゃねえよ、ガキが!」
もう一度、今度は腹に蹴りを入れられる。
肺の中の空気が一気に吐き出され、呼吸がうまくできなくなる。
しかし、そんなことを考慮してくれる男ではない。
すぐに無理やり立たされ、再び人質選びが始まる。今度こそは時間を稼ぐことすらできないだろう。
誰を選んでもいい。
だが、誰を選んだところで、俺が、自分が選んだ人間を殺すのには変わりがない。
自分が選び、自分が殺す。
まるで、ただの殺人犯のようなことだ。だが、それをしなければ自分が殺される。
仕方がなく、俺が選んだのはみすぼらしい服装のおじいさんだった。頬は痩せこけ、服は汚れている。
選んだ理由なんて、特になかった。ただ、一番近くに居たから。それだけ。
自分が受ける傷を、最小限に抑えるための言い訳なのかもしれない。もし本当に考えた上で選び、殺してしまったら――それは自分が殺したことになるのではと、そう考えたからなのかもしれない。
「早くしろ」
男の声に、仕方なく俺はナイフを振り上げ――おじいさんの胸を貫いた。
むせ返るような血臭が鼻を突く。
――キャアァ....
誰かが小さな悲鳴を漏らしたのが聞こえた。
男が、悲鳴を上げた人物を探す。
やがて見つけたのか、一人の女を俺の目の前に引きずりだしてきた。
「次はコイツだ、殺せ」
なぜ自分でやらないのか、と男を糾弾したかったが、これはそういう問題ではないだろう。
誰が殺そうと、殺される側からしてみれば自分が殺されることには変わりない。
さっきと同じ動作を、もう一度繰り返す。
それからも二人ほど殺した。
もう、何も感じなかった。
「突入!」
ガッシャーン!とガラスが割れる音とともに、機動隊と思われる部隊が銀行の中に突入してきた。それぞれの手には、銃が握られている。
ナイフしか持っていない男が取り押さえられるのも時間の問題だろう。
やっと終わった――
安堵からか、足の力が抜ける。地面にぺたりと座り込んだ。
――だが、安心するのは早すぎた。
「う、動くな!」
直後、首に当たるひんやりとした感触。
視界の端にキラリと光る金属が写る。
「ぇ....」
背後から聞こえる、荒い鼻息。ナイフが首に強く押し当てられる。
首から血液が一筋流れ落ちる。
「動くな、動くなァ!」
大声でわめき散らす男。男がわめくたびにナイフがゆれ、俺の首に刺さっていく。
あまりの緊張と恐怖で痛みすら感じないのは幸か不幸か。
男が、つばを撒き散らしながら叫ぶ。
「もういい、こうなったら、コイツを道連れにしてェ!!」
「え、やめ――」
ナイフが、引かれた。
視界が、自分の血液で真っ赤に染まる。
「ひゅーひゅー!どんどんぱふぱふ!勇者様のおとーりだー!!」
いかにも頭の悪そうな声に、半ば強制的に目覚めさせられる。
ぼんやりとする頭をぶんぶんと振って意識を覚醒させる。
「おやぁ?起きましたかな勇者様ぁ」
寝起きからうるさいな....。
そう思い、すこし怒りながらも顔を上げる、と、そこには女がいた。しかも超至近距離で。
「おわっ!?」
それも、絶世の美女といって差し支えないレベルの女性が、だ。
生まれてこの方女性とここまで近づいたことがなかったので、思わず叫んでのけぞってしまった。
「おー、勇者サマー!」
.....がっかり美人、というやつか。
この頭の悪そうな発言とくねくねとした変な動き。後は俺をおちょくるようにして連呼している「勇者」という言葉さえなければすごい美人さんなんだけどなぁ....って、内面全否定だな。
「あ~....びっくりした。それにしても、ここはどこなんだ?あと、あんた誰?」
「ここですかぁ?ここは死後の世界ですよぉ」
「死後の世界?」
こういうとき、ラノベを読み漁っていてよかったなと思う。死後の世界といったら、ラノベとかによく出てくるあの、死後の世界と言うことだよな?
......ああ、そういえば俺、死んだんだっけ。
じゃあ、もしかしてコイツは女神とか天使とかなのか?この変なのが?
確かに見た目はそれっぽいが、もし本当にそうだとしたらがっかりだ。主に発言が。
「はいぃ~、勇者サマは今から好きな体、好きな能力で好きな世界に転生してもらいますぅ」
「転生ってことは....あれか、剣と魔法の異世界にチート級の能力を持って転生するとかいう、あれか」
「それでもいいですよぉ」
相変わらずしゃべり方はうざったいが、それはなんとも好待遇。
受けないはずがないだろう。
だが、その前に少し気になったことがある。いくらノリと惰性だけで生きてきた俺でも、これだけは確認しておかないと。
「少し聞いてもいいか?」
「何でしょう?」
「なんで、俺がこんな好待遇を受けるんだ?俺は別に何かすごいことをしたわけでもないのに」
「はい?すごいことをしたわけではない?」
「ん?」
ものすごく驚いたような表情だ。
「何を言ってるんですか!あなたは何十人もの人間の命を救ったんですよ!?」
「俺が?何十人もの命を?.....んな馬鹿な、心当たりがない」
俺がそんな、何十人もの他人の命を救うなんてありえないだろう。
そもそも俺はそういう人間ではないし、やった記憶もこれからやる予定もない。
「いやいやいや、あなたはこのままだと後に『平成のユナ・ボマー』『現代の切り裂きジャック』『蘇ったジョン・クリスティー』などと呼ばれる大犯罪者になっていた人たちを殺したんですよ?」
「....は?」
ちょっとまて状況が読み取れない。
俺が未来の犯罪者を殺した.....と言われても、俺は人を殺したことなんて生まれてこの方......
「ああ!もしかしてあの時!」
「そうです!あなたが殺した人質たちは全員、近い未来に必ず大犯罪者になっていた人たちなんです!」
なるほど、つまり俺が入った銀行にはたまたま同時刻に未来の大犯罪者がいて、そこにたまたま銀行強盗がきて、たまたま俺が人質を殺すことになって、そしてたまたま30人近くの中から選んだ人が全員未来の大犯罪者だったと言うことか。なるほどそれなら納得――
「ってんなわけあるか!!」
さすがに叫んだ。