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『本日、一八〇〇を以て、市内に出現した敵対大型偶神"E07-2219"を"聖歌隊"と認定。現地にいる堕墜者は特徴に注意されたし。繰り返す、本日一八〇〇を以て――』
――18:20 大ホール前
ギルモという男はかなり特殊であり、異様で、異常だった。見た目は何の変哲も無い大学生のような風貌であり、そのようなオーラは微塵も感じさせない。だが、特殊秘匿事項として扱われたため本人と学園上位講師陣しか知らないことではあるが、彼自身は齢二十五にして、人を殺した数が既に両手両足の指の数を優に越えているという、真性の殺人鬼だった。その彼が数年前、合法的に何かを殺せると聞いて、真っ先に飛び込んだのがこの学園だった。
だが、彼の特殊な出で立ちを見て学園長は面と向かってこう告げた。
『卒業まで一切の"殺人"を禁じる、疑わしいモノも全て。それだけが入学条件だ。守れない場合は即退学と見なし、然るべき場所へ移送する』
実大瀬学園に於ける、適性があれば如何なる存在であっても来る者は拒まないという徹底した実力主義の前ではある意味矛盾したような考え方ではあったが、人数の少なさを鑑みれば内部抗争は看過出来ない事態であったのだろう、と当時のギルモは推察していた。だから、その言葉も彼に取ってみれば概ね予想通りだった。
殺人を犯せないという事は彼にとって苦ではなかった。彼が誰かを殺す事は人が呼吸をするのに等しい事だから、煙草のような依存性も、麻薬のような禁断症状も無かった。
だがそれは結果として、彼を歪んだ正義へと歩みを進める事になった。
「君を見ていると"反吐"が出るな。まるで、狂気が奇跡的に服を着て歩いているかのようだ。神は愚かだな、君のような木偶でさえも人間とカテゴライズしなきゃいけないなんて」
コチコチと時を刻む懐中時計の蓋を閉めると、ギルモはそれを胸元へと仕舞いこみ、"相手"へと視線を移す。
それは、ヒルエと呼ばれた少女。整えることを忘れ、乱れに乱れた、腰まで長い茶色の髪。そこから覗く双眸は、人と言うよりは獲物を探し出す獣のようなものに近い。
「あぁ……? うるせぇな、何の用だゲロカス野郎。三枚に下ろしてセルフ川の字作られたくなかったら、今すぐ目の前から消え去ね」
ギルモは、やれやれ、の仕草をする。
「私がかつて手にかけたヒリアライド州の警官三人は、いずれも銃を持つと性格が変わるような典型的****だったが、それでもまだ常識的な会話をする余地があったぞ? あぁ無論、彼らの為に肉は残さず処理して、残った骨は粉砕して肥料にしてやったよ。隣の家がトマト畑に使いたいと欲しがっていたから、全部渡してあげたら大喜びされたよ」
殺人者は文系と理系に二分出来る、というギルモの持論があった。殺人という行為が最初に来るか後に来るか、という違いである。殺人を犯してから密室を作るのが文系で、密室を作ってから殺人を犯すのが理系、と適当に考えていたが、この対極的二分法は後で改めればなるまいとその考え方に消しゴムをかけた。
「あたし、偶神と人間の区別つかないからさァ……? 間ァ違ってあんたごと"すり身"にしたくないんだよね、刃物が穢れちまうから……」
「君はそうやって、毎度毎度私の邪魔をするんだね。一昨年の五月の時もそうだ、君の衝動的な殺人のせいで、何度我が身を危険にさらしたと思っているんだ」
実のところ、"疑わしい殺人を禁じる"の文言の方が彼にとって重くのしかかっていた。ひとたび隣人が消えれば探しだし、今度は隣の席の奴が殺されれば死体を隠して逃亡行方不明扱いにし……というのを、無秩序な学園内で幾度となく行わされる事となったのだ。
が、ヒルエはそれを鼻で笑った。
「後始末の依頼なんてしたっけェ?」
彼女のその口目がけ、月光にギラリと光る刃物が飛んでくる。が、その銀色の筋は空を切り、背後の自販機に直撃し煙を上げた。
「口を慎みたまえ、この****。この私が、貴様のこれまでの借りとして、この場でお前の内蔵から酢漬けを作ってやると言ってるんだ」
真横に転がった体勢からゆっくりと立ち上がり、ヒルエはにやりと笑った。
「何言ってんだ、お前」
彼女は背後のベンチにひらりと飛び乗り、右手の中指と人差し指で自分の頭をコツコツ叩いた。
「頭オカしいんじゃねえの?」
ふわり、と風が舞う。その瞬間、ギルモの姿が消え――、彼女の真上から、何かを振り下ろす格好で飛びかかってきた。
「ウわォ」
ヒルエの間抜けな声と共に、彼女の背後から雷が落ちるような音。振り返れば、コンクリート製の電柱が縦に裂かれるという異様な光景が出来上がっていた。
「避けないでくれたまえ。調理器具の切れ味は、夕食の出来に関わるのだから」
そう言うギルモの右手に握られているのは、長さ五〇センチほどの赤く塗られたバールだった。
「赤とか悪趣味ィ……」
「君の獲物の方がよほど気味が悪いな。その黒い柄、最初は木の地が出てたんじゃないかね」
腰を落とした、肉を狙う虎のような姿勢に、二本の短刀が街灯の光を浴びて輝く。その顔面に――ギルモの履いていた黒いスニーカーが叩きつけられる。ヒルエの脳に強い振動があってから、身体は宙を飛んでコンクリートの壁に捕らえられる。
「――痛いじゃないか」
ギルモが振り抜いた右足のふくらはぎに、彼女の持っていた短刀が刺さっていた。彼はそれを睨め付けると、躊躇いもせずに抜いた。――何故か、出血はなかった。
「君はそうやってじわりじわりと痛めつけるのがお得意のようだから、色々なところにサポーターを貼っておくことにしたんだよ。これで君は私の顔だけ狙うのかもしれないが……まぁ、それはそれでいいだろう。君が私の顔を潰す間に、私が君の四肢を撫で切りにすればいいだけの話だ」
「加虐趣味か、テメェ」
冷血殺人者は、熱血殺人鬼を鼻で笑う。
「男女平等推進派なのだよ、私は」
そう言う彼の腹部に、柔らかな感触。その正体を確かめようと視線を下げた時、既に"彼女の身体はそこにあった"。飽くなき殲滅への執念に、ギルモも一瞬だけ、その思考の奥底にある"何か"を突かれそうになる。懐ギリギリまで攻め込み、そしてその刃を腹部に突き立てる――。
「だから――効かないと言っただろう!」
彼はヒルエの頭を鷲掴みにすると、そのまま地面に叩きつけた。が、一瞬あってから彼女の両足がギルモの首をガッシリと掴み、そのまま抑えられた首を中心にして逆にギルモの身体を浮かせ、そして叩き落とした。
「……あーあ」
彼女はゆっくりと立ち上がり、首を二、三度捻ってから、地面に落ちた獲物を拾い上げる。
「誰が殺した雄駒鳥、っと」
その右手首を、酷くごつごつとした腕が掴んだ。
「それはキミだ。私が証言しよう」
「あぁ?」
ヒルエは躊躇うことなく、その腕に左手の短刀を突き立てようとする。
「アンタは何? 試験とは名ばかりでェ、ただアタシを殺しに来ただけなワケ?」
「何を今更。卒業後の椅子が定まってなければ、こんな博打のような卒業試験を受けるはずがないだろう」
事実、ギルモは卒業後、第七地区堕墜者連合組織――通称、第七連組――に特別待遇で所属出来ることが決まっていた。
「へぇ、そりゃ良い事聞いた。アタシって、未来ある若者の芽を摘むの、すっげぇゾクゾクするんだ」
「キミみたいに本能で動く人間は、組織には不向きだろうな。組織の鉄砲玉にされて、死線をかいくぐって神経をすり減らすだけの作業だ」
「そうかよ」
彼女は、言い訳を聞き終えると刀を振り下ろす。それを見越していたように、ギルモは背中から取り出したバールでその鎬を打ち付けた、
獲物が、くるくると回転しながら宙を舞う。ヒルエは動こうとするが、ギルモにしっかりと右腕を掴まれ、身動きが取れない。
「相容れないなら、死ね」
それを一瞬で悟ると、ヒルエは右腕を軸にして半円状に跳ぶ。その頂点で彼女は飛んで来た短刀をつかみ取り、片手に二本を掴んだままギルモの背中を縦に薙ぎ、そして突き立てた。
同時に、右腕に強い痛みを覚える。ギルモの歯が立てられていた――が、肉を食いちぎられる寸前で、気を失ったようだった。
「さぁて」
ヒルエは大きく深呼吸すると、さっさと腕を外し、獲物を拾い、制服の袖を千切って傷の箇所に巻き付け、戦闘前とほぼ同じような出で立ちのまま、鼻歌を歌いながら何処かへと消えていく。
だが、次の敵に会う頃には、ギルモのことなどすっかり忘れているのだ。