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英雄(作:海鼠)

 メロスは狼狽えた。家の前の通りで人が倒れていたからだ。

 すぐに怪我人を家まで運び、何故こんなところで倒れていたのかと不思議に思った。

「きゃっ! お兄様、その人はどうしたの」と、家に入ると妹がすぐに反応した。

 メロスが事情を説明し、怪我人をベッドまで運ぶと、妹は手際よく介抱を始めた。「我が妹ながら良い女だ。安心して嫁に出せる」メロスがそう思っている間に怪我人が目を覚ました。

「私はラヴェンナのルキウスと申しまして、手紙の配達をしております。今も手紙を届ける途中であったのですが、賊に襲われて馬が死んでしまいました。命からがら逃げてきたのですが、ご覧のとおりでありまして……」ルキウスと名乗る怪我人は折れてパンパンに腫れあがった左足をさすりつつ言った。

「あと三日以内にシラクスの王まで届けなければならない手紙があるのです。そうしなければ私は処刑され、妻と子は飢えてしまうでしょう。死ぬことは怖くない、ただ妻と子を飢えさせたくないのです」

「ならば私が代わりにその手紙を王まで届けよう!大丈夫、三日もあれば余裕で城につけるさ」

 考えるより先にメロスはそう言っていた。メロスは情に厚い男であった。

「おお、それは本当ですか。ありがとう、今日の御恩は生涯忘れません。ああ、恩人よ、その手紙は決して読んではいけませんよ」

 ルキウスが言い終わると、メロスはすぐに手紙を持って走りだした。

「しかしラヴェンナからここまではるばるよく来たものだ」

 そんなことを考えながらメロスが走っていると、また人が倒れている。若い男だ。メロスは駆け寄った。するとその男は急に立ち上がり近くに落ちていた棒きれでメロスに襲いかかった。

 しかし、メロスは紙一重で躱した。そして男の頭を後ろから思い切り殴りつけた。

「いきなり何をする。危ないじゃないか」

 男は答えた。「この道を通るその手紙を持った人間を殺せと命じられたのです。あなたには申し訳ないですが、ここで死んでもらいたい」

 メロスは、男の言葉を聞き終わると、男を気絶させてこう言った。

「すまない。だがきっとお前のことも助ける。だから待っていてくれ」

 同じような出来事が二回、三回と続いた。時には数人がかりで襲ってきた。

「間違いないな、誰かの差金であろう。一体この中身はなんなのだろう。しかしルキウスに開けるなと言われたのだからな……」

 一回は踏みとどまったものの、四回、五回と襲われて、ついに我慢できなくなってしまった。

「ルキウスよ、すまない。人間の性には勝てなんだ……」

『父上、私を勘当しようとするとは、いかなるお考えなのでしょうか。 浅学非才の私にはわかりかねます。しかし、大臣の諫言に従う今の父上には賛同出来ません。どうか、どうか考え直していただきたいのです』

 学のないメロスでも何が起きているかわかった。今シラクスは亡国への道を辿っているのだろう。それを知った以上、黙ってなどいられない。メロスは走る速度を上げた。

 一つ引っかかるところがあったのだが、メロスは今それを気にしないことにした。

 先ほど倒したのは八回目の賊だろうか、二日でようやくシラクスの王城が見えてきた。それからしばらく走り城門に着くと、番兵に呼び止められた。

「どこの者か。名を名乗れ」

「私はラヴェンナのルキウスという者だ。王子からの親書を王へ届けに来た。この押印が紛れもない証拠である。直接渡せ、と仰せつかっている」

 メロスは手紙の中の押印を番兵に見せた。

「ふむ、通れ」

 重々しい鉄の門が開かれると、城の案内人と見張り人二人の計三人がメロスの元へやってきた。

「王の元へ案内致します。なお、不審な行動をすればすぐにその二人が取り押さえますので、言動にお気をつけください」

「わかっている。早く案内してくれないか」

「では、こちらへ」

 どこか威圧的な雰囲気が漂う城の中を、ただひたすら歩かされる。メロスは焦らされているように感じ、案内役に声をかけようとした。すると、ちょうどその時案内役が口を開いた。

「ここだけの話ですよ。私達も大臣の言動と、それに従う王に対して疑問を感じているのです。あなたの持っている親書と、あなたの言動に全てがかかっていると言っても過言ではありません。くれぐれも、よろしくお願いします」

 ゆったりとした優しい口調ではあったが、案内役の言葉にはとても重みがあった。

「ああ、俺に任せろ。誰にも悲しい思いはさせない」

 メロスがそう言うと、案内役は少し微笑んだように見えた。

 そう話しているうちに、どうやら話している間に謁見の間の前に着いたようだ。

「では、くれぐれも粗相のないように」

 案内役が、先程の暖かい雰囲気から、打って変わって厳密な雰囲気でそう言った。

 ギィ……と、見張りの二人が重い音を鳴らして王の間の扉を開けた。

 メロスは王の前まで行き、跪いた。

「謁見をお許し頂き、光栄でございます。私はラヴェンナのルキウスと申す者でございます。本日は皇太子様からの親書を渡しに参りました」

 そう言ってメロスが手紙を掲げると、側近の者が手紙を受け取り、大きな声で読み始めた。

 それを聞いた王は、眉間に皺を寄せてしばらく沈黙した後、こう言った。

「ルキウス、と言ったな。つまるところ息子は何が言いたいのだ。答えよ」

 大臣の言いなりになっているとは聞いていたが、それでもやはり王は確かな威厳を備えていた。メロスは緊張のあまり唾を飲み、次に言うことを頭の中でまとめていた。しかし、いくら取り繕っても意味がない。ありのままに言うことにした。

「王よ。貴方がそこの大臣の言いなりになっているのが、国にとって負の影響を及ぼし、それは、いずれこの国を崩壊させることに繋がるだろうと危機を感じているのです。そう感じているのは皇太子様だけではありません。どうぞ、お考えを直してください。」

 ふと大臣を見ると、憤怒の表情を浮かべていた。

「妄言に付き合うことはありません、王よ。早くこの者を死刑にしましょう。きっと皇太子は親書を通して傾国を狙い、その隙にシラクスを乗っ取ろうとしているのです。それに、后殿のことは……」

 焦っていたのか、大臣は早口であり、最後は小声で周りにはよく聞こえなかった。そんな大臣の必死の弁明の後、側近の一人が王とメロスの間に行き、跪いた。

「死刑を覚悟で申させて頂きます。この者の言う通り、大臣の最近の行動は目に余ります。王がその言いなりになられていては本当にこの国が滅んでしまいます。さらに、皇太子は聡い人物であり、王の次にこの国を支えるのに相応しいお方であります。勘当しようとなさるなど、愚行の極みにございます」

 王は依然、眉間に皺を寄せたままであった。しかし、メロスは王の目にある決意を感じていた。おそらく、今日のうちに王が英断を下すであろうことをメロスは確信した。

「それでは王よ。私の仕事は以上です故」

 そう言ってメロスは城を去ろうとした。その時王がメロスを呼び止めた。

「去る者よ。お前の本当の名を告げよ」

 メロスは仰天した。何故王は、ルキウスが本当の名ではないことを知っているのか。

「王よ。私はラヴェンナのルキウス以外の何者でもありませぬ」

「いや、ルキウスは王子、私の息子だ。おそらく、道中何度も大臣の手先に襲われたのであろう」

 王が鋭い眼光で睨みつけると、大臣は静かに頷いた。彼の、大臣の、人生を含めた全てを諦めたことが、その表情から伺えた。王もまたどこか、悲しげな表情をしていたように見えた。それらの光景を、しっかりと目に焼き付けてからメロスは答えた。

「私はメロス、メロスと申します」

「そうか、メロスというのか。良い名だ。ありがとう、お陰で覚悟が出来た。帰りに褒美を持たせてやろう」

 メロスは満足感と共に謁見の間を去った。案内役が賛美の言葉を述べ、握手を求めた。すると大臣が大声で叫んでいるのが聞こえた。

 案内役は狂人の戯言だ、気にするなと言う。けれどもメロスは、一抹の不安を拭うことが出来ずにいた。そして、それはどんどん大きくなっていく。城を出ると褒美を渡された。素晴らしい装飾が施されたファイブロライトの指輪だ。褒美を渡される時も、メロスの中の不安は成長していた。

 褒美をポケットに入れ、メロスは馬を借りることすら忘れ町を出た。二割の満足と八割の不安を抱えながら。

 何か嫌な予感がする。自然、足が早くなる。何故だろう。何故こんなにも心を全て満たすことが出来ないのか。俺は間違っていたのか。いや、そんなはずがない。国のためになることをしたはずだ。もう道中襲われることもない。

 そんなことを考えていると、早馬がメロスの横を駆けていった。おそらく大臣死刑の報を各地に告げるための馬だろう。嫌な予感が増していく。自然と走っていた。剣は投げ捨てた。足は限界に近い。しかし彼は走り続けた。夜も寝ずに走り続けた。

 メロスの家が見えてきた。不安な気持ちを抑え、笑顔で妹に帰宅を告げる準備をする。

「よし……」

 メロスは扉を開けた。そしてメロスは絶句し、絶望した。

 割れた花瓶、中身がほとんどなくなっているタンス、紅に染まった部屋。そして、無残な姿で横たわっている死体。顔は原型を止めず、もはや誰だか判別出来ない死体。嬲られた形跡もある。花瓶に挿してあった花、バラは踏み潰されていた。

 道中の賊は大臣の命令でメロスの邪魔をし、早馬はメロスより先に各地に遣わされていた。考えずともわかっていた。大臣傘下の者が、自分たちの意思で復讐に来るであろうことは、容易に想像できた。しかし、あまりの出来事にメロスは現実を直視できないでいた。

「おお、妹よ。見知らぬ女性の死体がうちに横たわっているのだ。早く帰って来ておくれ。そして私に微笑みかけておくれ。妹よ。妹よ」

 妹よ。妹よ。と、メロスはその死体を抱えながら、赤子のように一日中呟き続けた。そして時計の針が一周した頃、メロスは急に立ち上がった。

「妹よ。帰るのが遅いなら一言残して置くものだ。仕方ない、探しに行ってあげよう。妹よ」

 メロスは家を飛び出すと、あてもなく走り続けた。

 その後彼の行方を見た者はいない。

 後日早馬が知らせたのは、大臣の処刑、王の英断、后の死、そして英雄の失踪であった。


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