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そして彼らは結果を生み出す(作:灰白和洋)

 私の名前はメロスである。街から十里ほど離れた村で牧人をしている。

 私には親はいない。妹が一人いるだけである。その妹が、近々、村で式を挙げることになった。私は妹の衣装やら祝宴の御馳走やらを買うために、遠くの街へと出ることにした。

 この街には傍若無人な王などはいない。少し前にカクメイなるものが起き、この街の王とも呼べるものはミンシュシュギになったらしい。詳しいことはわからぬ。ただ、この街には妙な活気を感じる。明るい、とは少し違う。浮ついた雰囲気に近いものを感じる。

 住民が満たされていると錯覚してしまうこの街で、私は一人の少年を見た。道の片隅で力なく横たわるその少年は、骨と皮しかなかった。ぼろ布で纏ったその体には、肉と呼べるものが一切存在しなかったのである。

 私は驚きのあまり目を見張った。少年の身なりにではない。その前を通り過ぎていく人々の反応に対してだ。彼らの大半は、買い物の帰りなのだろう、その手に食糧を持っていた。わずかでもいい。少年にそれを分け与えればいいのだ。それがこの道を行く人々が行えば、少年は救われるはずなのだ。いかに無知な私といえども、それぐらいはわかる。

 しかし、誰もそれを実行しようとしない。それどころか、少年に一瞥すらくれてやらないのだ。彼らの視界には、あの今にも力尽きそうな少年が入っていないのか。私だけが見ている幻覚なのか。私は、自分の目で見ているものが、段々と信じられなくなっていた。

 茫然自失としていた私は我に戻り、少年に駆け寄った。とにかく、この少年を助けなければならない。私の心がそう叫んでいた。

 抱えていた荷物から、私は一つのリンゴを取り出した。食べやすいように懐にしまっていた短刀でリンゴを切り分ける。少年の軽すぎる体を支え、その口にリンゴを運んでやった。

 だが、少年はリンゴを口にした瞬間にそれを吐き出してしまった。それは、昔妹が病気になった時と同じような反応であった。この少年は、単純に空腹で倒れたわけではなかったのだ。病気に罹り、ここで苦しみながら衰弱していったのだ。

 ……どういうことだ。

 おかしいではないか。病気であったということは、彼は、ここに何日も倒れていたということになるはずだ。その間、誰も救いの手を差し伸べることがなかったというのか。ふざけるな!

 抑えようのない怒りを感じながらも、私は荷物をその場に置き捨て、少年を抱えて病院へと走った。彼を一刻でも早く治療しなければならない。

 ……正直に言うと、この後のことは思い出しくもない。それほどまでにふざけた、否、狂った現実があった。

 どの医者も、彼の治療を了承しなかったのだ。

 断った医者の全員に理由を尋ねた。するとその全員が、全く同じようなことを言ったのだ。「その少年は、かの邪知暴虐たる王の息子である。少し前に、息子に罪はないという少数派の意見を尊重して生かしてはおいたが、まさか行き倒れしているとは。もっとも、多くの住人がそいつの死を望んでいる。かくいう私もその一人だ」と。

 私は後一歩のところで、医者どもを殴りつけそうになった。背に乗せた少年がいなければ、確実にそうしていたことだろう。

「病人に身分など関係ない。苦しんでいる人を見たら、手を差し伸べるのが医者として、人間としてあるべき姿ではないのか」

 努めて冷静に、私は医者に訊いた。

 すると信じられないことに、医者はせせら笑いながらこう言ったのだ。

「それが、人? 何の冗談だ」

 この時私の前にいた彼らは……本当に私と同じ『人』だったのだろうか……。


 私は走った。背中に乗せた少年が冷たくなるのを感じた。私は走った。背中に乗せた少年は、完全に力を失っていた。私は走った。少年が背中から落ちた。私は走った。地面で倒れた少年は、石を投げられていた。私は………………走るのを、止めた。


 その時であった。

 一人の青年が、少年の体に覆いかぶさるようにして躍り出てきたのである。あれは、あの青年は、セリヌンティウスだ。この街に住む石工であり、同時に私の竹馬の友である、セリヌンティウスだ。

 彼は、その身に石をぶつけられながらも、必死に少年を庇っていた。周囲の人々は彼の登場に驚き、口汚く彼を罵りながらも、ついには石を投げるのを止めた。

 体を起こしたセリヌンティウスの額から流れ落ちる赤き血を見て、私は我に返った。私は、今まで何をしていたというのだ。少年だけではなく、唯一無二の友人が傷つけられていたというのに、私は何をしていたのだ。

 私はセリヌンティウスに駆け寄った。彼は何も言わずに少年を抱えた。そして、「家まできてくれ」と告げた。


「セリヌンティウス」衰弱した少年に薬と少量の水を飲ませ、寝かしつけた彼に私は言った。「私を殴れ。そうでなければ、私は君の友人を名乗る資格がなくなるどころか、自分を許すことができなくなってしまう」

 しかし、セリヌンティウスは私の頼みを聞き入れてはくれなかった。苦渋を舐めたような表情をして、彼は言った。

「すまないが、メロス。それはできない。君をその理由で殴る資格があるのは、おそらくこの少年だけだ。私は、君よりも罪深き人間だ。苦しんでいる彼を幾度も見かけながら、見て見ぬ振りをした、罪深き人間なのだ。君がこの少年を抱えている姿を見なければ、私はおそらく、彼が死んでも気にしなかった」

 重苦しい沈黙と、少年の静かな寝息が薄暗い部屋の中を満たした。

「なぜ、人々はこの少年をあれほどまでに毛嫌いするのだ。私がこれを尋ねた時は、この少年は前の王の息子だと言っていた。前の王は、どのような王だったのだ」

 セリヌンティウスは重々しく口を開いた。

「王は、人を殺した。悪心を抱いていると言って、たくさんの罪のない人々を殺したのだ。それによって民の心に刻まれた傷は、並大抵のものではないのだ。想像してみるがいい。君の唯一の肉親である妹が、理不尽極まりない罪で処刑される光景を」

「それは……許すことなどできない」

「処刑された王は、正にそのような方だったのだ。通行人の一人を、顔立ちがとある犯罪者に似ているという理由だけで殺したこともあった」

「王は、乱心しておられたのか」

 私が尋ねると、セリヌンティウスは首を横に振った。

「そうではない。正確に言えばそうなのかもしれないが、王がこのようなことをするようになったのは、ある事件がきっかけだったのだ」

「それは、一体どのような事件だったのだ」

「あれは、二年前に起きたことであった。ある村の青年が王の宮殿に、懐中に短刀を携えてやってきたのだ。その青年は、王の圧制で民が苦しんでいることを知り、民を救うためにやったのだ。無論、王はその青年を処刑することにした。青年は命乞いなどはしなかったが、一つだけ王に願いを言った。それは三日だけ、自分を見逃してほしいというものであった。自分の妹の誕生日があるらしかったのだ。青年は、この街に住む友人を身代わりとし、街から出ていった。そしてその三日後、とうとう青年は帰ってこなかった」

「その青年は友人を見殺しにしたというのか!」

 私は怒りの余り叫んだが、セリヌンティウスは「違う」と静かに私の言葉を否定した。

「その青年は、街まで後少しというところで死んでいたのだ。なぜ死んだのかは、今でも、誰にも分からぬ。これは最近ようやくわかったことなのだが、最後に彼の姿を見た者によると、約束の刻限にギリギリで間に合うという場所と時間だったそうだ。王はそのことを知らず、青年が来なかったという事実から人は醜いものだと決めつけるようになり、道行く民ですら殺すようになったのだ」

 私は思わず押し黙ってしまった。

「あの青年が刻限に間に合っていれば、もしかしたらこのようなことにはならなかったのかもしれぬ。王は人を信ずるようになっていかもしれぬ。だがそれは、もはや叶わぬことだ。王は死に、今は民が政治を行っておるのだ」

「今の王はミンシュシュギではないのか。ミンシュシュギとは一体何なのだ」

 セリヌンティウスは少し考えるような表情をしてから、言った。

「民の総意、という考えが一番近いだろう。少年が道端で倒れても誰も助けなかったのは、ミンシュシュギがそうさせているのだ。民の大半が、あの少年を嫌っているのだ。仮に、誰かが君のように少年を助けようとしたら、皆がその誰かを責めるだろう。先程のようにな」

 その時、私の中のわだかまりが一瞬にして吹き飛ぶのを感じた。そうだ、そうなのだ。私は何を迷っていたというのだ。蓋を開ければ、実に単純なことであった。

 私は外に飛び出した。そして同時に、天にも届かんばかりの勢いで叫んだ。

「王の息子に罪はない。今すぐ彼を迫害するのは止めるのだ!」

 道を歩く人は、少しばかり私に視線を寄越したが、すぐに目を逸らした。誰も私の話を聞こうとはしない。だがこの程度は、一度経験したであるがゆえ、想定の範囲内のことだ。

「ど、どうしたというのだ」

 セリヌンティウスが慌てた様子で家から出てきた。私は彼の疑問に答えた。

「単純なことだったのだ。ミンシュシュギがあの少年を嫌うというのなら、ミンシュシュギの根本である国民の気持ちを変えてやればいいのだ。どうしてこんな簡単なことに気が付かなかったというのだ」

 セリヌンティウスは冷めた声調で、興奮している私を説こうとしてきた。

「君の言うことは一理あるが、それはとても難しいことだ」

「難しい? 難しいから、何だと言うのだ。行動を起こさなければ、何も変わりなどはしない。それに、君も言っていたではないか。二年前、あの青年が間に合っていれば王の考えは変わっていたかもしれぬと。それは青年が行動を起こしたからではないのか。ミンシュシュギに王が変わったのも、誰かが行動を起こしたからではないのか。行動を起こす前から諦めるなど、私には考えられぬ!」

 私は自らの思いの丈を、全力で彼にぶつけた。否、セリヌンティウスだけにぶつけたのではない。今、この街に住んでいる者全てに訴えるために叫んだのだ。

「そうだ……その通りだ。君の言う通りだ、メロス。私は、ようやく目が覚めた。皆の判断はおかしいと感じていながら、なぜ何もしなかったというのだ、昔の私は」

「今から行えばいいのだ。今から変えればいいのだ。あの少年は、まだ生きているのだ。まだ、遅くなどはない」

 そして、私とセリヌンティウスは街を走り、天が割れんばかりの勢いで人々に訴え始めた。


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