第弐章 流星と蝶の信頼
次の日も、その次の日も、魔理沙は神社に現れなかった。
日数が経つにつれ、あからさまに彼の元気が無くなっていくのだが、女の子が数時間も泣き続けた理由が自分にあるかも知れない状況では、慰めの言葉も掛けようがなかった。
実際のところは、不可思議な自身の存在について思案しているのだが、その理由もあながち間違ってはいない。
誰だって女の子に泣かれるのは弱いのだ。
そんなこんなで一週間が過ぎた頃。
いつもの様に縁側で茶を啜る彼に、霊夢は突然指示を出す。
「ちょっと境内に立ってくれる?」
「? 急にどうしたんだい?」
疑問符を浮かべながらも素直に境内に立つ彼に、誰かに騙されやしないかと心配になる霊夢だが、今はそれは置いておく。
彼女の勘が、今ここでやらねばならぬ、と叫んでいる。
「んー…もうちょっと左。半歩下がって、二歩右に……そう、そこよ。」
言われるままに動き、指定の位置に立つ。
何が何だかわからないが、彼は一切の疑念無く霊夢の言う通りにする。
すると――
「上空にこの間の膜っ!!」
「えっ!?」
「遊びに来てやったぜれいきゃぁああああああ!!?!??」
――霊夢の指定した地点の上空を、魔理沙が見事に飛んできたのである。
…………勿論今回も、あの粘着質な膜が張ってあるのだが。
「あっいやっ! なにこれ気持ち悪いんだけど!!?」
「ちょ、ちょっと霊夢ちゃん!? なんでわざわざ膜を張らせたんだい!?!」
「ふふふ………。あーっはっはっは!!! 遂に捉えたわよ魔理沙! 今日という今日は今までの鬱憤を晴らさせてもらうわ!!!!」
さっきまでの和やかな雰囲気は吹っ飛び、急に高笑いを始める霊夢に、彼は面食らう。
「ちょっ!? 急になんだ霊夢!? 私が何をしたって言うんだ! 本当に気持ち悪いんだけど!!」
「人が折角集めた枯れ葉を毎回毎回吹き飛ばしておいて何を言うか!!!」
叫び猛る霊夢が、御札を目の前にかざして言魂を紡ぎ―――
「【霊符:夢想封印】っ!!!!」
―――激しい閃光とともに、魔理沙の悲鳴が境内に響き渡った。
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「えぇっと……。だ、大丈夫かい? 魔理沙ちゃん、お水だよ。」
「あ、ありがとう……。しかし相変わらず霊夢は容赦がないなー。友達はもっと大事にしないと行けないんだぜ?」
相も変わらず縁側で、今回は三人で茶を啜る。
何かが可怪しいとすれば、魔理沙の服が酷いことになり洗濯されているので、少女二人が巫女姿、ということだろう。
やはり彼に対する魔理沙の挙動は少しおかしいようだが、霊夢はもとより彼も気にしないことにしたらしく、眉一つ動かさず対応していた。
「私が巫女服ってのもおかしな気分だぜ。っていうか冬とか寒くないのか霊夢?」
「そんなもん気合でどうにでもなるわよ。……全く、どうして私の服を貸さなきゃいけないのよ。」
「それは霊夢がオミに妙な事させるからだろ!?」
「オミ?」
霊夢が聞き返すと、魔理沙はやっちまった的な顔をして、あーうーえーと言い訳を必死に探している。
どうやら魔理沙は、彼に関する情報を少なからず持っているようだ。
尤も魔理沙は何故かそれを話そうとしないのだが。
やがて、無言が逆に辛かったのか魔理沙は観念したようにポツリと喋る。
「その…、オミは――コイツは狼だろ? でもって中身がない――今は記憶がないと来たもんだ。だから、『オオカミ』の中身を空にして『オミ』。私は、そう…呼んでたん…だ、ぜ…?」
そしてまた嗚咽を漏らし始める魔理沙に、彼は狼狽え、霊夢は渋い顔をする。
親友のあまりに不可思議な態度に、霊夢は『霧雨魔理沙の友人』としてではなく、『博麗の巫女』として考察を始める。
(考えられる可能性は二つ。一つは、魔理沙がなんらかの夢みたいな強い影響を受けて感受性が高められている。もう一つは、魔理沙がなんらかの理由で私達に無い記憶を持っている。)
前者の場合、この幻想郷において、霊夢が知る限りそんな事を可能とする妖怪は居ない。居たとすればそれは異変だ。新たな妖怪の悪戯か、はたまた自己主張の強い大馬鹿者か。
どちらにせよ、魔理沙の様子からして感受性云々や夢での体験ではなく、実際にあった事を想っている可能性の方が高い。
後者の場合、霊夢達が『忘れている』のか、魔理沙だけが『知っている』のか。
それだけで大分状況は変わってくる。
『忘れている』場合、博麗の巫女や妖怪の賢者をも凌ぐ力を持った存在により、なんらかの力を受けている事になる。
『知っている』場合、魔理沙が何者かに記憶操作を施されている、という割と無茶な前提が必要になる。
努力家である魔理沙は、そう簡単に手駒になったりはしないのだ。
まぁ巫女や賢者を凌ぐ存在が出て来た時点で、無茶な話に変わりはないのだが。
(まぁどちらにせよ、問題はなさそうだし放っておく事にしましょう。)
未だにオロオロとしている彼に苦笑いし、霊夢は魔理沙を宥める。
その時の霊夢は、まるで慈母のようだった。と後にオミは語る。
更に後に、「いつもその笑顔で居ればいいのに、可愛いよ?」と言ってシバかれてもいるが。
「ほら魔理沙、取り敢えずお昼にするわよ。手伝いなさい。『オミ』ったら未だにまともに料理出来ないんだから。」
「!」
「わ、私だって努力はしているんだけどねぇ……。だって霊夢ちゃんの作り方って物凄い超人的だろう? とてもじゃないが、私には真似出来そうにないよ。」
「人外が何を言うか。ほらオミ、魔理沙引っ張ってきてアンタは火でも焚いといて。」
霊夢の言わんとしてる事がわかったのか、オミも何事もなかったかのように受け入れて会話する。
「全く霊夢ちゃんは人の話を聞かないんだから。……魔理沙ちゃん立てるかい? 無理そうだったら抱っこして行くけども。」
「べっ別に大丈夫だぜ!? わわ私一人で立てるから心配しなくても大丈夫だ!!」
「そんなに拒絶されると流石に傷付くなぁ……。」
「きょっ拒絶してるわけじゃ」
「早くしなさい! お腹空いてきたじゃないの!!」
先程の優しさはどこへ消えたのか、台所から怒鳴り散らしてくる霊夢に、二人は顔を合わせて苦笑いする。
そして、示し合わせたように二人は言う。
「改めて宜しくな、オミ!」
「うん。これから宜しくね、魔理沙ちゃん。」
よく晴れた、夏の日差しの中。
人間と妖怪の友情が結ばれた。
「あ、それと私の事は呼び捨てでいいぜ。ってかそうしてくれ。」
「? よくわからないけどわかったよ。じゃあ宜しくね、魔理沙。」
「おう!」
満足気に頷く魔理沙の背後に、幽霊のように霊夢が現れる。
「二人で楽しそうねぇ…? 私は早くご飯を食べたいんだけれど?」
「じゃあ私が手伝っ」
「魔理沙、行くわよ。」
「また火起こしか………。」
項垂れながら釜の方へ歩いていくオミに、哀れみの視線を向けて魔理沙は霊夢の後追う。
そして、項垂れるオミに霊夢は一瞬振り返り、
「あ、そうだ。私の事も呼び捨てでいいわよ。一々ちゃん付けしてたら面倒でしょう?」
と言って直ぐに歩みを再会する。
オミは「ああ、魔理沙ちゃ……魔理沙が呼び捨てなら、私も呼び捨てにしなさい。ってことかなぁ。」と考え、「わかったよ。美味しいご飯を期待してるよ、霊夢。」と答える。
「♪」
どこか軽い足取りで進む霊夢を見て、後ろにいるオミと魔理沙からは見えないが、恐らく霊夢は満足気な表情をしているのだろう。と、二人は考えるのだった。