第壱章 流星を囚える狼
そして、紫の懸念も虚しくあっさりと月日が過ぎる。
ただ一つ問題なのは、起きて食べて駄弁って寝て。
刺激どころか、尻尾のせいで余計に霊夢が動かなくなった、と言うことぐらいだろうか。
まぁそれが一番の問題なのだが。
「あ゛~……。気持ちいーわー………。」
「霊夢ちゃん…? 私が神社に泊まってから、なんにもしてないけど大丈夫なのかい? 私に遠慮して何もしてないなら、私の事は気にせず」
「違うわよ~。ただやる事がない~、ってだけよ~。」
尻尾を抱きながら、どうも間延びした返事になっている霊夢に、神社とはなんだったか、などと考え始めるが、よくよく思い返してみれば最初に会った時も、縁側で茶を啜っているだけだったな、と思い出す。
どうやら彼女にとっては、これが普通らしい。
特にこれといって目標もないので、彼も同じくまったり過ごしているようだが、居候の身としては何かしたいのだ。
一応、炊事などは霊夢に教わって多少は手伝っているが、勘を頼りに作る彼女の手伝いは中々に難しい。
洗濯に至っては、流石の霊夢にも羞恥心はあったらしく、触るな、と厳命されている。
掃除に関しても、中は綺麗だし、境内は霊夢の日課である箒掃きで済んでしまっている。
「暇ねぇ。」
「暇だねぇ。」
何か刺激はないものか、と退屈していると、
「………ん?」
遠方、神社の正面から、何かが高速で飛来してくるのが見える。
人の形をしているので、人間かと思ったが、考えてみれば妖怪である自分も人の形をしているな、と考えを改める。
取り敢えず、尻尾に包まれご満悦の巫女さんに、一応の報告をする事に。
「ねぇ霊夢ちゃん。」
「なぁに~…。」
「多分あと10秒もしないうちに何かが境内に飛んでくるんだけど、どうしたらいいかな?」
「は?」
報告したはいいものの、やはり情報不足なようで二人揃って首を傾げるばかり。
せめて彼が、飛んでくる誰かの特徴を伝えていれば、結果は変わっていたかもしれない。
「なんだかよくわからないけど、危ないから止めるね。一応練習はしてたから、多分潰したりはしないと思うんだ。」
「限りなく不安になるわね。まぁいいわ、神社に飛んでくるなんて魔理沙か妖怪ぐらいなものだし。」
その霊夢の言葉は、力の調節のために集中している彼には、全く届いていなかった。
そして、接近――
「………ぇぇぇぃむうううううう!!!!!!!!」
「よっ、と。」
「きゃぁああああああ!!?!??」
到着と同時に、彼の放った妖力の膜に全力で突っ込んだ何者かは、
「あー……。ゴメン、それ私の知り合い。」
「えぇ!!?」
調節不足でトリモチのようになっていた彼の膜に絡め取られ、あられもない姿で気絶していた。
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「全く。暫く姿を見ないと思ったら、急に現れるんだから。」
霊夢曰く、高速で飛んできたこの少女は『霧雨魔理沙』と言うらしい。
彼女と知り合いで、毎日のように勝手に上がり込んでは茶を啜り、駄弁っては帰っていくそうだ。
最近は姿を見せなかったので不思議に思っていたが、今日はいつも以上に高速で飛んできていたようだ。
故に避けられなかったのだとか。霊夢が攻撃しても、普段なら華麗に回避されるそうだ。
本人は嫌そうに話していたが、言葉の端々から滲み出るどこか優しげな雰囲気に、
(ああ。きっと友達…いや、親友のように思ってるんだろうなぁ。)
と彼は勝手に納得する。
兎も角解っているのは、彼は彼女が起きたら謝らなければいけない、と言うことだ。
居候先の女の子の親友をあられもない姿にしてしまったのは、不可抗力だったとしても拙いだろう。
で、その問題の女の子――魔理沙だが、今は卓袱台に突っ伏して唸っている。
彼が最初に、「布団に寝かせたほうが……。」とは進言したのだが、霊夢は冷静に「こいつに布団なんか勿体無いわ。卓袱台に立て掛けておけばいいのよ。」と親友を酷い扱いで居間に運ぶのだった。
譫言で、「ネバネバがぁ……。うぅ~ん………。」などと言っている辺り、彼の調節し損ねた膜は大層精神にダメージを与えたようだ。
「むぅ…。ここで見ていても仕様がない。私は水を汲んでこよう。霊夢ちゃん、その間魔理沙ちゃんを見てて貰ってもいいかな?」
「あーはいはい。適当に見ておくわ。いってらっしゃい。」
なんともやる気のなさそうな返事を聞きながら、彼は水を汲むために神社の裏手に回っていく。
それから程なくして、魔理沙が飛び起きる。
「はっ! それだけは勘弁なんだぜ!!」
「何が勘弁よ、何が。勝手に神社に突っ込んできて、挙句に私の至福の時間を奪っておきながら。」
何の夢を見ていたのか。想像に難くないが、まぁ触れないでおこうと霊夢は別の話題を振る。
そして今の発言を省みるに、霊夢のやる気のなさは彼の尻尾を触れない事にもあるらしい。恐るべし、モフモフ尻尾。
「で? 最近来ないと思ったら、急にどうしたわけ?」
そんな霊夢の問いに、いつもの巫山戯た雰囲気はなく、いつになく真面目な顔で魔理沙は尋ねてくる。
「なぁ、霊夢。最近妙な妖怪に会わなかったか? こう、獣っぽい。物静かな雰囲気の」
「そうねー。例えばあんな感じの妖怪かしら?」
魔理沙の言葉を遮って霊夢が指差した方向には、
「うん? 私がどうかしたのかい? あ、起きたんだね。さっきはごめんね? まだ調節が上手く出来なくてね。」
水を持った彼が、すまなそうに立っていた。
そして彼を見た魔理沙は、何かを堪えるような、沈痛な表情をして目尻に涙を溜める。
「えぇ!? ご、ごめんね! わ、私も故意にネバネバにしたわけじゃあなくてえぇとあの」
「落ち着きなさいよ。起きた時から、泣き出しそうな顔はしてたわよ。アンタのせいじゃないわ。」
そんなにトリモチ仕様が嫌だったか、と取り乱す彼に落ち着けと促す霊夢だが、やはり魔理沙の事が心配な用でどこか言葉が雑になる。
俯いて帽子を目深に被り、僅かに嗚咽を漏らす魔理沙に、二人は顔を見合わせ首をひねり、ただ泣き止むのを待つことしかできなかった。
結局魔理沙は、日が暮れ始めるまで泣き続けた。
今日はもう遅いから、と魔理沙は来た時より幾分か遅く飛んで行く。
何が彼女に涙を流させているのか。霊夢は泣き止んだ魔理沙に聞くことはしなかった。
彼が「少し冷たいんじゃないかい? 友達なんだろう?」と聞けば、霊夢は当たり前のように、
「別に構いやしないわ。魔理沙が言う気になったら、勝手に言いに来るでしょうから。無理に聞き出そうとして話が拗れると面倒じゃない。残念ながら私は年中暇だしね。話を聞くぐらいの時間はいつでもあるのよ。」
それに、何か問題になるようなら紫が言ってくるしね、と言った。
ぶっきらぼうながらも、確かな友情を感じ彼は何故か満足していた。
まるで、そうなる事を望んでいたかのように。
不思議な感覚に囚われながらも彼は、いつものように霊夢の指示に従い夕食を並べていく。
今日、あの魔理沙と言う子に出会って確信した事が一つある。
(私は、霊夢ちゃん、魔理沙ちゃん、そして紫さんを知っている。以前どこかで会ったことがある…?)
魔理沙が泣きだした時に感じた激しい違和感。
(私は、前に――遠い昔にも、同じような状況で彼女を泣かせたことがある。そんな既視感が、今も脳裏にこびりついて離れない……。)
そしてそれと同じくして、霊夢の尻尾を触っている時の至福の表情、紫の自分の理不尽な強さに対する愚痴。どれも、遠い昔に会った出来事のような気がしてならないのだ。
記憶を失う前の自分なのだろうか。だとすると、何故彼女達は自分に何も言わないのだろうか。
いや、そもそも、永き歳を経た大妖である自分の、『遠い昔の記憶』だとすれば、此処に居る少女達は一体何者なのか。
自分は実は若輩者で、彼女達を知っている存在の転生後の人物だとか?
それとも未来から過去に時間渡航をしてしまって、その影響で記憶を失った?
それとも、それとも―――――
考えれば考える程、思考の渦に取り込まれていく。
尽きぬ疑問を抑えこみ、気分を変えるように、と彼は縁側から月を見上げる。
「三日月…か……。」
見上げた星空には、陽の光を反射し、見事な陰と光を創りだす三日月が。
夜闇を薄く照らしだす月明かりに、彼は憂い顔を見せまいと笑顔を作る。
「ちょっと! 早くしなさいよ、お腹空いてるの!!」
「あ、ごめんごめん。今行くよー!」
あと半月もせずに、満月を迎える。
そんな初夏の出来事である。