プロローグ 境内に現れし妖怪
幻想を生きる者達の、永い永い歴史の物語。
護り守られ、得て失う。
そんな当然の事を、今更ながらに思い知る。
果たして真の幸せとは何なのか、思考の渦に囚われながらも貴方は物語を読み進める。
そんな小説を書きたいなぁ……。 ←希望系
相変わらずの不定期更新ですが、宜しくお願い致します。
もうそろそろ夏にもなろうかという時期。
博麗神社には、二つの影が。
「…………いつまで居るつもりよ。」
片方は、言わずと知れた『博麗の巫女』。博麗霊夢。
「あら、つれないわね霊夢。別に私が居たって構わないでしょう?」
片方は、どこか怪しげな雰囲気が漂う『境界の妖怪』。八雲紫。
二人は縁側に座り茶を啜り、方や愚痴愚痴と、方や飄々と言葉を紡ぐ。
「アンタが居ると、参拝客が寄り付かなくなる。」
「それはそれは。でも、私が見た限りだと誰一人として参拝客は居ないのだけれど?」
皮肉げな口調で言われるが、霊夢は何一つ言い返せない。
事実、今現在――否、ここ数年の間、この博麗神社に参拝客など数える程しか来たことがないのだ。
結果、半ば逆ギレに近い形で目の前の妖怪に言う。
「……紫、いい加減に帰れ。」
「そんなご無体な……、ヨヨヨ。」
が、そんな言葉もどこ吹く風。
わざとらしく泣き真似をする紫に、怒りを通り越して最早呆れすら感じ、霊夢は一人呟く。
「暇ねぇ……。」
そして、時としてその暇な時間はあっという間に崩れ去る。
時の流れとは案外、簡単に変わってしまうのだ。
そう、例えば今―――
―――この『幻想郷』という世界に異物が混じり込んだように。
「んあ?」
今までの静かな時は、『パキンッ』と何かが砕け散るような甲高い音に破られる。
同時に、何やら間の抜けた声が境内から響き渡る。
しかし、その脱力するような声とは対照的に、
「なっ!? 何よこの妖力ッ?!」
「わからないわ…! でも、相手には戦闘の意思があると見て良さそうね…!!」
霊夢と紫は、全身を撫で回すような圧倒的な威圧感の前に、驚きを示すことしかできなかった。
何故なら、境内に響く声の主、その人物は―――
「……え? いや、ちょっと。一体何がどうなっているのかな…?」
―――妖怪の賢者とも呼ばれる紫の妖力をゆうに越しており、出現から今も尚莫大な妖力を放出し続けているのだ。
当の本人は困惑しているようだが、尋常ならざる妖力を目の前にした二人には、それすらも演技に映る。
顔いっぱいに困惑を浮かべ、自分の身体をまさぐり、周囲を見渡し、その人物はポツリと漏らす。
「うん。何も解らない。」
どこか納得したような顔で解らない、と宣言されても二人は困るばかりだが。
そしてその人物は、二人の疑惑に満ちた視線を異にも介さず問いかける。
「そこのお嬢さん方。ここが何処か、って事と、私が誰か、って事を知らないかい?」
問い事態は、至って普通…とは言い難いが、まぁ内容は兎も角何の問題も無かった。
しかし、その人物が喋る度に、身振り手振りをする度に、二人には異常なまでの負荷がかかっていた。
その人物が放出する妖力。その威圧感が、言動や行動の度に圧力を掛けてくるのだ。
まぁ尤も、問いに返答がなく「言葉が通じないのかな…?」などと呟いている人物には、威圧をする気など欠片もないのだが。
「ねぇ、君たち。」
改めて目の前の人物の異常さを理解した二人は、身体を強ばらせながら言葉に耳を傾け―――
「何か食べ物貰えないかな? 少しお腹が空いちゃって。あはは。」
―――脱力した。
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お天道様も高く昇り、もうそろそろ降り始めようという頃。
博麗神社には、三つの影が。
「いや~。何かすまないね、ご馳走になっちゃって。どれもとっても美味しいよ。」
「当然よ。一体誰が作ったと思ってるのよ。」
「それよりも、いい加減貴方の正体を教えてくれませんこと? 名無しの妖怪さん。」
そのうち二つは、前述した通り。
そして新たに増えたその影は、
「うん。その件なんだけどね? どうやら私には記憶が無いらしいんだ。」
事もなさげにとんでもないことを口走る、突如境内に現れた名も記憶もない妖怪。
「判っているのは、私が割りと歳を経た種も解らぬ大妖である事と、恐らく狼の類の妖怪である事、だね。」
突然現れ飯を要求した人物は、無意識に妖力を放出していたらしく、紫が「妖力を抑えてくれ」と言ったら直ぐに放出を止めた。
放出が止まった代わりに、頭部からはピンと張った耳が、腰部からはフサフサとした尻尾が。それぞれ生えてきたのだ。
役職上生物には詳しい紫が、狼のものだと判断したのでそうなった。
まぁ尤も本人は、
「まぁ何でもいいんじゃないかな? 私には一切の記憶がない訳だし、零から始まるよりは違っていたとしても情報が必要だと思うよ。」
などと楽観的な考えで取り付く島もないのだが。
やがて痺れを切らしたか、管理者たる彼女は声を荒げる。
「だから、貴方は一体何のために神社の境内に現れたのか、目的が解らないならせめて私達に対して敵意が無いことを証明していただきたいのですわ!」
紫は、幻想郷の管理者としての態度で問い詰めるが、感情が昂ぶり口調が若干荒くなる。
何故自分がここまで感情的になっているのか。それは紫自身も解らなかったが、それよりも今は目の前の問題だ。
この、自分すらも凌駕する妖気の保持者は、一体何者なのか。
自分の作り上げた理想郷に仇なす者ではないのか。
ただその一点が、彼女は気掛かりだった。
此処は博麗神社。
現実と幻想を隔てる大結界の中心とも言える場所。
こんなところであれだけの力を奮われたら、結界は一分と持たないだろう。
一方、焦燥に駆られる紫とは対照的に、霊夢はといえば。
「ちょっと! 私の分も残しておきなさいよ! アンタのせいでお昼ご飯まだなんだから!!」
「おや。それは悪いことをしたね。まぁ安心してくれていいよ、どうやら私は小食なようでね。既に腹八分目といった所だ。」
「あら、本当に小食ね。じゃあ遠慮無く残りはいただくわ。」
呑気にも――否、博麗の巫女らしく、何事もないように普通に接している。
紫は、「博麗の巫女が、何の警戒もなく未知の妖怪と…!」とも思ったが、彼女が普通に接しているということは、少なくとも彼女の勘はこの人物を危険だとは言っていない事になる。
それすなわち、当面は放っておいても大丈夫、と言う事だ。
尤も管理者としては、素性を調べたり結界への影響の調査など、やるべきことは山のように増えたのだが。
半ば諦めに近い心境で、紫はキチンと食器を台所に持っていく人物に問う。
勿論、管理者としての体面は崩さずに。
「で。名も記憶も目的もない貴方は、これからどうするおつもりなのかしら?」
「そこなんだよねぇ。あるのは馬鹿でかい妖力だけ。人里にも行けそうにないし、適当にふらふらして野宿かな?」
「あら、妖力以外にもこんな立派な尻尾が付いてるじゃない。」
そう言って霊夢は、いつの間に片付けたのか食器を流しに入れて、尻尾に抱きつく。
「紫のとこの式が九尾だったかしら? それを遥かに越えるモフモフっぷりよ!」
歳相応の笑みで、尻尾に全身を埋める彼女には自然と頬が緩んだが、実はそれも紫を悩ませる原因でもあった。
その人物の尻尾は、狼のもであると同時に、複数存在していたのだ。
別に尻尾が複数本ある事自体は然程珍しくない。
歳を経た獣は、特徴をより特徴的に進化させ、やがて妖怪となる。
馴染みのある例で言えば、『猫又』などがその例だろう。
だが、その点においてもこの人物は異常だった。
何故なら―――
「これじゃあまるで、多尾の狼ね。毎日これを堪能出来るなら、しばらくは家の神社にいても構わないわ!」
「本当かい? 行く宛もないし、そんなことで良ければいつでも大丈夫だよ。お言葉に甘えようかな。」
―――この人物の尻尾は、かの有名な白面金毛九尾の狐――通称『九尾の狐』を越える、数えるのも面倒な程の多尾だったのだ。
これまた本人は毛程も気した様子はなく、
「突然変異か何かかな。まぁ害はなさそうだし、特に気にする必要はないんじゃないかな?」
などと至って楽観的である。
そして、さらっとなされた契約に、管理者として見過ごす訳にはいかない紫は、またしても声を荒げる。
「ちょっと待ちなさい霊夢! 何者かも解らない妖怪を、貴方の側に置いておける訳がないでしょう!!」
遂に管理者としての仮面が剥がれ、紫本来の口調で霊夢を怒鳴りつける。
まぁこの場に居る誰一人として、そんな体面のことを気にする者は居ないのだが、そこは幻想郷を管理するものとしての矜持である。
はっきり言えば、紫の意地。ただそれだけ。
「あ、それもそうだね。若い女の子の家に、男が一人住み込むのはよろしくないね。考えが至らなかったよ、ごめんごめん。」
「え、アンタ男だったの? 確かによく見てみれば髪も肌も綺麗だし、細身で声は高くもなく低くもないわね。身長は少し高いなーとは思ったけど、……正直微妙ね。まぁ言われてみれば男に見えなくもないわね。まあまあ格好良いんじゃない?」
「評価が細かいなぁ。まぁ悪くない評価みたいだし受け取っておこうかな。ありがとう。」
少しズレた返答をする彼に、これまたズレた返答をなんでもないように返す霊夢。
「まぁ大丈夫よ、紫が心配するような事は何一つないわ。貴方は安全。私の勘がそう言ってる。それに、私だって弱くないしね。こう見えても私は幻想郷の頂点に立ってるのよ?」
自慢気に胸を張る霊夢に、感心する者と呆れる者と。
博麗の勘は絶対。
先代より受け継がれしその能力は、彼女の強みであり、彼女の弱みでもある。
幻想郷を管理するものとして、紫はそう考える。
近年は、勘に頼り過ぎて、自身の鍛錬を怠っている傾向にある巫女に、この妖怪の介入はいい刺激になるのかもしれない。
この妖怪程ではないが、自分も少し楽観的に考えなければいけないのか。
そう考え、紫は霊夢に再三言い含める。
「いいこと霊夢。何かあったら直ぐに私を呼びなさい。絶対よ、わかった?」
「わかったわかった。何かあったら言えばいいのね、何かあったら。」
「何か起こりそうだったら事前に報告してちょうだい!!」
「………私は別に野宿でも構わないん」
「そんなことしたら(幻想郷が)危険だわ!!」
「そんなことしたら(アンタが)危険だわ!!」
二者二様の叫びに、仲がいいなぁ、と思いつつ苦笑いしいながら彼は改めて頭を下げる。
「では、これから暫くお世話になります。どうぞよろしく。」
片目を目を瞑り不服そうに思案する妖怪と、尻尾を見つめ満足そうにする人間の、相対する二つの視線を受けながら、彼の博麗神社居候が決定した。