その3
――舐めくさりおって!
シャーロットは剣を構え、目の前の男を見た。気だるげに佇立したまま、構えらしい構えも取らず、不敵な笑みを小さく浮かべてシャーロットを見据えている。
ほとんど無防備と言っていいような姿勢で、何故か悠々とした態度でいることが腹ただしい。
この手にする剣はかつてホウキがこの国に授けて受け継がれてきた宝剣だ。そのホウキの剣で、ホウキを殺したという男に引導を下してやると意気込み、剣を握る手に力を込めた。
そして目に物を見せてやる。そんな決意と共にシャーロットは地を蹴り、男へと肉薄した。
相手の間合いに入り、白亜の刀身を思い切り振り上げようと腕に力を込め――転瞬、相手が動いた。
気だるげに開かれている双眸がわずかに鋭くなるのを見た。
そして肩に剣を担いでいたその腕が消える。文字通りの消失――それは剣を物凄い速度で振るったのだと気づいたのは、シャーロットの握っていた剣がその手から弾き飛ばされ、宙を舞って鍛錬場の地面に突き刺さってからのことだった。
――まったく分からなかった。
いつの間にか男が剣を振るい、いつの間にか自分の手から剣が消えていたのだ。シャーロットだけではない。二人の対峙を見据えていたほぼ全員が、何が起きたのか認識していないようだった。
剣を振り上げた姿勢のまま呆然とするシャーロットと観衆を傍目に、男は溜め息交じりに首を横に振った。
「……終わりか?」
それは問い、というより確認の言葉だと理解したシャーロットは当然のように激昂する。
「そ、そのようなことはない!」
シャーロットが叫んだ。弾かれ、突き立ったままの剣の下へ急ぎ剣を引き抜くと、再び男へと突撃した。
先ほどは油断しただけ。今度は冷静に、相手の動きの機微に注意しながら――そう自分に言い聞かせて、シャーロットは男へ切りかかった。
しかし、結果は同じ。
気づいた時には男の剣が見えないほど疾く閃いて、シャーロットの握っていたホウキの剣は彼方へと弾き飛ばされていた。
その後も何度か同じことを繰り返し――結果、すべてが同じ末路を辿る。
勝負に、ならなかった。
そもそも対峙する領域にすらいなかったのかもしれない。男の様子はまるで全力で突撃してくるだけの子供を相手にしているような気配すらあった。
くぅ……と悔しげに眦を吊り上げると、男が言った。
「……悔しいのなら、ご自慢の手品でも使ったらどうだ? もしかしたら、勝てるかもしれないな」
一瞬、何を言われたのか分からずぽかんと呆けたシャーロットだが、それはこのフィムルロードの栄えある魔術を言っているのだと分かった途端、頭の片隅で「ブチリ」と何かが切れたような気がした。
「……何処まで我らを馬鹿にすれば気が済む……貴様は!」
「お前らじゃない……お前だけだ」
さも当然と言う風に男は言った。
もともと遠慮も躊躇もしていなかったが、今の言葉で完全に堪忍袋の緒が切れたといっても過言ではない。
「ならばその手品で藻屑となれ!」
叱声と共に、シャーロットは魔力を開放する。大気に溢れる魔素がシャーロットの解放した魔力に呼応し集束していく。
「おお……!」と歓声が上がった。この国――いや、この大陸でも随一と謳われる魔力を持つシャーロットの膨大な魔力と、それによって束ねられた数多の魔素がシャーロットを中心に巨大な渦を巻いていた。
ちらりと男を見れば、彼はわずかに眉を顰め、何かを訝しむようにシャーロットを見ている。どうやらこの男には今も凝縮し渦を巻いている魔素が見えていないようだった。
ざまあみろ、とシャーロットは心の中でほくそ笑んだ。
――何も見えず、何が起きているのか気づかぬまま死ぬがいい――ホウキの仇よ!
束なった魔素を操り、シャーロットは自分の意図する魔術を発動させる。天空に描かれる巨大な魔方陣。そこから撃ち出される無数の閃光が雨の如く男に飛来する。高密度に凝縮した魔素が生み出した雨。
光の高等魔術《光窮天雨》だ。障壁も張らずしてこの攻撃を耐え凌いだ者はまずいないという広域殲滅型の魔術をただ一人に向けて掃射される。
勝利を確信したシャーロットが満面の笑みを浮かべ――転瞬、その喜色は真逆の物へ豹変する。シャーロットの放った《光穹天雨》は発動から終了まで約十秒間光の雨を数万と降り注がせ続ける魔術だ。自然に降る雨とそれは何ら遜色ない事象を引き起こすもの。対処の術としては魔術による障壁を展開する以外ほかにない。
そして、異世界から来たあの男には魔術を行使するための魔力がない。故に対魔術障壁を展開する術を持たない彼は《光穹天雨》の前になす術もないはずなのである。
そのはずなのに――無数の光の雨の中、その男が飛び出してきたのだ。標的を徹底的に貫き穿つ光の雨の中を、無傷のまま男はその姿を現した。
鍛錬場にいる者たちを襲った衝撃はどれほどのものか想像もできなかった。
あれほどの広域殲滅型魔術を前に、かつて魔術も扱わず無傷のまま抜け出してきた人間など聞いたこともない。
そんなことはあってはならない。しかし現実は確かに目の前にあった。
「……どうやって」
それは問いかけではない。単なる疑問が自ずと口から零れたに過ぎない。しかし、男はその言葉を問いと受け取ったのだろう。彼は小さく嘆息し、剣を器用に指で回しながら言った。
「全部躱した――これで満足か?」
驚天動地の真実をさも当然のように言う男に、シャーロットはその場にへたり込んでしまった。
シャーロットだけではない。成り行きを見守っていたほとんどの人間が言葉を失くして信じられないという風に男を凝視していた。傍観に徹していたアムリタすら、顔に手を当てて空を仰いでいる始末である。
呆然と相手を見上げるシャーロットに向け、男は「何を呆けているんだ?」と首を傾げながら、そうして背後を振り返り、魔術で抉られた地面を見ながら言った。
「……お前は俺があの光の雨の前になす術もないと思ったんだろう。あれが『点』ではなく『面』の攻撃だったら、俺には対処のしようがなかっただろうに。それをしなかったのはそういう術がないのか、あるいは『お前に防ぎようがない』と高をくくったお前の――魔術とやらに頼り切っているお前らの傲慢さ故なのだろうな」
「く……ぬぅ……!」
事実を言い当てられ、シャーロットは悔しげに呻いた。そんな彼女に向けて、男は、
「言っただろう。お前らはその力――魔術とやらに頼りすぎだ。だから魔術が通じないというイレギュラーに対処が遅れる」
そう言うと、彼は手にしていた剣をシャーロットに向けて突き付けた。
「そしてなにより、魔術の準備が整うより先にこうなればお前たちは『詰み』だ」
違うか? そう問いかけるように、シャーロットを、そして周りで見守っていた面々を見渡した。
誰も、答えることはできなかった。
まさにその通りなのだ。
彼の言う通り、魔術は万能なものではない。魔術を行使するには術者の魔力が必要不可欠であり、束ねた魔素を統御する精神力が術の制度と発動速度を左右する。
そして魔術はゼロ秒で行使することはできない。自身の魔力を開放し、そこに魔素を束ねるという行為――《詠唱》は最短でも数秒の時間がかかる。更に高位の魔術を操ろうとすればそれだけ必要な魔素が増え、発動までの時間もまた伸びる。どれだけの研鑽を積んでも、時間は短縮されるがゼロにはできないのだ。
そしてその間、術者はほとんど無防備と言っても過言ではない。魔素を集め魔術の発動に意識を集中させている間は、言ってしまえば致命的な『隙』だ。もし戦場でその瞬間を攻められたら、魔術を行使する者――《魔術使》は何もできないまま死を免れないだろう。
この男が言っていることは至極正しい。
そして、正しいからこそ腹が立つ。
シャーロットは突きつけられた剣を払って立ち上がった。
「貴様にそんなことを言われなくとも、それは百も承知だ。そして、たとえそのような状況になった場合のことは想定している! 何より私にはホウキがこの国に授けてくれた宝剣が――」
「使いこなせもしない得物を手にしていきがるな。刀は力任せに振り回しても使えやしないんだからな。ましてや――《天枢ノ箒》ともなれば尚更だ」
そう吐き捨てるように言い放つと、男は手にしていた練習用の剣を地面に突き立て、代わりに地面に突き立ったままの白い剣を――ホウキの剣を引き抜いた。
それに障るな! と叫ぼうとし――できなかった。
剣を手に取った男は、その剣を見つめてまるで感傷に浸るような、懐かしむように目を細め――気のせいか、その表情が泣くのを必死に堪えているようにシャーロットには見えてしまい、思わず吐き出しかけた言葉を飲み込んでしまう。
しかしそれも一瞬のこと。哀愁の漂ったように見えた男の表情はすぐに元の無表情に戻り、視線だけを剣からシャーロットへ移した。
「ただ力任せに振り回していたって、刀は使えない。そもそもお前の技量じゃ、練習用の剣だってまともに使いこなせちゃいないようだしな」
辛辣な言葉が次々とシャーロットを貫いた。何か言い返してやりたいところだが、実際シャーロットの剣の技量はアムリタから「素人よりはマシば程度」という評価をもらっているくらい酷いものだ。弁解の余地はない。
男が呆れたように溜め息を漏らし、先ほどシャーロットが投げ捨てた剣の鞘を拾い上げて納刀する。
そしてそれをシャーロットへ差し出した。
思わず目を瞬かせ、差し出された剣と男を交互に見る。
そんな少女に向けて、男は言う。
「――あの人に憧れて、あの人のようになりたいのなら……せめてこの刀に恥じないくらいの剣は学べ」
そう言って、男は剣――いや、刀を握る手を放した。宙に投げられた刀を反射的に受け取りながら、シャーロットは男を見上げた。
すでに男はシャーロットを見てはいなかった。視線を周囲に向け、未だに遠巻きに様子を見ていた面々を見て、疲れたように小さく吐息を漏らす。
そして。ふと思い出したようにこちらを振り返って、からかうように言った。
「奔放さと身勝手なところは、もう同じくらいのようだがな」
「――なっ!?」
最早今日だけで何度目とも分からぬ悲鳴を上げ、シャーロットはわなわなと肩を震わせて男を睨み据えた。
やはりこいつだけは相容れまい。
そう思った。




