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WORLD BREAKER  作者: 白雨 蒼
魔女の軍姫と彗星の騎士
4/22

その2


 フィムルロードの王都、アルマディナの凱旋門。その凱旋門をフィムルロード王女率いる王国正規軍《聖輝の剣(レギンレイヴ)》が凱旋していた。

 その先頭を歩くのは、この国の王女――《魔女の軍姫(マレウス・レギナ)》と呼ばれる王位継承者、シャーロット・リム=ロードである。

 その少女率いる軍姫の軍勢を迎える民衆の声に、笑みで答え――不意にその表情が曇ったことに気づいたものはどれほどいただろうか。それでも表面上、少女はただ国境を侵したル・ガルシェの軍隊を退け帰還した将としての表情を崩さなかった。

 しかし胸中は表情ほど穏やかではない。むしろ混乱と恐慌、そして困惑がうちに渦巻いていた。


 ――この気配は、なんだ?


 無数の歓声。群衆の集い気配の入り乱れるこの王都でも最も広い通りである、凱旋門から王城へと通じる大通りは今民衆のほとんどが集まっての出迎えで溢れている。

 それは当然人の気配というものがいつも以上に密集し凝縮し溢れているはず。実際、これまで何度かこのような臣民による出迎えはあった。その時この場に集まる人々によって生じた巨大な気配というものに圧倒されたのを、シャーロットはしかと覚えている。

 しかし今、これだけの大群衆の只中にいるにも拘らず、その大群衆の気配をも呑み込むような、より大きな何かの気配をシャーロットは感じ取っていた。

 民衆の勢いが霞むほどの、圧倒的な存在感と、それ以上に全身を打つ、まるで触れれば容赦なく切り裂かれるような錯覚すら覚えるほどの強烈な気圧(プレッシャー)

 これまで、このような気配を放つような存在を感知したことは一度もない。ましてや此処は王都。シャーロット自身が住まう土地である。このような存在感があろうものなら、気づかないはずがない。

「シャル、どうかしたの?」

「いや……なんでもない」

 すぐ傍らに控えていた補佐官が、わずかな自分の変化に気づいたのだろう。シャーロットは言葉を濁して首を横に振った。その間も、意識はただただその気配の所在を追っていた。

 正直、この王都にするほとんどの人間がこの場に集っていることは逆に有難かった。普段なら数万の気配が都市全体に散漫していて探すのに苦労しただろう。

 故に、その気配の所在を辿るのにそう時間は必要なかった。

 気配ははるか前方。

 小高い丘となった場所。そこに鎮座する王城の傍ら――この王国の聖域と呼ばれる場所から。

 ――聖殿からか?

 視線が自然と持ち上がり、そして眼球が零れ落ちるのではないかというほど見開いた。

 誰も、あれに気づいていないのだろうか? そう疑問を感じながら、シャーロットはその視線をわずかとも反らすことなくそれを凝視する。

 巨大な、本当に巨大な光の柱。

 この地に溢れる霊的素粒子――魔素(マナ)が凝縮したようなその巨大な光柱が、王城の傍らから立ち上っているのが、シャーロットの目にははっきりと映っていたのだ。

 だというのに、誰もそれに気づいた様子がない。

 急がねば。そう思うのだが、現状ではそれもままならない。思わず歯ぎしりするが、そうしたところでどうにもならなかった。

 ただ早く、早く。

 そう胸中で呟きながら、シャーロットは最早表情を繕うことも忘れ、険しい面持ちで光柱を見据えていた。


      ◇◇◇


 大瀑布のような光に呑み込まれたと気づいた時にはもう遅かった。状況を把握しようと脳を働かせるが、こんな不可思議な現象を体験するのは完全に初めてのこと。

 光に呑まれる――など、それは情人が体験しうるあらゆる事象の遥か外の領分だ。最早何が起きているのか全く分からない。

 だが同時に、全く逆の部分で彗は冷静だった。

 流されている。自分の思いや思惑とは全く関係なく、多くの人々がそうであるように。彗もまた成り行きという波にただ流されるだけ。

 抵抗したところで何も変わらない。どうせ足掻こうと人間一人ではできることなどたかが知れている。


 ――まあ、どうにかなるだろう。


 酷く投げやり気味に、彗はそう自分を納得させた。

 と同時に、視界を覆っていた光が薄れ――目の前に突如水面が広がった。

 思わず、ぎょっと双眸を見開く。しかし状況は何一つ好転するわけでもなく、突如中空に放り出された彗の身体は、その水面目掛けて真っ逆さまに落下し、大きな水柱と水音を伴って投げ出される。

落下した水場は思った以上に深かったらしく、彗の全身が沈んでもなお足が届かない程度の深度があった。

 予想もしていなかった展開にわずかに反応が遅れ、呼吸を止めるのを忘れたため大量の水を飲み込んでしまい当惑しながら、何とか水中で姿勢を立て直して身体の上下を正し、水面を目指して身体を浮かせる。


「ぷはっ!?」


 水面から顔を出すと同時に一気に酸素を肺に取り込もうと息を吸った。まだ器官に残っていた水も一緒に飲んでしまい、反射的に咳き込みながら彗は辺りを見回して、水から上がれる場所を見つけるとそこに向かって泳いだ。

 水から這い出るように、彗は自分の身体を固い地面に投げ出す形で上がると、忌々しげにずぶ濡れになった全身を見下ろして舌打ちする。

「くそ……散々だな、今日は」

 制服の上着を脱いで、雑巾のように吸った水を絞りながら彗はおもむろに周囲を見回して――

「……何処だ、此処は?」

 誰にともなくそう声を漏らした。

 ただ、少なくともこの場所が日本の何処かでないことだけは、彗にも分かる。

 西洋、あるいはギリシャか。石材で作られたのであろう純白の柱に壁。そして床。見た限りでは、この場所はまるでファンタジーによくある神殿のような作りをした建物の中らしい。異様に高い天井は、目算でも十メートル近くあるだろう。それほど高い天井のある建物など、吹き抜けの大型ショッピングモールか、アミューズメント施設くらいだ。

 後者である可能性は否定できないが、だとしたら人気の少なさは説明し難い。まだ建設途中というのなら納得はできるが、見た限りあちこちに修繕の跡や風化の形跡がみられることから、造られてから数年程度の建物にはとても見えなかった。

 ただ、どちらにしても碌でもないことになっている――というのだけは、彗にも理解できた。水切りした上着に袖を通し、濡れた髪を掻き上げながら視線を巡らせ、この無駄に広い水場から出るすべを探す。

 が、それは探すまでもなかった。

 微かだが足音が耳朶を叩く。それも複数で、歩み足ではなく駆け足。


 ……嫌な予感がした。


 間もなく、足音たちが近づいてきて、彗の視線の先――この部屋に通じる大きな扉が開かれる。

 現れたのは、どうみても穏やかとは程遠い、手に長槍を、腰に剣を吊った物騒な者たちだった。白と黒で彩られ、金の縁取りが施された衣服――おそらくは制服、此処の警備の人間だろう――を着た男たちが合わせて五人。

 彼らはこの大部屋のど真ん中にずぶ濡れの状態で突っ立ている彗を見つけた途端、慌てた様子で武器を構えながら室内に駆け込んできた。


「貴様、何者だ! どうやって此処に侵入した!」


「さあな?」

 そんなものはこっちが知りたいくらいだ、と胸中で小さくぼやきながら、彗は特に言葉を返すこともなく肩を竦める。

 しかし、そんな彗の態度を挑発と受け取ったのだろう。警備――いや、衛士たちが肩を怒らせて顔を真っ赤にして「ふざけるな!」と怒号した。

「取り押さえろ!」

 衛士の一人が叫ぶ。その声へ呼応するように、彼らは一斉に動いた。槍が二人、剣が三人。それぞれがお互いの攻撃を妨げないよう時間差をつけての連携。訓練されたその見事な連携に内心で賞賛の言葉を贈りながら、彗は無造作に右手を一閃させ、同時に上へと跳んだ。

 一番間近に迫っていた斬撃を横殴りに弾き飛ばし、残りの攻撃を上に跳躍することで回避する。

 衛士たちが驚愕に目を見開くのを見下ろしながら、彗は音もなく剣を手にしていた衛士の真後ろに着地すると、そのまま振り返り様に衛士の頭に肘鉄を叩き込み、更にその手を伸ばして衛士の手に握られている剣の柄を捉えると、反対の腕で剣を握る衛士の手を強打。突然の痛みに顔を歪めるその鼻柱に拳打を打ち込み、怯んだ隙に剣を奪い取る。

 無手になった衛士の腹に蹴りを飛ばし、背後で呆気に取られている衛士――近くにいた槍持ちの二人へと姿勢を低くして肉薄した。速すぎる彗の挙動に追いつけずにいる衛士の死角から飛び上がるようにして立ち上がり、同時に奪った剣を二度振るった。

 狙ったのは衛士――ではなく、衛士の握る槍だ。

 疾風の如き斬撃が鋼の槍を捉え、そしてほんのわずかの抵抗も許さずその槍の穂先を切り落とす。

 カラン……という音が辺りに木霊し、彗と対峙していた衛士たちは動きを止め、その両目を呆けたように瞬かせていた。あまりにめまぐるしい変化に理解が追い付いていないらしく、呆然とした様子の衛士たちを放置して、彗は剣を手にしたまま開け放たれた扉を目指して駆け出した。

 あの手の手合いはいちいち相手にしていても時間の無駄だ。それどころか無用に時間を浪費して増援が来たら、それこそ逃げ場がなくなってしまう。

 判断も決断も一瞬。後悔は後からすればいい。彗は迷わず開いたままの扉に体当たりする勢いで突っ込み、その先へと踊り出る。

 広い、無機質な廊下が左右に広がっていた。右か左。考えるよりも先に身体が動いた。

 同時に、ようやく事のしだいに気づいたらしい先ほどの衛士たちの困惑気味の怒鳴り声が背後から聞こえたが、戻る義理もない彗は振り返ることもせず廊下を走り出した。

 不思議と、迷いはなかった。どの道を行くか。その決断に躊躇もない。

 始めて来たはずの場所なのに、まるでずっと昔から通いなれたような――そんな錯覚すら覚えるほどだ。

 何故だろうか。

 答えはない。

 だけど彗はその歩みを一度も止めることなく、目的地目掛けて廊下を走り抜ける。

 目的地など、存在するわけもないのに。

 だけど彗は走り抜け、その場所へと辿り着いた。異様に開けた広い空間。高い天井に、部屋の奥のほうが段差のあるその場所。段差の上には目立つ、豪奢な椅子が一つ。

 まるで王の座す謁見の間のようなその空間を埋めているのは、おそらく彗を待ち受けていたのであろう、武装し構えた人の山だ。

 (しん)……と静まるその人並みの中、彗は奪った剣を億劫そうに肩に担いで無行の位を取りながら、ふと視線を持ち上げて――その人物を見た。

 女、というにはまだ若い。おそらくはまだ若い少女だ。しかしこの場にいる多くの人間の中で、一層濃い気配と存在感を醸し出すその少女。

 黒い唾付き帽子が最初に目に飛び込み、続いたのはその長い癖のない金髪。肩には黒衣を羽織り、纏っている衣装は少女の周りに隊列を組む一同と同じ造りで色の異なる軍服。

 だが、それよりも彗の興味を引いたのは、少女の手にしている一振りの剣――否、刀だ。

 純白の鞘に柄。白に統一された意匠の施されたその一振りの刀。その刀に、彗は見覚えがあった。

 若干使い古されているように見えるが、それでもその拵えはかつて、物心ついて間もない頃に一度だけ見た彗の記憶と合致する。


 空凪古流五十八代目当主候補、空凪(ほうき)が為の一振り――《天枢(てんすう)(ほうき)》。


 ――何故、こんな場所(ところ)にある?


 かつて母が手にし、そしていつの間にか消失(なく)したと言っていたはずの、彼女のための刀が。


      ◇◇◇


 聖殿に賊が入り込んだという知らせを受けて、王城から通じる唯一の通路がある場所――謁見の間にシャーロットが辿り着くのと、その賊が謁見の間に姿の現したのは殆んど同時。

 飛び出してきたその賊を見て、シャーロットがまず目を奪われたのはその髪の色。疾風の如く謁見の間へと颯爽と飛び込んできたその人物は、一見して老人か何かではないかと見紛うほどの真っ白な髪をしていた。更にその身に纏う気配もまた胡乱で、老練の佇まいを見れば、誰が彼を若者と思うだろうか。

 ゆっくりと剣を肩に担いだその影が顔を上げる。そこで初めてその影が男だと気づいた。線の細い、男か女か分からない中性的な顔立ちをした、まだ若い……少年と青年の狭間にいるような歳だろうと――状況を鑑みればあまりに場違いな推測をする。

 長い白髪の間から赤い目が覗き――その目と視線が交錯した。そしてその視線が若干逸れた次の瞬間、その赤い双眸がわずかに見開かれるのを、シャーロットは確かに見た。

 いったい何を? そう思って彼の視線を追った先は、自分の右手。そこに握っている一振りの剣だった。

 そして、シャーロットが賊の視線の先に気づくのとほとんど同じくして賊は動いた。立った姿勢が前傾姿勢になるかのように傾いだ刹那、賊は飛燕を彷彿させるような尋常ならざる素早さで目の前の衛士たち目掛けて突撃していた。

 最前で槍を構えていた衛士たちが、ほとんど反射的に握る槍を賊目掛けて突いた。複数の槍によって生み出される槍衾。本来ならば近づくことなど避けるべき戦術に対し、その賊は槍衾目掛け、手にする剣を物凄い速度で薙ぎ払った。

 一本の剣と複数の槍が()ち合い、鈍い金属音が一帯に響き渡ったかと思うと――続いたのは無数の槍の柄が粉砕された音だった。

 瞬間、誰もが目を見張る。当然だろう。まさか一本の剣の斬撃に、複数の槍が一撃で粉砕されるなど夢にも思うまい。

 更に賊は槍を粉砕すると同時、驚嘆する衛士たちの間を縫うように身を低くして疾駆し、敵陣の只中へと飛び込んだ。

 一見愚作に見えるが、これほどの大人数を一人で相手をするのなら、正面で対峙するよりの陣中に飛び込んで攪乱するのはあながち間違っていない。

 まあ、最善の策はこの場から逃げるという選択肢一つなのだが、それをしない辺り、相手の行動はやはり読めない。

「姫様、お下がりください。どうやら思った以上に腕が立つようです」

「……う、うむ」

 側近である副官に促され、シャーロットは渋々といった様子だが大人しく彼女の言葉に従った。

 確かに、あの男は随分と剣の腕が達者なようだ。それも武術はあまり突出しないフィムルロードの兵を相手にしていることを差し引いても、あの白髪の賊の腕は並々ならぬものに見えた。

 故に、不思議に感じたのだ。どうして、聖殿に忍び込んだのか――と。

 先の一瞬、賊の狙いはこの剣なのかと推察もしたが、この剣は確かにこの国の宝剣として扱われているが、その実武器としての価値はそれほど高くない。武器としての能力も値打ちにしても、この剣以上のものなどこの国の宝物庫には幾つも存在するはずだ。

 そもそも、この国で最も神聖な場所と言われる聖殿に賊が忍び込んだということ自体が、シャーロットには解せないことだった。

 あの場所はこの国で最も魔素の満ち溢れる場所であり、この国の建国時代から聖域と定められてはいるものの、金銭的価値のあるものなど何も存在しない。もし魔素そのものが狙いというのなら、まあ分からないでもないのだが……実際は聖殿の地下にこそ魔素の源泉があるため、聖殿自体には大した意味はない。ましてやただ水が引かれているだけの《招きの間》になど忍び込むだけ無駄――

 そこで、シャーロットははたとあることを思い出した。そう。衛士の報告によれば、賊の現れた場所は《招きの間》と呼ばれる清水が溢れている禊場である。

 忍び込んだ場所ではない。現れた場所である。

 では何処から? そんな疑問は考えるまでもなかった。《招きの間》とは、文字通り『何者か』を『招く』場所である。

 そして彼は、その『招かれた者』なのかもしれない。

 だが、それが分かったところでもう遅い。何せ彼はもう、派手にやらかしているからだ。

 シャーロットが後方にわずか下がる間に、賊である男はその剣で自分の部下を、臣下を大分蹴散らしている。

 これは、とても看過できるものではない。

 何より、シャーロット自身が我慢ならなかった。いや、むしろここまで自分の臣下が蹴散らされている状況を目の当たりにして、何もするなと言う方が無理というものだ。

「退け、お前たち! 私が相手をする!」

「ちょっ、姫様!?」

 少女の傍らに控えていた女性が静止の声をかけるが、すでにシャーロットはその程度で止まる気はなかった。あの賊を蹴散らさなければ気が済まない。そう考えると、少女の口角は自然と持ち上がっていく。

 その波ならぬ気配を漂わせたシャーロットの様子に臆したのか、あるいはただ少女の命に従っただけなのかは分からないが、賊とシャーロットを隔てていた隊列が自然と左右に動き彼女の道を開いた。

 同時に男も静止する。周囲を薙ぎ払った姿勢のまま、唐突に動きを止めた一団と、それを統制したシャーロットを訝しむように見据えていたが……やがて静かに姿勢を正してゆっくりと剣を持っている手を――剣を片手正眼に構える。

 まるで挑戦、のようにシャーロットには見えた。


 ――面白い! 


 受けて立つと決めると同時に、シャーロットは左手を頭上に翳した。そして意識をその先に集中し、意識する。自分の意識を自分の中に溢れる魔力に通し、大気に溢れる魔素をその掌中へと収束させる。

 シャーロットの最も得意とする戦闘術――即ち《魔術(マギア)》である。

 そして光球は魔術の中でも基礎の基礎。もっとも単純な魔素の塊をその手に生じさせた。生じた光の球体は、見た目は掌大がその威力は大砲の砲撃にも匹敵する。

 周囲が歓声にどよめく中、その賊だけは不可解なものを見るような視線でシャーロットの発動した魔術――《霊球弾(スフィア)》を見据えていた。見据えて上で、彼は何の気負いもないような気だるげな面持ちでこちらを見ている。

 おそらく、この男は魔術というものを知らない。つまり、男にとって今シャーロットの掌中にある《霊球弾》は初めて見る未知のものであるはずだ。だというのに、男はその『未知』に対して微塵の恐怖も抱いていないように、シャーロットには見えた。

 まるでそんなもの恐れていない。恐れるに足らない。そう言われているように感じられ、何故か腹の底が苛立ちと不愉快――全部ひっくるめた不快感に苛まれた気がしたシャーロットは、眉間に皺を寄せながらそれでも余裕をなくすまいと意識して笑みを浮かべ、


 ――いい度胸だ。とくと思い知れ!


 頭上に掲げる《霊球弾》を、その男目掛けて投擲の動きと共に解き放った。解放された魔術が文字通り砲撃の如く男へと一直線に突き進む。音速にも届く魔術の速度相手では、魔術の使えない人間では抵抗する術もないはず。

 シャーロットはもとより、成り行きを見守っていたすべての者が、賊の敗北を確信し、その表情を喜色に染めて――次の瞬間、その色は驚愕の一色へと変貌した。


 男を狙って放たれた《霊球弾》は断ち切られた――文字通りの斬断である。


 想像だにしていなかった展開に、シャーロットは勿論、その場にいた一同全員が呆然自失といった様子で言葉を失ってしまっていた。

 ただ一人――《霊球弾》を両断するという荒唐無稽な信じられないことをして見せた当の本人を除いて。

 それだけの超絶的なことを遣って退けた賊――白髪の男は、まるで何事もなかったかのような涼しげな表情でこちらを見ていた。

 異様に癇に障った。何故だろうか。この男の雰囲気が、その表情が、異様に癇に障り――そんなことで苛立っている自分に対しての苛立ちが、胸中に渦巻いていた。

 特に、その目が忌々しい。白く長い前髪の間から覗く紅の双眸。そこに宿っている暗澹とした――その諦念の気配。まるですべてを諦めているとでも言いたげなその瞳が、どうしようもなくシャーロットに苛立ちを生じさせている。

 ――お前は、なんだ?

 言葉になく、シャーロットはそう問うた。勿論返答はないのは分かっていた。代わりに向けられたのは、言葉ではなく刃だ。

 男が剣を持ち上げ、構えを取ると同時に床を蹴って一直線にシャーロットへと向かってくる。まるで先ほどシャーロットの放った《霊球弾》と同じ軌道で、それに並ぶくらいの速度で迫り来る。

 魔力を束ねているのでは間に合わない。シャーロットは反射的に手にしている剣の柄を握り――抜刀。純白の刀身が陽光に晒されて眩い光を一つ放つ。

 わずかに、男の鉄面皮が歪んだ。その表情の意味がシャーロットには分からなかった。嬉しさと寂しさと懐かしさ。そのすべてが入り混じったような、そのどれでもないようで、そのすべてが混じったような表情。

 迫り来る男に向けてシャーロットは剣を振った。扱い辛い曲刀だが、それでも使わないよりはマシだ。

 対して男は軍普及品の長剣を稲妻のような速度でシャーロットへと切り下し――


「――両者、それまで」


 その声はまるで天啓のようだった。

 男の神速に等しい斬撃がピタリと止まり、シャーロットも剣を振るう動きを静止させてその声の主を見る。

 その声の主は、シャーロットもよく知る人物だった。

 喪に伏したような漆黒のドレスに身を包んだ、まるで修道女のようなヴェールを被った老女――シャーロットの祖母であるディアメル・リム=ロードである。

 玉座の傍らに佇む彼女は、ゆっくりとした歩みで男の下へと歩み寄る。そこに警戒の色はなく、彼女もまた、先ほどの賊と同じような、何かを懐かしむような表情で男を見ていた。

「お、お婆様!? 危険です!」

「公の場ではせめて太后と呼びなさい、シャーロット」

 あまりの無防備な様子に困惑するシャーロットを一喝し、ディアメルは白髪の男の傍へと歩み寄り、彼を見て言った。

「……剣を収めては頂けませんか? 異邦の御方よ」

「……そっちが武器を収めるのならば」

「よろしいでしょう」

 ディアメルは大仰に了承を返し、スッ……と手を翳すと周囲で身構えていた衛士も兵たちも一斉に構えを解き、隊列を整え整列する。出た一人、シャーロットを除いて。

 シャーロットだけは男に向けて未だ嫌悪感と敵意を剥き出しにしたままだが、ディアメルはそれを一瞥して、呆れたように溜め息を漏らした。

「まったく……もう少し淑女らしい立ち居振る舞いをしてはどうですか? シャーロット」

「私は何も悪くなどありません。すべてはその賊に非があります。私の部下を、そしてフィムルロードの臣下に手傷を負わせた不届き者です」

「ならばこちらは無礼者となるでしょう。《招きの間》にて召喚された客人に、知らなかったとはいえ刃を向けたのですから」

 ディアメルの何気ない言葉に、しかして周囲は一瞬で騒然となった。「《招きの間》だと……!?」「召喚って……!」「では、彼が?」口々に飛び交う言葉はどれも要領を得ないが、皆がディアメルの言葉に何を連想したのかは、とうの昔にシャーロットも推測してはいたが、今祖母の言葉でその推測は確信に変わった。

 そして、皆が騒然とするその中で、その渦中の人物である当の本人――白髪の男は、そんな周囲の様子になどまるで興味がなさそうに小さく嘆息していた。

 そんな彼に向けて、周囲を余所に祖母ディアメルは彼に向けて恭しげに、それでいてどこか親しみを込めた様子で小さく頭を下げた。


「――我が古き友の所縁の者よ。よくぞこの古き盟約の地、聖王国フィムルロードへ」


 このフィムルロードにおいて、一、二を争う権力者の敬礼の言葉を賜った男は、その言葉に何か言葉を返すこともなく――ただ、わずかに戸惑ったように、あるいは煩わしがるように眉を潜めただけだった。

 そしてその態度は、シャーロットにとってこの上ない決定打ともなった。

 決して相容れることはあるまい。

 そう、シャーロットは確信したのである。




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