その2
――固い。
内心でそんな感想を抱きながら、しかし彗は手にするファーレスの魔剣《夢の失落者》を立て続けに振り下ろした。
ガキンッ、という鈍い金属音が反響する。だが、斬撃は通る。同じ個所に振り下ろす回数はおよそ二十から三十。完全同位。そこに剣を叩き込めば、如何に鋼の肉体を持つ擬神機であろうと傷はつくし、破壊も可能。
……その所作に要する労力と集中力は並みならぬものとなるが、それくらい遣って退けられなければこの化け物染みた機械の竜を倒破するなど夢物語もいいところである。
「……にしても」
ぼやきながら、彗は機竜を見上げた。全長にしておよそ数十メートル。形状は西洋のドラゴンというより、東洋に伝わる竜の姿型。おかげで頭部に辿り着くのが非常に億劫になる。
だがそれよりも気になることと言えば、
「――変形合体か。ロマンにあふれてるな」
皮肉気に微笑み、彗は肩を竦め納得した。
道理で城下に擬神機の姿が見えないわけである。この巨大な竜は、無数の擬神機の集合体なのだ。数十数百と投入された擬神機が合体した姿なのである。
幸か不幸か、戦闘力は途方もなく高まったが、数は大幅に激減している。おかげで城下に擬神機の姿はほとんど見えない。先ほどから《聖輝の剣》たちが城下の人々を避難誘導しているのが見える。まさに不幸中の幸いだろう。
と言っても、彗のすることはどの道変わらない。
目の前の化け物を倒す――それだけである。
と言っても、
「……流石にこのままじゃあ面倒臭いな」
一箇所に傷をつけるだけで相当の時間を要する。このままではこの機竜を倒すよりも先に擬神機が城に――その奥にあるこの国の聖域とやらに到達してしまうだろう。
どうするか思案する……が、その必要はなかったに等しい。
――ああ、あれがあったか。
思考の――記憶に奥底。そこに埋没していた一つの力。かつて修得したものの、その力の使い道が現代社会では無用の長物と化していたその力のことを不意に思い出した。
機械の体躯。その上に立ちながら、彗は手にする剣を見下ろした。
ファーレスの魔剣《夢の失落者》。尋常ならざる硬度を持つ剣。空凪の刀ではないが、この剣ならば可能だろう。
そう納得すると同時、彗はふっ……と苦笑を漏らす。
きっと、本当ならばこんな剣は不要なのだ。彗のいる世界では、特に法治国家である日本では、今や剣を習得する必要すらない。更に人ならざる化け物用の技法などあるだけ無駄だというのに、それを伝承し続ける空凪という一族こそが異常だろうとずっと思っていた。そして、それは今も変わらない。
だが――
「こういう事態になる可能性はゼロじゃない……か」
そう。可能性は決してゼロではない。
それが例え小数点以下のゼロの桁が数百並ぼうと、決してゼロになりえないのだと思い知る。そして、そういう事態に陥った場合、戦える力を持つ者は、その力を振るう義務が生じるのだろう。
そしてそれが今なのだと、そう実感する。
――剣を握るということ。それがどういう意味か、分かる?
母の言葉が脳裏に過ぎり――そして彗は笑った。
憎たらしそうに、そして楽しげに。
「――分かりませんよ」
呟きながら剣を水平に構える。
「――これが、初めてなんですからね」
――他者のために、剣を振るうのは。
不敵な笑みを深めながら、彗は意識を研ぎ澄ます。
そして脳裏に封じていた技法を、内より開放する。
――空凪古流、祓刀式。
◇◇◇
「これは……」
擬神機を操るアムリタが、はっとしたように顔を上げて彼方を見据えた。
それはシャーロットも同じだった。いや、シャーロットだけではない。レイフォールも、《聖輝の剣》の一団も、そして擬神機すらその気配のする彼方へと視線を向けた。
謎の魔力源。
その場にいる皆が驚愕し、息を呑む中、シャーロットだけは楽しげに微笑んでいた。
スイだ。シャーロットは何故かその魔力の主が彼だと確信した。
理由などない。ただ何となくそう思ったのだ。
――まったく、何処までも私を驚かせるな。
口角を吊り上げながら、視線を辺りに巡らせる。
皆の視線が、聖域の壁に阻まれた彼方へと向けられているのを見、そして擬神機たちが動きを止めているのを見た刹那、シャーロットは叫んだ。
「擬神機が動きを止めている! 今のうちに叩き潰せ!」
人間はともかく、気配を感じるなどという感覚的機能を持つはずのない擬神機すら視線を剥ける理由はただ一つ。
その気配は酷く魔力に似ていたのだ。しかも並みの魔力ではない。その大瀑布の如き圧倒的な気圧感。その魔力の気配の強さは、シャーロットのそれと同等か、あるいはそれ以上の強いものだった。
故に、強い魔力に反応し、標的を特定する擬神機たちは自動的にその強力な魔力の気配に反応したのだ。
そうして無防備になった擬神機たちを前に、シャーロットの劇に反応した《聖輝の剣》たちは即座に擬神機たちの制圧にかかる。無数の魔術が鋼の体躯を襲い、剣や槍が叩き込まれる。
十数体いた鋼の化け物たちが相当されていくのを見たアムリタが、自分の振りを悟ったのだろう。魔力を練り上げ、魔術の式を具現する。
――転位魔術。
そう悟った刹那、シャーロットが動いた。魔術で妨害するのでは間に合わない。咄嗟に自身の魔力を操り、肉体を強化する。
強化された身体能力。一足飛びでアムリタへと肉薄しながら抜き打ちの一撃。
シャーロットに気づいたアムリタが、咄嗟に魔術の詠唱を中断してシャーロットの刀を自身の剣で受け止めた。
「投降しろ、アムリタ!」
競り合いながらシャーロットが叱咤する。しかしアムリタは渋面でそれを拒んだ。
「ご冗談を。その選択肢を選ぶくらいならば自害しますよ」
「ならば私が引導を下してくれる!」
「貴女が私に剣で敵うと?」
アムリタが嘲るように問うた。
確かに、この国で随一と謳われた剣の腕前を持つアムリタだ。それに比べてシャーロットの剣術はお世辞にも上手いとは言い難いものである――そう、スイが現れるまでは。
余裕の表情を見せたアムリタ目掛け、シャーロットは手首を捻り彼女の剣を流す。互いに競り合うことで拮抗していた力のバランスが崩れ、アムリタの姿勢が大きく傾いだ瞬間、アムリタは予想もしていなかった事態に目を剥いた。
その最中、シャーロットは脳裏に描いたのは、かつて一度だけ見せてもらったホウキの剣技。
天を翔る巨大な星の如き剣閃。
刹那に閃く刃は八つ。
肉体に流れる魔力を意識する。そして強化した肉体を、あの時彗が見せたように動かす。
出来ないとは思わない。
彼が言ったのだ。目指すのあらば、これくらい出来るようになれと。
――やって見せる!
自らを鼓舞し、シャーロットは踏み込むと共に剣を振るった。
手応えが――あった。
神速の踏込みから瞬く間に放たれた八つの斬撃がアムリタを捉え、一瞬の間を置いて血飛沫がその身体から吹き出す。
斬られた本人が驚愕の視線でシャーロットを見下ろしていた。そんな彼女の視線を苦渋の面持ちで見上げながら、そして、寂しそうな微笑みと共にシャーロットは問う。
「――空凪古流箒ノ型、箒星……の、見様見真似だ。どうだ? これでもまだ、お前に敵わないか?」
対して、アムリタは驚き、呆れ、悔しそうにと表情を顰め――最後に微笑んで、言った。
「――いいえ。お見事です……姫……さ……」
その言葉を最後に彼女が倒れる。
咄嗟に前へ出て、その身体を受け止めた。彼女の血で濡れることなど気にもせず、その身体をぎゅっと抱きしめる。そして、
「……ありがとう。さらばだ、アムリタ。私の――」
最後の言葉は小さく、誰にも聞こえないほどか細い声で、彼女の耳元で囁いた。
彼女がどれほど自分を憎んでいたのかなど、シャーロットは知らない。だがそれでもシャーロットにとって、彼女はとても大事な存在だった。
たとえ刃を向けられようと、彼女を憎むことなど有り得ないのだから。
抱き留めたアムリタをそっと地面に寝かせ、シャーロットは刀を鞘に納めながら振り返る。瞬く間に《聖輝の剣》によって破壊された擬神機が山のように転がっている。最早動く擬神機は何処にもなかった。
それを見たシャーロットは即座に激を飛ばす。
「よし、状況終了! 総員ただちに城内および城下のほうへ迎え! まだ終わっていないぞ! 駆け足!」
『了解!』
一斉に声が上がり、駆け出す姿を見送る。
「姫様」
いつの間にか、レイフォールがすぐ傍にいた。彼は地面に横たわるアムリタを見下ろし、暫し目を瞑る。
「せめて冥福を祈るくらいは、許されるでしょう?」
「たとえ神が許さなくとも、私が許そう。誰にも咎めさせはしない」
血に塗れてはいるが、その死に顔は志半ばに倒れた者とは思えないほど穏やかなものだった。
二人はしばらくの間アムリタの傍で瞑目し――そしてレイフォールは立ち上がってシャーロットへ言った。
「さあ、参りましょう。まだ戦いは終わっていません」
シャーロットが頷く。
「そうだな。急がねば、活躍の場をすべて持って行かれてしまう」
シャーロットの冗句に、レイフォールは微苦笑しながら返す。
「というより、きっと全部持って行かれますよ。歴史がそれを証明していますし」
「違いない!」
快活に笑いを返し、レイフォールを引き連れシャーロットは駆け出した。
◇◇◇
空凪古流、祓刀式。平安の時代、魑魅魍魎が跋扈した都を守るために考案され、人外の化け物を討つために生み出された、破魔・退魔の武技。
そしてそれを成すのに不可欠な力が、空凪の秘奥である《練気》である。その原理はこの世界の魔力と酷く類似する。肉体に流れる生命力。通常で生きている限りそれが百パーセント活用されることはまずない。必要なのはせいぜいが二割から三割程度。つまり、残りの七割はほとんど使われないまま体内を循環し続け、ただ有り余り続けるのが人間である。
そして火事場の馬鹿力というのは、その有り余っている生命力をフルに活用することで発揮されるものだ。
空凪の《練気》とは、それを意図して発揮する技法である。本来意識して発揮できるものではない力を意図して発現し、その力の影響に耐えるための肉体改造である。
故に、空凪は人間を逸脱する。人間を超越し、人ならざるものを討滅する。目に目を。歯には歯を。化け物には化け物、というわけだ。
「……それでも物足りない気がするがな」
皮肉を零す彗の全身が淡い光に包まれていた。本来使わない生命力を意図して具現したことを顕著に示す《練気》の光。魔を滅する破邪の光だと伝えられているが、正直眉唾物だ。
だが、その真偽はさておいて、機竜が突然動きを止め――じろり……とそのらんらんと光を放つ瞳が彗を捉えていた。
「ようやくこっちを見てくれたか。無視されていて泣きそうだったよ」
今日の自分は酷く饒舌だと思う。まあ、口から零れるのは皮肉ばかりだが、すこぶる気分が良いのだ。
「ならダンスといこう……あまり長いのは、ごめんだがな」
にぃ、と笑いながら剣を構えた。手にする漆黒の魔剣も彗の練気の光を帯びて淡い白の輝きを発している。
機竜が吼えた。同時にその口内から無数の閃光が吐き出される。
彗も同時に竜の背を蹴り駆け出した。目指すはその猛々しく吼える竜の頭部。だが目指す最中も竜の身体を切り刻むことを忘れない。
斬撃が躍った。先ほどまで斬るのに苦難していた鋼の身体が、まるで熱したナイフでバターを溶かすように易々と斬断する。
瞬く間に竜の体躯へ無数の刀傷が刻まれていく。しかし機械である竜に痛覚はなく、どれだけ傷つけても痛みに苦しむ様子はない。それどころか機竜は無数の閃光を打ち出し、更に頭頂に銃口が設置されているのか無数の弾丸まで撃ち出して来る始末である。
だが、所詮火薬で撃ち出された弾丸。今の彗には避けることなど造作もないことだ。
閃光の雨を回避し、更に弾幕の如く放たれる銃弾を剣で叩き落としながら竜の体躯に次々と斬撃を見舞う。
銃弾の雨を前に大きく剣を薙いだ。剣風が吹き荒れその弾丸を吹き飛ばす。しかし矢次に放出される弾丸の嵐は彗の剣速すら凌駕した。
「伊達や酔狂で戦略兵器とは呼ばれない――か」
ご丁寧に生えている背鰭を盾にして銃弾を凌ぎながら嘯き、手にする剣を一瞥し、自分の状況を鑑みる。
《練気》は当然ながら無限ではない。その根源が生命力である以上、体力精神力共に消費し続けて持続させている――つまりはドーピングである。出血する代わりに自分の力を高めている、そういう諸刃の剣のような技法。
持続時間は最大で十分前後。それ以上は彗の肉体の限界を超える。そうなれば打つ手なしである。
何か策を――そう一瞬考えたのだが、
「――考えるだけ無駄か」
ぼやきながらパシッ、と掌の上で剣を回転させ、それを逆手に持つ。
どんな小細工をしてもこれだけデカイ化け物相手では児戯も同じ。竜尾から此処まで走りながら剣を叩き込んできた。結果として竜の体躯には無数の刀傷が刻まれている。
これならば圧倒的な衝撃を叩き込めば勝手に自壊するだろう希望的観測をし、残るは上半部を破壊すれば事が済む。
考えた彗は覚悟を決める。
思い出す。このような状況下にもしあの母が陥ったなら、きっと小細工などせず持てる限りの全力で容赦なく背滅することを選んだだろう。何せ派手好きなのだから。
こういう土壇場は、その方が正しいのかもしれない。
「なら、前例に倣おう。どうしようもなく、この世界では、俺は『英雄の息子』のようであるし――」
研ぎ澄ます。全神経を剣へ集中する。それに呼応するように彼の纏っていた《練気》の光が刀身に収束し、眩い輝きとなって明滅した。
「――それらしい演出を、してやろうか」
嘯き、彗は逆手に握った剣を大降りに振り上げた。
空凪古流、祓刀式――八束祓。
刹那、巨大な斬撃が疾った。彗の放つ《練気》。それがそのまま刃となって竜の身体を超神速で疾走する。鋼の鎧を容赦なく駆け抜け粉砕していく斬撃を見据え、自分も充分ファンタジーの領分にいるなと自虐的に苦笑しながら、彗は逆手に持っていた剣を構え直し、自周囲に分散した《練気》を上段に構えた剣へと収束させる。
駆け抜けた《練気》の斬撃すらもが剣の下へ回帰し、彗の手にする剣が最早目視不可能なほどの眩い光となって周囲を飲み込んだ。
膨張した《練気》の塊。それを乗せた剣を振り下ろし、そして《練気》を純粋な破壊エネルギーに変えながら開放する。
空凪古流祓刀式秘奥――八束剣。
練り上げた《練気》を開放する、ただそれだけの一撃。
あたかも新世界の誕生を思わせる輝きが機械仕掛けの竜の身体を容赦なく駆け巡り、一切の抵抗も許さず斬砕していく。
瓦解していく竜の背の上で、彗は剣を振り下した姿勢のまま微笑んだ。
自分の持てるすべてを出し切ったという満足感に酔いしれそうになるのを必死に堪えながら、くつくつと笑いを零し、頭上を仰ぐ。
「英雄……ね――俺じゃ役者不足だ」
――ヒーローと呼ばれるには根暗すぎる。そう思うでしょう?
〝私には遠く及ばないわね〟
気のせいか、母の笑い声が聞こえた気がした。
悪い気は、しなかった。