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WORLD BREAKER  作者: 白雨 蒼
魔女の軍姫と彗星の騎士
2/22

序幕 『凶刃』

  

「――剣を握るということ。それがどういう意味か、分かる?」



 その時は「分からない」と、そう答えたことだけは覚えている。

 しかしそれは、その後に起きた事情があまりにも強烈だったが故、なのかもしれない。後に、少年はそう思った。


 ――刃物というのは凶器だ。


 それは誰が使っても変わることのない純然たる事実であり、永久不変の真理である。故に、それを手にするということは、自分をはじめ、自分の周囲にいる誰かを傷つける可能性が大小問わず存在することを意味する。

 ましてや、それが刀という――人を切ることという、ただそれだけの為に造られた道具であるのならば尚更である。

 少年の手にしているそれは、まぎれもなく刀と呼ばれる武器だ。

 ただし、人々が認識する刀よりも若干短い――世に小太刀と呼ばれる刀より短く、脇差よりも長い、中間に位置する小刀である。

 それでも、七歳の子供が手にすればそれは十分な尺寸を持つ刀と言っても過言ではない。

 少年は小太刀を右手に、それよりもはるかに短いナイフ程度の長さの小刀を手にし、悠然とそれを構えた。

 幼い――まさしく児戯のような構えを見て、対峙するその人は可笑しそうに微笑んだが、少年自身は至って真剣である。

 対峙するその人の構えを見様見真似で可能な限り近づけようと意識する。その年齢の子供としてはあり得ないほどの集中力を以てして、少年は相手の構えをしっかりと見取っていた。

「あら、上手じゃない」と、相手はからかい半分、驚き半分といった様子で肩を上下させた。同時に少年は思う。

 上手、では駄目だ。せめてこの人に「完璧だ」と言わせなければ満足は出来ない。


「じゃあ、始めようか」


 少年の沈黙に何を思ったのか、相手は微笑と共にそう告げた。こくり、と小さく首肯すると同時に、少年は相手目掛けて踏み込んだ。

 大人と子供ではそれだけで腕の長さや足の長さが違う。それはつまり、間合いに大きく差が生じるということだ。

 しかし少年の踏込みは、そんな大人と子供の違いなどまるで感じさせない力強く、何より疾い踏込みだった。

 二人の間にあった距離は目測でおよそ八メートル強。しかしその距離を少年は数歩で詰めると、先ず右の刀を袈裟に払った。

 相手はその動きを冷静に見定めて半歩後退してその一撃を躱すと同時に、自分の握る左の小太刀を少年目掛けて手前に引くようにして逆袈裟に振るう。

 少年の切込みよりも何倍も疾く鋭い斬撃。無駄もなく、予備動作すら視認させないほどの神速の一刀。

 対し、少年は左手に握っていた短刀を器用に操り、振り上げながら順手に構えていた刀を逆手に持ち替えて振り上げ、その一撃を短刀で凌ぐ。

 更にそのまま一跳躍。左の刀を振り上げた姿勢のまま跳んだ少年は、勢いのままに相手の顔へと左膝を打ち出すが、相手は首をわずかに反らすだけで避けると、空中で無防備になった少年目掛けて左足を振り上げた。

 大鎌のような蹴足が少年の脇腹を捉える。あまりに早すぎる対応に少年の顔が驚愕と痛みに歪むのを見ると、相手はにぃ……っと笑いながらその足を思い切り振り抜く。

 一瞬、視界が完全に霞んだ。幼い動体視力では捉えきれない速度で蹴り飛ばされた少年の身体は、優に十メートル以上の距離を飛翔して壁へ激突。

 全身を貫く激痛に思わず肺の中の空気をすべて吐き出し――それでもまだ屈さぬために身を起こして相手を睨み据える。

 その視線がまるで心地いいかのように、相手は満面の笑みで答えた。

 その笑みが言外に告げている。


 ――この程度なの? と。


 そんなことはない。この程度では終われない。

 自分を鼓舞し、少年は全身に走る痛みを強引に置き去りにして疾駆した。

 刹那のうちに少年は相手へと肉薄する。そのまま左右の刀を一呼吸のうちに四度振り回した。

 相手も即座に対処する。左右の大小を器用に振るい、あるいは立ち回って迫る斬撃を防ぎ、流し、そして躱す。


 そして反撃の剣閃。


 少年が驚愕に目を見開いた。自分の四撃に対し、相手は一呼吸のうちにおそらくその倍に近い数の斬撃を放ったのだ。人間の身体能力を逸脱した剣舞が炸裂する。

 対して、少年は死に物狂いでその斬撃を凌いでいた。距離を取ろうと退けば肉薄し、二刀で捌こうとすればその間を縫うようにして掻い潜る銀の軌跡。


 とても同じ武器を手にして戦っているとは思えない。


 とても同じ血脈を継いでいる人間などとは思えない。


 当然ながら、そこには生まれてから今日この瞬間まで積み重ね、培ってきた経験と研鑽があるが故の差だ。少年も、そのこと自体はしかと把握している。


 だが、それを差し引いても相手は強すぎた。


 一族の史上――千年と続くその歴史の中で、わずかに三人しか存在しないと云われる至高へと辿り着けし者。彼女はそういう存在だった。

 故に、少年の刃が届かなくても当然と言える。だが、それを認識した上で尚、少年は自らの刀を振るう。


 届け。


 ただその一心で二刀を振るった。


 続いたのは、驚嘆である。


 少年の放った斬撃。その起動と全く同じ角度、同じ型の斬撃が、少年の斬撃の倍近い疾さで迎え撃たれる。払い、打ち下ろし、逆袈裟、右切り上げ。悉く相手の斬撃によって打ち返された。冗談染みた、最早神業のような剣戟。

 相手は微笑したまま、しかしその場を微動たとせず少年の剣をすべて捌いた。それが一層、少年の焦りを煽る。届けと願いながら、届くとは思っていない。ただ掠るだけ。それだけでいい。距離にしてはほんのわずか。しかしその間にある彼我の彼方のような錯覚を、わずかでも縮めたい。


 貴女に届きたい。


 剣戟と剣戟の、その間隙を縫うようにして、左の小刀を逆袈裟に滑り込ませた。当然ながら、この一撃も躱される――少年はそう思っていた。


 だが、現実は違った。


 何故かその瞬間、その人は避けるという動作をしなかった。防ぐという選択もしなかった。

 寸前までの静かな嵐のような剣舞は鳴りを潜め、ただただ振り下ろされたその一刀を迎え入れるかのようにすら思える――その人の微笑。



 手応えが――あった。



 しかし、それはあってはならないものだ。

 少年が手にしているのは刃物だ。それも人を殺すために鍛えられた、人を殺すための道具――武器であり、刀である。

 それを手にする以上、当然相対峙する存在(あいて)殺傷()るのは当然であり、刀を手に相対する以上、それは決して変動することのない当然だった。

 たとえそれが自分にとってどのような存在であろうとも。


 ――たとえそれが、自分の母親であろうと、それはどうしようもない絶対通則(きまりごと)だった。


 どろり……

 身体を肩から腹部まで寸断した刀身を伝って(いのち)が零れる。

 どくどく、どくどくと、真紅に染まった生温かいその液体が白銀の刀身を朱く朱く染め上げていく。

 その血に染まっていく刀身を、そしてその血を流す母親の姿を、少年は半ば呆然とした様子で見上げていた。

 忘我したまま膝をつき、しかしその手に握る刀の柄を決して放すことなく、少年は流れ落ちていく血の色によく似た双眸で微笑む母親を見上げていた。


 何故?


 その言葉が脳裏に響いた。


 何故、母は切られた?


 そう。少年にとって、母とはこの世の誰よりも強い存在だった。何者にも負けず、何者も勝つことのできない存在――まさに最強と呼ぶに相応しい人物。

 それが少年にとっての母の代名詞。

 その母が、何故自分のような矮小な存在の振るった剣を躱すこともなく、振り下ろされた刃を己の手にする刀で捌くようなこともせず、甘んじてその凶刃に伏すような――敗北者のような往生をしているのか?


「……かあ……さん?」


 辛うじて、母を呼ぶことができた。声が震え、足が震えた。目頭が熱くなり、目の端から溢れる何かが視界を阻む――その向こうで。


「……――――」


 霞む視界の向こうで、母がそっと小さく囁く。

 それは、自分を切り捨てた息子に対しての憎悪の言葉だったのか。

 それとも、恐慌のまま涙を流す息子を宥めるための優しい言葉だったのか。

 あるいは、それ以上の万感の思いを込めた遺言だったのか。


 ――結局、その言葉が何を意味するのか、この時の少年には理解することができなかった。


 ただ分かったことは二つ。

 自分の纏う紺色の道衣が赤黒く染まったことと、

 自分の母と同じ濡羽の髪が、白く染まったこと。


 ただ、それだけだった。




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