その2
「まだつかないのか?」
「もう少しのはずだ」
億劫そうに投げかけられた彗の声に、レイフォールは苦い表情でそう返答を返した。
今彼らがいるのは炎に塗れた城下ではなく、薄暗くじめじめとした地下道である。城に向っていた二人だったが、予想以上に溢れていた擬神機の数を相手にするのは困難であった。たとえ彗の剣術がどれほど卓越し、常軌を逸していようと所詮は多勢に無勢。城に着く頃には消耗しきるのが目に見えていると判断したレイフォールの提案により、一部の人間のみが知る地下通路を通って城に向かおうとしたのが今から十数分前のことである。
「ただでさえ古い通路が、上の擬神機たちの攻撃で老朽化した天井が崩れている。迂回せざるを得ないんだ」
魔術で生み出した明りで行く先の通路を照らしながら、レイフォールは状況を彗に伝える。すると彼は再び溜め息を一つ漏らして、「……まあ、そうだろうけどな」と短く零した。
レイフォールもまた、疲労を隠しきれない吐息を漏らす。
事実、この地下通路は建国と同時期に造られた非常に古いもので、今では王家を除けば指で数える程度の貴族しか知らないものである。
また、これまで幾度となく戦争を経験しているフィムルロードだが、王都まで進軍されたことは一度としてない。そのため、この地下通路を使うこともなかった。故に国の金を使ってまで整備するほどの利用頻度があるわけでもないと判断され、ほとんど放置され続けていたのだ。
千年も存在し、しかしまともな整備を受けていなかった地下道は酷く風化し、結果今回の王都襲撃によって擬神機の攻撃が発した衝撃はもろくなった天井をたやすく崩すこととなっていた。
そのため、レイフォールが聞き及んでいた王城へと通じる多くが落盤でせき止められていたのである。
「まだ形を保っているだけ奇跡と思うべきだね……ん?」
自虐的に漏らした刹那、レイフォールの目が何かを捉えた。反射的に魔術光を消す。同時に背後で彗の気配が鋭いものに、そして希薄になる。まるで矛盾した気配だが、最早彼の異常さに関しては驚くだけ無駄と気づいたレイフォールは苦笑するに留めた。
暗闇の中、二人の視線が一点へと注がれる。見えたのは寸前までレイフォールが生み出していた魔術による光だった。
レイフォールは剣を抜いた。隣で彗が身構えるのを感じ取る――同時に、彼が無音で地を蹴った。足音一つとない無音の歩法。反秒遅れてレイフォールもその後を追った。
彗が光の下へ迫り、その剣を振り上げて――そこで彼が停止する。
何故? という疑問は一瞬だった。
そこにいたのはほかでもない――この国の太后であるディアメルと、数人の女中たちである。
「ディアメル様! ご無事でしたか!」
「スイ。それにメルフェイム卿、二人ともご無事でしたか」
二人の姿を確認したディアメルは安どの吐息を漏らした。しかしその表情から安堵が消える。「シャーロットは?」という問いに、レイフォールはかぶりを振って答えた。
「我々も安否はわかりません。そのために城へ向かっていたところなのです」
「そうでしたか……」気丈に平静を保とうとしているようだが、その表情には此処にはいないシャーロットを安ずる思いと不安が揺れているのが分かった。
「どの道、死んではいないだろう」
言ったのは彗である。その場にいる全員の視線が彼へと集まる。彗は煩わしそうに溜め息を漏らし、「魔素の源泉。奴らがそれを狙っている以上、鉢合わせない限り大丈夫だ……と思う」と彼は言った。
確かにその通りだ。擬神機たちの目的は魔素である。そして奴らは明確に魔素を求めてさまよっている。どう転んでも、いずれ奴らはこの国の聖地に目的を定め進軍するだろう。シャーロット個人を狙うことはまずないはずだ。
「――ならば、なおのことあの娘は狙われます」
そう安堵したレイフォールを余所に、ディアメルは表情を青くしながら言う。何故? そうレイフォールたちが問うよりも早く、ディアメルは言葉を続けた。
「この国の魔素の源泉――精霊樹を祀るのは聖殿の地下です。そしてその場所へ入ることができるのはあの子だけです」
「それを知っているのは?」と、間髪入れず彗が問う。
「私とあの子を除けば、傍付であるアムリタだけです」
聞いた刹那「最悪だ」とレイフォールと彗の声が重なった。その言葉の意味を理解していないディアメルは、視線で「どういうことか?」と問うているのを感じ、レイフォールは答えた。
「此度の擬神機たちをこの国に招き入れたのは、おそらくアムリタ殿と見て間違いないからです」
「そう推察したのは、スイですが……」と続いたレイフォールの言葉に、ディアメルも、そしてその後ろに付き従っていた女中たちも言葉を失くした。
それは半刻ほど前、彗にその事実を聞かされた自分と同じものだったため、レイフォールは失礼ながら失笑した。
「信じられないでしょうが、状況をかんがみる限り――恐らく事実かと」
「世間話はその辺にしよう。あいつらの狙いは魔素と、そこに行くための手段である姫さんなら、なおさら急がないといけないだろう。騎士様?」
「それはまるで君は行かないと言っているように聞こえるが?」
レイフォールの疑念に、彗は頭上を見上げながら答えた。
「――俺は、別にやることができそうだ」
そう彼が言った刹那、強烈な振動が地下道を襲った。立っていたレイフォールたちが思わずたたらを踏む中、彗だけは冷ややかな面持ちで億劫そうに剣を肩に担いで「なにか……デカいのがいるな」と呟いた。
レイフォールは床に膝をつきながら魔力を操り、遠見の魔術である《魔術映写》を発動させて地上の様子をうかがい――そして絶句する。
《魔術映写》越しに映った地上の情景。そこに表示された擬神機は、常に前線に配置されるレイフォールすら見たことがないほど巨大な、長大な体躯を持つ機械の異形。
長い体躯をうねらせ、鋭い双眸にその凶悪な牙の並ぶ頭部を持つ化け物。そう、これを言葉で表すのならば――竜、と呼ばれる生き物が最も近いだろう。仮に名づけるならば、《機竜》といったところか。
ル・ガルシェはこんなものまで造っていたのか。言葉もなく、ただただ浮き上がった《魔術映写》を見据えていたレイフォールの横で、影がゆらりと動く。思わず、その背に呼び掛ける。
「何処へ行く気だ、スイ?」
すると、彗は何故呼び止めるのか、とでも尋ねるように首だけ振り返って軽く傾げた。
「その化け物の相手をするだけだが?」
「人の戦える相手に見えるか! 無茶だ!」
「その無茶をやった人を、お前たちは俺以上に知っているはずだが?」
だから自分も言って当然だとでも言いたいのだろうか、この男は。正気の沙汰とは思えない。誰がどう見たって、あの機械仕掛けの竜を相手にして人間が一人で敵うわけがない。
そう、レイフォールは断じる。そして同時に思うのだ。
もしかしたら、この男なら――と。
「俺の心配するよりもまず、するべき心配は他にあるだろう?」
彼の言わんとしていることは、何となく分かった。こうして此処で手をこまねいている間も、敵は目的へと向けて刻一刻と迫っているのだ。
ル・ガルシェの目的が魔力と魔素であるのは最早明白だった。もしこの国の聖域に存在する精霊樹がル・ガルシェの手に渡れば、この国は魔素の恩恵を失い、更には最大の武器である魔術を行使することも適わなくなる。
魔力だけがあっても、魔素失くして魔術は操れない。それはこの国が自衛の術を失うのと同義である。それだけは何としてでも避けねばならない。
「分かっているならさっさと行け。あれは俺が相手をしておく」
「しかし何故?」
「あれも、城に向かっているだろう?」
言われて、レイフォールははたと気づいた。改めて《魔術映写》を見直せば、確かに彼の言う通り機械仕掛けの竜の向かう先にあるものは、十中八九この国の城であることが容易に想像できた。
レイフォールがそれを理解したのを読み取ったように、彗は剣先を持ち上げてレイフォールの進むべき先を指針する。
「何度も言わせるなよ。行け、騎士様」
最早海を言わさぬ言気を感じ取ったレイフォールは彗の言葉に首肯を返す。そして走り出そうとした矢先、ふとあることを思いついて振り返った。
視線だけで「どうした?」と尋ねる彗に向け、レイフォールは言った。
「この騒動が終わったら、君と一つ手合せしたい。構わないだろう?」
その言葉に、虚を突かれたように彗が目を剥いた。初めて、彼が自分に向けた驚愕の表情に、レイフォールは満足げに口角を吊り上げた。
すると彗はようやく我に返ったように表情を無に戻し、しかして表情よりも愉快そうな言葉が返る。
「――俺は手ごわいぞ?」
それが了承の返答だと理解し、レイフォールはこの危機的状況化にもかかわらず楽しげに微笑んで、
「知っているさ」
そう言葉を返すと、後は振り返ることもせず走り出した。
◇◇◇
レイフォールの背中を見送り、彗はさて……と地上に出る道を探そうとした。すると、その背にディアメルが静止を掛ける。
「スイ。お話が――いえ、貴方に渡すべきものがあります」
そう言って差し出したのは、手帳ほどの大きさのノートだった。どう見てもこの世界のものではない。彗にこそ馴染み深い、『向こう側』の世界で彗も使っている大学ノート。その表紙にはもうずっと見なくなった、馴染みの走り書きで『空凪箒』と書かれている。
「箒の手記……か」
「ええ」
自虐気味に微笑むディアメルに、彗は曖昧に肩を竦めながらそれを受け取り、適当に頁を開いた。
内容はなんてことない走り書きばかりだった。せいぜいが日記と呼べる程度の、本当にただそ日その時に思ったことや感じたこと、そして出来事を記しているだけのものだった。
だが、とあるページに差し掛かり、彗の手が止まった。そしてその表情が驚愕の色に染まったまま凍りついた。
そして、ようやく理解した。
母の――空凪箒の犯した罪とはなんだったのか。何故、彼女が英雄と呼ばれることを望まなかったのか。その理由を。
自然と手が震えた。零れ落ちそうになるノートを必死に摑んだまま、彗はゆっくりと面を上げ、ディアメルを見て言った。
「――災厄は、何処にも消えていなかったんだな……」
それは問いではなく確信の言葉。だが、ディアメルから否定の言葉が出てくることはなかった。
そして、それは明確な答えでもあった。無言とは時として、肯定という名の答えになる。
「――『殺せなかった。私には無理だった。でも、止めることはできた。でも、それはこの国の人々を騙してしまうことと同じ。真実を隠して、皆を騙した私が英雄なんて、実に滑稽だ』……真実はあまりにも簡単な答えだったな」
「そう書かれているのですか? 私には読めませんでしたから」
当然だろう。日本語はこの国の言葉とはかけ離れた言語だ。むしろ読めたら驚きである。
「貴女が読めなくて助かった。読めていたら、貴女がこの手記を処分していたでしょう?」
「勿論です。真実は――酷く残酷ですから」
「残酷ついでに言ってやろう。貴女が――いや、貴方たちが隠している真実を」
冷ややかに彗が言うと、ディアメルは小さくかぶりを振った。しかし、それはやめろという懇願ではなく、むしろそうするべきと促すようなものに思えながらも、彗は静かに――そしてはっきりと告げる。
「――シャーロット・リム=ロード。あいつが、五十年前の災厄の正体か」
彗の言葉に驚いたのは、ディアメルよりも彼女についてきた女中たちのほうだ。まあ、それもそうだろう。歴史上英雄によって倒されたはずの災厄が、自分たちの上に立つ人物だと誰が思うだろう。
「ここからは推測だが……あいつは貴女の孫ではなく、娘なのか?」
「……驚くべき慧眼ですね」
困ったように笑みをたたえながら、ディアメルはそれとなく首を縦に振った。
可笑しいとは思っていた。シャーロットはこの国の王女だというのに、その母親らしき人物は何処にも見当たらない。先日流し読みした歴史書などにも、ディアメル以降王族の名が記されているのはシャーロットのみである。
その時は対して興味も抱かなかった。王族など歴史上色々な出来事に巻き込まれ、時には命を落とすものだと疑わなかった。
だが、これですべてが繋がる。繋がったのだ。
「俺とあいつは似てると、貴女は言った……そういうことか」
すべては空凪箒という人間で繋がっていた。彗もシャーロットもディアメルも。
「隠し通すつもりでいたのですがね。私も、ホウキも、国を騙し、民を騙してでも、私に守りたかった存在があった。私はその手助けを――いえ、この国のすべてを巻き込んだ大きな嘘に、私は彼女を巻き込んだのです。我が子可愛さに……ね」
それが五十年前の真実だった。
災厄は消えてなどいなかった。打ち倒されてなどいなかった。ただ力を失って、永い眠りについただけ。
「まだ、三つの子供。しかしその身に宿した魔力は際限を知らず、扱いきれなかったあの子は暴走をお越し、災厄と呼ぶに相応しい魔力の化身となったのです」
「そして空凪箒の登場……か。確かに、空凪の天才であるあの人なら、殺さずにとめることができただろう」
人ならざる者との戦い――禍祓いこそが空凪の骨頂である。ましてや天才と謳われる箒になら、そのくらい造作ないことだっただろう。その結果が、多くの人々を騙ることになるのだとしても、災厄の元凶である幼子を殺すという選択は、あの人にはできなかったのだ。
『私にはできなかった。あんな小さな子供を殺すなんて。人として。そして、一人の子の親として』
笑いが込み上げる。
あの破天荒に、そんな感慨があるとは思ってもみなかった。
いつだって自由奔放で自分勝手。唯我独尊我が道を往く、そんな人が。
『結局全部、いつかこの世界に来るかもしれないあの子に押し付けてしまう、駄目な母親だ』
「駄目なものか……」
あの人がずっと危惧していたことはこれなのだろうか。
自分にできなかったことを息子に押し付けてしまったことを――そんな些細なことを気に留めて、挙句息子の手によって斬殺される末路を選んだというのだろうか。
莫迦げているな、と彗は思う。
そんな心配は不要だというのに。むしろその後悔と配慮が息子から目標を奪うことのほうがはるかに酷いだろう? と、彗は苦笑しながら天井を仰いだ。
「なんとも、面白味もない真実だ……無駄骨と言ってもいいだろうな」
「すみません、スイ」
「謝られても困る」
申し訳なさそうに、しかししたたかに告げるディアメルに、彗は嘆息一つでそう返し、剣を担ぐ。
「どの道、やることは変わらないんだ」
この国を脅威から救う。するべきことなど、結局それだけ。何も変わってなどいない。
母がそうしたように。自分もそうするべきだ。
「あの人が守ったんだ。なら、俺が引き継ぐさ」
親の果たしきれなかった責任は、そのまま子供が背負えばいい。
重荷などとは思わないのだから。
「ついでに、あの姫様も……な」
「お願いします」
彗の言葉に目を見張り、そして泣き笑いのような表情で首を垂れるディアメルに、彗はなんでもない風に言った。
「もう必要なさそうだがな」
そう言い残し、彗は地上目指して一直線に飛び上がって、無造作に剣を振った。




