五幕 『真実』
その音が聞こえたのは殆んど偶然だった。ドレスへ着替えを終え、いざ会場に向かおうとした時、シャーロットの耳朶がそれを捉えたのだ。
聞き慣れている音。しかしそれは決してこの場で聞こえてよいはずのない音だった。
カシャリ……
今度は大きく、はっきりとシャーロットの耳がその音を補足する。視線は自然とその音の聞こえたほうに向けられ、全神経が意識が促す警戒に従って張り巡らされる。
瞬間、薄闇に飲まれ始めた廊下の彼方に……茫っと一つ、赤い光が灯った。同時に、シャーロットの全身が泡立つ。自然と、腕に先に魔力を束ね、魔素を集束――脳裏に記憶する術式を思い描き、シャーロットの掌に幾何学の施された円陣が具現する。
すると、赤光が動いた。カシャンカシャンとけたたましい金属の駆動する音が廊下に響き渡り、物凄い勢いでシャーロットへと迫る。
「このっ!」憤慨の叫びと共にシャーロットの右手が閃いた。掌に収束した魔素が解放され、シャーロットの生み出した魔術の術式に従い魔術が起動する。翳された円陣の中央から放たれた紅蓮の猛火が巨大な砲弾と化して標的に命中――転瞬、炎は飲み込んだ標的の全身を踊るように駆け巡り、一瞬の静寂を置いて巨大な爆発音を引き連れる火柱へと姿を変えた。
慈悲をくれてやるつもりもなかった。人の家に無断で侵入するような不届き物には死の制裁を加えてやらねばならない。
侵入者の断末魔はない。そもそも命ある生き物ですらない。故に言葉を発するわけもない。これは殺すのではなく、ただ無情に壊すだけだ。
シャーロットの放った紅蓮の熱で原形を留めることもできなくなった遺骸を見据え、シャーロットは壁に背を預けて肩で息をした。
人肉の焼ける臭いはしなかった。燃え盛る残骸から漂う死臭もしない。あるのは何とも名状しがたい、金属の燃える臭いだけ。
一体何が起きているのか。考えるもないことだが、しかしてにわかに信じ難い。
それも当然だ――まさかこの城に、擬神機が入り込んでいるなどと、誰がどうして考えられよう。
「……とんだ夜宴になりそうですな、お婆様」
皮肉交じりに呟き、シャーロットは来た道を戻るべく振り返って駆け出した。まずは着替えと武器――部屋に置いてきた刀がいる。
走りながらシャーロットは頭の中で幾つもの案を考察する。自分はどう動き、そして部下である《聖輝の剣》たちをどう動かすか。そして別所に控えている祖母を何処へ逃がすか。所在の知れぬアムリタと合流するべきか。
――彗に暇を与えたのは失策だったな。
このような事態になると分かっていれば夜宴まで追い出すのではなかったと後悔する。ついでに言えば、連絡手段を渡さなかったのも失策だった。
一体全体、どうしてこの城に――いや、下手をすればこの王都に擬神機が入り込んだのは分からないが、一つだけ感謝しなければいけないなと、シャーロットはくそ笑む。
どうやら、この忌々しいドレスを脱ぐことができるようだ。
◇◇◇
「災厄再び……ってところだな」
「冗談を言っている場合ではないですよ」
少し後ろに追随するレイフォールの声を苦笑で流しながら、彗は手にする黒剣を左下段から切り上げる。柄を通じて僅かの抵抗を感じながら、しかしその抵抗を上回る威力で剣戟が擬神機を斬断する。
城下はまさに惨劇の舞台と化していた。彗ですら美しいと感じたほどの街並みは、夜に差し掛かる時刻にも拘らず赤々とした光に照らされて夕暮れのような色合いに染まっている。
耳朶を無数の爆音と破砕音が叩いた。炎の熱気が忌々しいくらいに思える。
荷物として持ち歩いていた近衛騎士の服に着替えた――レイフォール曰く、国に属する服を着ないで戦闘行為をしていると間違えられるらしい――彗は、レイフォールと共に王城を目指していた。
メルフェイム家の屋敷の惨劇の後、屋敷を出た彗たちの耳に次々と爆撃の音が届き、続いて城下が炎へ呑まれる姿が飛び込んだのである。レイフォールが言うには、こういう非常事態が起きた場合、即座に上官――即ちシャーロットの下へ馳せ参じねばならないらしい。
面倒ではあるが、彗自身どう動けばいいのかいまいち分からないため、その意見には賛成だったのだが……いざ街中に飛び込むとそういうわけにもいかなかった。
城下のはずれに辿り着いた彗たちを待ち受けていたのは擬神機たちの群れである。彗にはあまりになじみない機械の兵士たちが、至る所で住居を破壊していたのだ。
さすがに二人でどうこうできる数ではなかった。しかし、この群れを突破しなければ目的地にたどり着くことも叶わない。故に――二人は今擬神機の溢れる城下を強行突破していたのである。
「君は随分と戦いなれているな……」
「こういう手合いは初めてだが……まあ、似たようなのとは遣り合った経験はある」
物体には《斬線》というものが存在する。ある一定の角度からある一定の速度でその線を刃で撫でれば、たとえ如何なる硬物あろうと断ち切ることの出来ると言われる『線』である。
ただし、それは視認することができるものでもなければ、感じ取ってどうこうできるようなものでもない。
言ってしまえば『剣士』としての勘働きでしか認識できない不確かなものだ。しかも同じ物体だからと言って同じ場所に斬線があるということはまずない。それぞれが全く異なり、記憶頼りにすることもできないその『斬るべき線』を、彗は先ほどから的確に狙っているのである。
剣術の奥義の一つである《斬鉄》。その鍛錬を積まされ、かつ空凪という超人的な剣技を習熟している彗のような、一種の領域を超えた場所に立つ剣士ならではの超絶技巧である。
それでも、並みの刀剣ならば数体倒した時点で刃がイカレるだろう。彗は自ずと手にする剣を一瞥した。
シャーロットに渡された《ファーレスの魔剣》の一振り《夢の失落者》。この剣がなければこのような無茶はできなかっただろう。
「大した魔剣だ……」
「一応、この国の国宝に貯蔵されていた品なのだから、当然だろう」
レイフォールが辺りを警戒しながらそう言った。彗は感心したように肩を竦め「足を向けて寝れそうにないな」と嘯いてみせる。
そして、ふと周囲に視線を向けてみた。生じたのは微かな違和感だ。こういった情景に馴染みのない彗だが、想像したことがないわけではない。
壊れる家屋と、まるで降る雨のように積もる死屍累々。戦場とは、そういうものだと思っていたのだが……
「……随分と、死体が少ないな」と彗が零すと、言われてようやくそのことに気づいたようにレイフォールもまた、辺りに視線を向けて「確かに」と同意した。
「幾ら城下のはずれとはいえ、確かに……これは少ないな」
辺りに広がっているのは倒壊した建物ばかりではない。明らかに致死量を超えた血溜まりがあちこちにできている。だというのに、その血を流したはずの死体は――何処にもない。
何故? と周囲を注視しようとするが、それよりも先に新しい擬神機が姿を現した。数は三体。彗とレイフォールが同時に剣を構え――ふと、彗は違和感に気づく。
現れた三体。その三体が標的にしているのは、三体揃ってレイフォールだということに気づく。いや、正確には彗を向いているものもいなくない。問題なのはその目線の先。その視線の先にあるのは、彗自身ではなく――彗の剣。
――ああ、なるほど。
まるで他人事のように彗はある仮定に辿り着いた。辿り着いたまま、無造作に剣を振るう。擬神機の振り下ろす巨大な腕剣ごとその機体を断ち切り――そして破壊。続けざまに踏込みからの刺突。もう一体の目のように光っている、視覚センサーらしいものを穿ちそのまま切り上げて中央から切り裂いてその機能を停止させた。
そうして最後の一体を見向けば、レイフォールが手にする剣で擬神機の剣を受け止め、反撃の魔術で胴体に風穴を開けていた。
「忙しそうだな」と、彗は皮肉気に呟いた。レイフォールは伝う汗を拭いながら、なんでもないという様子で彗を見上げた。
「いやなに、どうにも逢瀬の申し込みがしつこいものでね。お断りの返事を受け取って貰えないんだ」
「ならついでに、どうしてそんなしつこいか教えようか?」
「分かったのか?」先ほどの軽口をたたいたのが嘘のように、レイフォールが目を剥く。彗は何でもないように肩を竦め、言った。
「こいつらは、さっきから俺を相手にしていない」
「? どういうことだ? 君は先ほどから擬神機と戦っているだろう」
彗はかぶりを振った。「違う。俺は進む先にいるのを斬っているだけだ」そう告げながら、彗は手にしている剣を持ち上げる。「俺に向かってきている擬神機は、俺を狙っているんじゃない。この剣を狙っているだけだ」
「なんだって?」
意味を理解しかねているのか、レイフォールは首を傾げてその答えを彗に促す。彗はため息をついて、そしてなんでもない風に告げる。
「――魔力だ。お前とこの剣に共通し、俺にはないものは、魔力の有無以外有り得ない。つまり、こいつらが標的を定める時、魔力を座標にしていると考えれば、簡単だろう?」
言葉にしてみれば酷く短く、至極簡単な説明だ。しかし、その簡潔に述べられた過程は、レイフォールの顔面を蒼白にするには十分な効果があった。彼自身思い当たる節があるのだろう。先ほどから二人の間に生じている疲労の度合いの差。それは鍛え方の違いもあるだろうが、それ以上に彼の体力を消費する運動が激しかったことを意味する。
彗自身も、実際自分に向かってくる敵意らしいものを明確に感じたことはほとんどなかった。それも当然と言えば当然。敵は自分を標的と――即ち敵として認知していないのならば仕方がないだろう。
「ル・ガルシェね……これで少しは分かった……かもな」
「何が分かったというんだ?」
「目的……だろう? こいつらは魔力を求めてる。理由は知らない。それこそル・ガルシェの王にしか分からんだろうが……目的は魔力とその源……つまり――」
「――魔素か!?」
「十中八九」
彗は肯定した。そして、同時にあまり言いたくないも伝えておくことにする。
この先、この男はこの国に必要になる――そう思ったからかもしれない。
「そして死体がないのは……持って帰った、と考えるのが妥当だろう」
魔力を求めている。つまり、魔力を宿している人間を求めている。
そして殺したのは、面倒だからだ――持って帰る際に暴れられるのが。
魔力を宿しているのなら、生きていても死んでいても変わりはない。そして生者と死者、どちらが運ぶのが楽なとなれば――それは間違いなく後者だろう。抵抗されない分、死んでいるほうがいい。
これは殺戮ではない。
狩猟だ。
求める資源を得るための狩りなのだ。
「……外道が」
彗の言わんとすることを理解したのか、レイフォールは激情に顔を歪める。
そんなレイフォールに向けて、彗は苦笑を漏らしながら言った。
「だが、それだけの為だけにこんなことはしないだろう? となれば、奴らの狙いは別――もっとデカい何かってところか」
言いながら、彗は辺りを見回した。遠方に微かに見える擬神機の影を捉え、そこからさらに別の擬神機に視線を向け――そうして彼らの進行方向を割り出して「なるほど……」と一人ごちると、剣の切っ先をゆっくりと持ち上げた。その切っ先の先にあるのは――この国の権威の象徴――王城。
「やつらの狙いは城……あるいは、その近くの何処かにある何か……」
その言葉に、レイフォールは暫しの間を置いて、観念したかのように口を開く。
「ああ……あるさ。この大陸に満ちる魔素の源泉の一箇所が、城の近くに存在する」
「なるほど……なら、おれたちの向かうべき場所も決まったな」
彗の言葉に、レイフォールが頷いた。
「急ごう」
その返事に、彗は不敵に笑んで告げた。
「遅れるなよ、騎士様」
◇◇◇
いつもの軍服に身を包んだシャーロットの足は自然と速足となる。城内の人気というのもが酷く希薄に思えた。あのような擬神機が城内に跋扈しているというのに、どういうわけか悲鳴が少ない。
城下から轟く無数の炸裂音に耳を傾けていれば、外がどのような状況になっているのかなど瞭然だった。
シャーロットが着替えるために部屋へ到着するまで三体。そして今も警戒しながら歩いている状況ですら、すでに幾体かの擬神機と対峙している。それも近接戦闘に特化した刀剣や長槍を宿しているものなどが多数である。
――皆、何処にいる?
誰にともなく問いを投げるが、答えは返ってこなかった。
代わりに返ってくるのは――カシャン……という忌々しい機械の金属音。手にする刀を構えながら、シャーロットは自周に魔力を束ねる。刹那――まるでそれを察したかのように金属音が連続し、音が大きくなった。
やはり、とシャーロットは確信する。どういうカラクリかは知らないが、今この城に投入されている擬神機たちはどうやら魔力を察知する能力があるらしい。
――やっかいな……。
シャーロットを始め、このフィムルロードの軍人は等しく魔術を武器とする。しかしその魔術を行使しようと魔力を操れば、その魔力を標的にほかの擬神機たちを呼び寄せる結果となる。
戦術としては一撃必殺による離脱以外有力な術はないと言っていいだろう。
敵ながら見事な仕組みだ。それ故に、腹立たしい。
苦い表情のまま、シャーロットは魔力を展開し、魔素を集束する。周囲に描く魔力の流れに魔素を沿わせ、そこに描く魔術式が魔素を得て魔術を成す。
カシャン! と一際大きな音が廊下に響いた。角から機械の偉業が姿を見せる。これまでに見た擬神機とは異なる異形。剣や槍を備えているわけではない。ただただ異形であるという、それだけの存在。
巨大な体躯に巨大な爪を宿した双腕を持つ擬神機である。初めて見る形状の擬神機。シャーロットの警戒が濃くなる。手にする刀をいつでも抜けるように身構えながら、シャーロットは敵が動くよりも先に地を蹴って肉薄した。その速度は普段の彼女からは想像できないくらい速い。
彗ほどではないが、それでも彼女の初速は間違いなく人間の限界を軽く凌駕した速度に達していたが、原理は酷く単純なものだ。
別に魔術というのは、自身の持つ魔力を体外に放出して魔素を操るだけのものではない。言ってしまえば血液とは異なるものでこそあるが、その性質は肉体を生かす生命力のようなものだ。人間の身体には誰もが流れている活力のような《力》の流れ――それこそが魔力と呼ばれる力の正体である。
魔術を行使できる者――魔術使というのは、先天的にしろ後天的にしろ、その力の流れを認識し、普段は有り余っている《力》を意識して操作することのできる人間のことである。
シャーロットの行った肉体強化は、肉体に常に流れている魔力を意図的に操り肉体の強化に回すという方法に過ぎない。魔術よりも至極簡単な初歩的な技術だ。そしてフィムルロード随一の魔力を持つシャーロットの魔力ならば、その強化は常人の十数倍にも及ぶ身体能力を得ることは容易。
――斬、と刀が閃く。
ただ力任せに振るうのではない。これまでのような無茶苦茶な振り回しではない。意識して体を動かす。可能な限り無駄を省く。自分の出来る最善の動きで刀を抜刀し、斬撃を機械の異形へと叩きこんだ。
鍛え上げられた刀刃が鋼の体躯を切り裂く。擬神機が想定以上の速度で迫り、装甲を切り裂かれたことに驚きを抱いたかのようにたたらを踏んだ。
――今!
本能が叫び、シャーロットは魔術を発動させる。シャーロットの周囲に具現するのは五つの雷球。それぞれが多段に稲光を放ち、バチバチという音を廊下全体に響かせた。同時に紫電が迸る。本来無秩序に地へと落ちるはずの雷は、しかし魔素の導きに従い指向性を持って擬神機へと炸裂した。
薄暗い廊下が激しく明滅する。蛇のように絡み付く稲妻を受け、擬神機が激しくその場での賜り、やがてけたたましい音を伴ってその場に崩れ落ちた。
深い吐息が漏れる。
シャーロットはしばらくの間、動かぬ擬神機を凝視していたが……やがて完全に停止したのを確認すると、少女は再び廊下を歩き出そうとした――が、寸前まで擬神機が立っていた廊下の向こうに微かな気配を感じ、シャーロットの足はピタリと停止する。
暗がりの廊下。その奥に見えるのは人影一つ。そしてその背後に三体の――まるでその影に付き従うように佇立する擬神機が見えた。
そして一歩。また一歩。その影はシャーロットの下へと歩み寄る。少女は刀を鞘に納めた姿勢を取った。そして相手を待ち構え――やがて近づいた影の顔をシャーロットの目が捉えた時、少女の表情は共学に染まった。
影の口元がにぃ……と三日月を描く。
自ずと、シャーロットの膝が笑った。肩が震えた。それは足元から蛇の如くまとわりつく恐怖からか、あるいは理解の追いつかぬ混乱からなのか、シャーロットには分からない。
ただ――震える口元から零れた声音には、確かな怒気が孕んでいた。
「それは一体どういうことだ? 出し物と言うには、冗談が過ぎる……そうは思わないか?――アムリタ」
擬神機を引き連れた影――アムリタ・リオルテはなんの返答もせず、しかし腰に帯びた剣を抜くことで、あらゆる言葉よりも確かな意味を持った返答を返した。




