その2
「……では、動きがあったと?」
「恐らく今夜何かを仕掛けてくるのではないでしょうか?」
対座に座るアムリタの言葉に、ディアメルは無言で落胆の吐息を漏らした。「やはりメルフェイム家が?」と名を口にすると、アムリタは首を縦に振ることでそれを肯定する。
なんという……ディアメルがかぶりを振った。未だ信じられないと諦念に項垂れるディアメルに、アムリタは苦渋の表情で低頭する。
「こちらでもそうでないことを願ってはいましたが、現在城下に搬入されている物資の搬送先はメルフェイム家が所有する地です。最早言い逃れは出来ないと考えてもいいでしょう」
ディアメルがアムリタに調べさせていたのは、単刀直入に言えばル・ガルシェと内通している人物を特定するという諜報活動であった。昨今相次ぐル・ガルシェとの紛争に加え、フィムルロード内部でも小規模な機械兵器による被害が相次いでいるという報告が上がっている。それもル・ガルシェとの国境付近などではなく、北部以外の各地で起きているその機械兵器の活動を鑑みれば、国の内部にル・ガルシェの兵器をひそかに持ち込んでいる者がいると考えるのは、至極当然のものであった。
そのことにいち早く気付いたディアメルは、各地に顔が利き、かつ信頼のおける人物に調べさせていた。それがアムリタである。
そして半年以上かけた諜報活動の結果判明した売国奴の最有力候補として名が挙がったのが、シャーロットの婚約者候補の一人であるレイフォールを輩出したメルフェイム家だという。
テーブルの上に並ぶ資料に加え、今動いている状況も合わせれば十中八九黒と断定していいだろう。
だが、それでもやはり腑に落ちない。そう思ったディアメルは告げる。
「……今しばらく泳がせなさい」
「よろしいのですか?」
「今下手に動いては、最悪の展開も予想できます。それだけは避けねばなりません」
「承知しました」
と、アムリタが恭しげに頭を下げるのと同時、
「お婆様!」
断りもなく、シャーロットが部屋に飛び込んできた。無断で入室した孫娘にほとほと呆れたように肩を竦める祖母を余所に、シャーロットは顔を真っ赤にしたまま憤慨した。
「一体なんですか、あのドレスは! 私はこの格好のままで問題ないでしょう!」
「言い分けないでしょう、この愚か者」と叱責が飛ぶ。「一国の――それもこの国の第一王位継承者が、まさか軍服で祭事に姿を見せるなど許されるわけがないでしょう」きっぱりとそう告げるディアメルに対し、シャーロットはぎょっと目を剥いて双眸を瞬かせる。そして言葉を失っているシャーロット目掛け、畳み掛けるようにディアメルは言った。
「拒否は認めません。貴女は私が用意したドレスで参加するのですよ」
「そ、そんな!」と抗議の声を上げるシャーロットを一瞥し、そのまま視線をアムリタへ向け、ディアメルは命じた。
「連れて行きなさい」
「承知しました」
下された命令を順守すべく、アムリタはにこやかにシャーロットを拘束して引っ張っていった。閉じた扉の向こうから抗議の悲鳴が聞こえるが、そんなことはディアメルの知ったことではない。
「まったく、あの往生際の悪さは誰に似たのでしょうね……」
ずっと昔、ディアメル自身の母がまったく同じ台詞を口にしたことなど、当然ながらディアメルは知る由もなかった。
◇◇◇
可笑しい、と感じたのは門を潜って間もない頃だ。
レイフォール・メルフェイムは今自宅の門を潜ってすぐの庭に立っていた。城での職務を終え、今宵開かれる夜会用の服へ着替えるために戻っていたのだが――どうにも様子が可笑しい。
何が、と問われれば返答に困る。しかし、レイフォールの戦士としての経験と勘が、この屋敷の異様な気配を確かに感知していた。
まるで魔窟。
そんな言葉が脳裏を過ぎる。
人ならざる者たちの巣窟。この世のものにあらざる異形の溢れる地。そこは決して人の――生者の踏み入ることを許さない領域。生まれてから今朝まで生活していたはずの場所が、どういうわけかそういう場所に思える。そんな空気の、自分の屋敷は纏っていた。
送迎を任せている家令の老人がついて来ようとするのを何とか押し留め、レイフォールは屋敷へと足を向ける。いつも数分もかからない家の玄関までの道のりが酷く長く感じられた。ドアを開け、中へと身を滑り込ませようとした。すると、背後から「おい」と声がかかった。
レイフォールは思わず腰の剣に手を掛け、振り返り、思わず我が目を疑い瞬かせる。
「君は……」
そこに立っていたのは白髪の少年。彼は無表情にレイフォールを見据えながら一言「邪魔するぞ」と言って、今まさにレイフォールが入ろうとした玄関のドアに手を掛けた。
「何故……君が?」という問いに、彗は「気になることがあってな」と投げやりに言葉を返しながら屋敷へと入る。レイフォールは慌ててその後に続いた。
「気をつけろ、どうにも様子が可笑しい」
「だろうな」と彗が頷き、数度彼が鼻をすん……と鳴らした。そして「……血の匂いだ」と漏らす。思わずレイフォールが目を剥いたが、少し遅れて彼の言葉の意味を理解する。
掃除の行き届き、いつも清潔感に溢れている屋敷には不釣り合いな鉄錆の匂いがレイフォールの鼻腔をついた。
「警戒しろ。いつでも対処できるようにな。腰の得物は、お飾りじゃないだろう? あんたの場合」
小さく、からかうように口角を吊り上げながら彗が言った。思わず笑みを返しながらレイフォールは言われる通り、改めて腰の剣を握り直す。
「しかし、姫様の護衛である君が何故私の屋敷に?」
「暇を貰って仕方なく城下を歩いていたら、途中で少し気になることが出来てな……そうして尋ねてみれば、お前がいた」
「気になること、とは?」
「今夜の夜会、何か出し物でもするのか?」
レイフォールは首を横に振って「そんな予定はないし、聞いてもいない」と返すと、彗は「そうだろうな……」と嘆息一つ。
その間も、彗は屋敷の奥へと進んでいく。レイフォールもそれに倣って続くのだが……彼の言う血の臭気はどんどん強くなっていく。同時に募るのは嫌な予感ばかりだ。
そしてその予感は、臭気の濃さに比例して強く、確たる信に移り変わっていった。思わず喉が唾を嚥下し、剣を握る手にこもる力も強くなる。
やがて、彗が足を止めた。そこはこの屋敷でも一番広い広間になっている場所の扉の手前だった。彼がわずかに視線をこちらに向ける。音を立てるな――視線が訴える意思を正確に読み取り、レイフォールは小さく目配せだけでそれに答えた。
二人が息を鎮める。同時に、部屋の奥からはカシャ……という音が複数聞こえ漏れる。
――この音はなんだ?
生じた疑問。答えに行き着くのに数秒要し――音の正体を悟ったレイフォールは驚愕に双眸を見開く。
同時に、彗が動いた。腰の鞘から黒い剣を抜き放ち、同時に室内へと飛び込む。剣戟音が響き渡った。かつて彼が謁見の間に姿を現したのと同じ、疾風迅雷の如き疾駆に一瞬忘我する。
我に返りレイフォールが部屋に入った頃には、すでにすべての決着がついていた。時間にすれば物の数秒だったのだが、彼にかかれば、十にも届く数の敵ですら一瞬にして掃討するのは容易だったらしい。
血溜まりの上に幾つもの残骸を残したそれらになど興味もないように、彼は一度剣を振って鞘に納めた。
だがレイフォールのほうはそうもいかない。彼のように涼しげにこの凄惨な場に佇立することはできない。
部屋は文字通り血の海だった。足の踏み場もないほど床は流れた血に染まり、壁や天井まで血や臓物で汚れている。地面に転がる残骸の下に転がる死体は、最早原形を留めているもののほうが少ない。これでは誰が誰なのか特定することも難しいだろう。多くの家令も、在宅していたはずの両親であろうと、こうなってしまえば見る影もなく、どれも同じに見えてしまう。
呆然としたまま血溜まりに足を踏み入れ、暫し血と腐臭に塗れた部屋に佇んでいたレイフォールは、やがてその肉の残骸から別の残骸へと視線を移した。
こちらは今できたばかりの、しかしなんの感慨も抱くことはない金属の山。
レイフォールは思考を手放しそうになる自分を無理やり奮い立たせるように声を漏らした。
「――何故、此処に擬神機が?」
その言葉に、「決まっている」と、彗が唾棄するように言葉を口にする。
「敵は外だけじゃない……ということだ。それもお前に罪を被せるという形で……な」
「まさか……!?」レイフォールは有り得ないと叫ぼうとした。しかし、現状は彼の言葉を否定るすることを許さなかった。更に、
「此処に来る前……やたらと大きな物が大量に城下を通って運ばれてきた。送り先は、メルフェイム家所有の土地だそうだ」
つまり、彼はその真偽を確かめにこの場所を訪れ――そしてこの場に出くわしたということである。最早否定する要素は何処にもなかった。
レイフォールは崩れ落ちそうになるのを必死に堪え、同時に苦渋に顔を歪める。
「一体、誰がこのような謀略を……」
「知りたいか?」
「知っているのですか!?」
思わぬ返しに声を荒げる。彼は小さく吐息を漏らしながら首肯した。
ならば誰が? そう尋ねるよりも早く、彼はその人物の名を口にした。その名を聞いた瞬間、レイフォールは今日だけで最早何度目とも知れない驚愕に――そして今日一番の驚愕に、その双眸を見開き、発する言葉を失った。




