とある鍛冶屋の一日 ~飛空の国~
~飛空の国・Reiwind~
大陸の北端に位置する国。
国中を覆う、通称『飛行石』の力によって国民は誰でも自由に空を飛べる能力を有する。気候は寒冷で、降雪を記録しない日の方が少ない。
その日は夏にも関わらず雪が舞っていた。他の国なら珍事だと目を丸くするのだろうが、一年のうち半分以上の天候を『雪』と『吹雪』が占めるこの国では何ら驚く事ではない。せいぜいまた雪か、とうんざりされるのが関の山だろう。
「おー雪か。この季節に降るのもまた珍しいなぁ」
……前言撤回。どうやらうちの親父は例外らしかった。
「何感心してんだよ。雪なんていつも見てるじゃんか」
「俺達は見慣れてるだろうが、あの人は見てないだろう。せっかくだし呼んで来い、珍しいものが見れるぞ、ってな」
「……はいはーい」
親父の言う『あの人』とは、先日この国に来たばかりだと言う翠の髪の男だ。何でも旅をしているらしく、わざわざエディグッスからここにやって来たらしい。
ここからその国までは相当遠いというのに物好きな奴もいたものだなとその時は感心したが、いきなりうちに泊めてくれと言われた時は驚いた。しかもそれに二つ返事で了承した親父にも驚いた。
「ったく、気前はいいんだけど少々大雑把なんだよな、うちの親父は……」
二階へと続く階段を上り、その男がいるであろう部屋の扉をノックする。返事はない。まだ眠ってるのかと思い扉を開ける。
「おーい、そろそろ起きろー……って」
ベッドには人の気配がない。こんな朝早くから出掛けたのか、でも何をしに。部屋をよく見渡すと、隅の方に置かれた机に簡素な便箋が一通。封を切り、中に入っている手紙を見てみる。
『もう少しこの国にいたかったのですが、私は次の国へ向かう事にします。短い間でしたがありがとうございました』
「……やれやれ」
最初から最後まで身勝手な人だったと苦笑いしながら、手紙を持ち下へと降りて行くとそこにはお袋がいた。
「あれ、親父は?」
「材料仕入れて来るって外に出て行ったよ」
「ふーん」
窓の外を見ると、確かに親父が雪空の中を『飛んで』いくのが見えた。こんな絶対に飛行したくない天気の中でも普通に飛んでいくのが親父だ。そのうち本当に死んでしまうんじゃないかと戦々恐々している。
「ほら、朝ご飯食べなさい。ところであの人は?」
「あぁ、それが……」
ここはレイウィンド。
誰でも自由に空を飛べる、ちょっと変わった国。
「へぇ、あの人行っちゃったんだ」
朝食のスープをいっしょに啜りながら、手紙を読んだお袋がしんみりと呟く。この国には特別な『飛行石』って鉱石があって、どんな経緯を経るのかは知らないけど、空を飛べる力を持ってるらしい。そこから漏れた力が国の中に充満してて、国民も産まれた時からその力を無意識的に摂取しているから空を飛べるってわけ。
「タイミング的には今日の朝かなー……今日のスープ味違うね」
「たまには気分変えて、アースガリアの野菜使ってみたわ」
「道理で」
ただ、その力は空気と混ざって作物や家畜なんかにも作用を及ぼすから、ここで採れる野菜なんかはかなり独特の風味が付加されている。好き嫌いが完全に分かれるから唯一の貿易国であるアースガリアの野菜が好まれたりするんだけど、個人的にはこの国の野菜の方が美味いと思う。
「美味しくなかったら食べなくて結構です」
「誰も不味いって言ってないじゃん……親父は飛行石採り?」
「ええ。明日が明日だし、今日中に仕入れないとね」
そしてその野菜と交換しているものと言うのが、先述した飛行石。と言っても原石は力が強すぎて体に害を及ぼすから、加工して力を弱めなきゃいけない。もちろんその加工は誰にでもできるわけじゃなくて……
「そう言えば、今日はあんたにも加工の方法教えるらしいわよ」
「うへぇ……遂にこの時が来てしまった」
「文句言ったところで、いつかはあんたが教える側になるんでしょうが。嫌な顔せずにしっかりと学びなさいよ」
「……やれやれ」
今となってはもう、この鍛冶屋の家系の者にしか行えない。で、その家系に生まれてしまったからには、否が応でもその技術を身につけなければならない。なんとも迷惑な話である。
◆
「あーあ、明日は地誕祭だってのに、ついてないなー」
スープで体が温まっているうちに部屋に戻り、布団に包まって熱を逃がさないようにする。
地誕祭は月に一回行われる祭りで、この日ばかりは空を飛ぶ事が禁止される。飛行できるとは言ってもそれ以外は何も持たない民族だから、たまには地に足を着けて生活しようって事で始まった祭りらしい。コンセプトはよく分からないが、この日ばかりは夜になっても外で騒げるうえに出店や見世物がいっぱい出るから国民全員が楽しみにしてるのだ。
「そう言えば……明日のこと、知らなかったのかな」
そう言ったお祭りがあると知っていたなら、あの人もきっと明日いっぱいまでいてくれただろうに。無口で物静かな人だったからそう言う行事が嫌いだったって可能性もあるけど、きっと気に入ってくれるはずだ。あの人はそもそも空飛べないし。
「……どこに行ったんだろう」
エディグッスからここに来たのならば、その途中にはエインヘンヤルがあるはず。多分迂回してきたんだろうから、次の目的地はそこに違いない。
お袋は『野蛮人の集まる危険な国』って言ってるけど、きっと強い人達がいっぱいいておもしろそうな国だ。一度は行ってみたいんだけど、国を少し離れると飛べなくなるのが辛いんだよなぁ……
「お父さん帰って来たわよ」
と、そんな事を思ってるうちにお袋がやって来た。どうやら今日の自由時間はこれで終了らしい。名残惜しいが仕方がない。
せっかく布団にくるまって温まった体が急激に冷えて行くのを感じながら、工房へと向かう。
◆
「お、来たな」
工房に着くと、当然のようにそこには親父がいた。朝に会った時とはうって変わって厚着をし、顔には分厚いヘルメットのようなものを付けている。
「どうしたの、その格好?」
「石を加工する時にはいつだってこれだ。そこにお前の分があるからさっさと着ろ」
「はいはい」
言われるままに服を着、ヘルメットを被る。どちらも相当重く、さらに相当暑い。近くで火が燃えてるからかもしれないが、少なくともこのレイウィンドの寒さくらいは完全にシャットアウトできるだろう。これを着て空を飛ぶ気にはなれないけど。
「着終わったよ。でも何でこんな恰好を?」
「その理由は、これから話す」
そう言って、親父はおもむろに横の袋から何かを取り出し、それがよく見えるように目の前の台座に置く。
「これが『飛行石』の原石だ」
そう説明されるまでもなく、薄々感づいていた。純度の高い翡翠よりも鮮やかな翠。ちょうどあの旅人の髪の色を彷彿とさせるその石は、同時に良質の水晶のような透明度をも併せ持っている。
このままでも宝飾品として十二分に利用できそう、それが原石を初めて見た素直な感想だ。
「綺麗なんだね」
「あぁ。だが同時に物凄く危険な石だ。加工しないまま生身の体で触れてしまえば、確実に五体満足ではいられなくなる」
「そんなに危険なの?」
「試してみるか?」
「えっ?」
冗談じゃない。突然何を言い出すんだこの親父は。絶対に了承するわけがないだろうに。
「ハハハ、冗談だ。……だが、これだけは覚えておけ」
「何だよ?」
『五体満足で居たければ、常に細心の注意を払う事だ』
その時の親父の声は、さっきまで冗談を言っていたとは思えないほど真剣味があった。恐らくは親父の親父から、そしてその親父の親父も……と言う風に、代々そうやって言われてきたのだろう。自然と空気が引き締まり、ピリピリし始めたのを感じとる事ができる。
「最後の方にはお前にもやらせるが、まずは見て覚える事からだ。いいな?」
「……分かった」
親父はゆっくりと頷き、そして飛行石の加工を始めた。。
◆
「はぁ……疲れた」
その後、昼食と何回かの休憩を挟んで、終わった頃にはもう日が暮れ始めていた。この国では夜間飛行は禁じられている。理由は単純で、夜になると視界が利かないから事故を起こしやすいため。だから飛ぶのは昼の間だけと定められている。差し当たって飛行可能時間はあと半時間くらいか。
「ちょっと出かけてくるよ」
「日が暮れる前には戻って来るのよ?」
「分かってるって」
一歩外に出るとそこは白銀の大地だった。風もかなり強い。
数歩歩いて積雪の感触を楽しんだ後、ふわっと浮かび上がって宙に浮く。後は普通に歩くのと同じ要領で自由自在に空中を移動できる。風に乗るとスピードも出てすごく気持ちいいけど、雪がちらついてるとやっぱり寒さも一段と増す。朝より小振りになったとはいえ、さすがに少し堪える。
「……あれなら、すぐマスターできそう」
加工の手順自体は、そんなに難しくなかった。飛行石を火に入れ、どろどろに溶かしたところで型に流し込み、冷やし固めたら研磨。これを数回繰り返すと飛行石は輝きの鈍い淡緑色になり、最後に魔力が抑えられている事を確認して終了。本当に誰にもできそうなもので、何故うちしかできないのかと疑問をぶつけてみると、こんな答えが返って来た。
「設備の問題……か」
一見単純そうに見えるこの工程は、しかし飛行石が持つ力のせいで格段に難易度が上がっている。例えば石を火に入れて溶かす際、普通に入れただけでは魔力と反応して大爆発を起こす危険性を孕んでいるらしい。他にも普通の型では流し込む時に型の方が溶けてしまうとか、研磨の時に刃がボロボロになってしまい研磨できなくなる、とか。そもそも並の手袋では飛行石を握れないらしいし。
「やっぱ、うちだけが特別なのかな」
技術だけなら誰にでも伝承する事はできる。だが技術だけ教えても、有事に対応できるだけの設備がなければ大惨事が起こってしまう。だからこそ、飛行石はそう言った設備を持つうちでしか加工する事が許されないのだろう。
「って、待てよ?」
それなら、技術を教え込まれた人がうちの設備を使って加工すれば何の問題もない話ではないのか。わざわざ『うちの家系だけ』と拘る理由はどこにもない、むしろそういった人間を増やした方が今後の国のために……
「ハッ、何考えてるんだろ」
そんな事をあの親父に言ったところで、お前がサボりたいだけだろうとか言われて聞く耳持たれないに違いない。何だかんだで職人肌だし。
「……帰るかな」
辺りは出かけた頃に比べてかなり暗くなっている。おまけに風も雪も強くなって、これ以上飛んでると事故を起こしかねない。何より明日は地誕祭だ、怪我で楽しめないなんて事は絶対に避けたい。もう少しだけ飛んでいたかったけど仕方がない。
「急がないと……」
方向転換して、たった今まで飛んできたのと全く逆の方向に進み始める……ってあれ、急に強風が吹いて、体が流されて、
なんだかどんどんと地面が近く……
◆
次に気がついた時には、何故かベッドの上に寝かされていた。
さっきまで空を飛んでいたはずなのに、何でこんなところにいるのだろう、思い出そうとするがなかなか思い出せない。
「目を覚ましたか……よかったよかった」
横にいた親父に事情を聞いた限りでは、どうやら風に流されて地上に墜落したらしかった。下が雪だったのとそんなに高度がなかった事から軽傷で済んだものの、普段なら骨折じゃ済まないと医師には言われたらしい。
「全く……雪に感謝するんだぞ。それとあの旅人にも」
「えっ、でも今日別の国に旅立ったばかりじゃ……」
「今日いっぱい街中を散策して、夜に発とうとしてたらしい。その途中でお前を見つけてここまで運んでくれたってわけだ」
「そっか……で、地誕祭の事は話したの?」
「いや、元々知ってたみたいだが、先を急ぐからってそのまま去って行ったよ。もう少しゆっくりしていけばいいのにな」
背中をバシバシ叩かれながら、ぼんやりと思う。何はともあれ、あの旅人は命の恩人なわけには違いないのだ。ならば、彼が祭りを楽しめない分、代わりに思いっきり楽しむのがせめてもの恩返しになるんじゃないか。ただ自分が楽しみたいと思われたらそこまでだけど、旅立った今ではそれくらいしかしてやれる事はない。
「それじゃ、もう寝るよ。明日は早いし」
「あ、大事を取って明日の地誕祭には行かせんからな」
「……はい?」