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言葉(仮)  作者: アヒル
言葉(仮)
9/9

終章 【言葉】

 声には不思議な力がある。

文字には無い不思議な力。

あるときは愛を伝える言葉になり、

あるときは音楽を奏でる歌となる。

またあるときは争いを生む武器となり、

またあるときは悲しみを訴える叫びとなる。

人の声は、人の感情をのせて、人の頭に届き、人の心に響く。


 長い間忘れていた。失って初めて気が付いた。生まれながらにして持っていた不思議な力を。もう二度と忘れたりなんかしない。自分自身のためにも、深紅のためにも、そして母さんのためにも。

「…………み……つき?」

「うん」

「美月!」

 彼女は僕に倒れかかるように抱きついてきた。僕も力を込めて深紅の身体を抱きしめ返す。僕らはそのままの形でぼろぼろ泣いた。だけどまだ答えを聞いてない。少し意地悪な局面でもあるけど、聞かずにはいられなかった。

「深紅っ! 大好き! 深紅は?」

「うっ……うぅぅう……だいっ……すきぃ! だい……ぅ……好きぃ!」

 そう言い終えると、深紅は声を大にして泣き始めてしまった。

 『わぁぁぁぁぁ わぁぁぁぁぁ』と泣きじゃくる深紅の声の合間に、川の流れる音が聞こえている。ここはなんて、泣くには最適な場所なんだろうと思った。

 ようやく深紅の気持ちを聞けて、僕の心は溶鉱炉のように真っ赤に燃え上がり、やがて、溶けてもなお沸騰するマグマになった。僕の腕の中で、僕のことを好きと言ってくれた。もう、本当に胸がいっぱいだ。後のことは何だっていいと思った。この腕の中に深紅だけを残してくれれば、他のものは全て消え去っても構わないと、心からそう思えた。



 どれくらい経ったか分からない。僕らは泣き止んだ後も、ずっと抱き合ったままだった。どうしてか分からないけど、この手を解いたら、深紅が離れていってしまう気がしたからかもしれない。そんなこと考えたのはほんの一瞬なのに、どうしても拭い去ることができなかった。もしかしたら、どこかの哲学者が言っていたように、『人は生まれた瞬間から死に向かっている』のと同じ感覚なのかもしれない。願わくば、深紅も同じことを考えていて欲しい。彼女の頭をやさしく撫でながら、僕はそう思っていた。

「ねぇ、みつき?」

「ん?」

「好き?」

「うん、好き」

「ほんと?」

「ほんと」

「私も好き……」

「ほんとか?」

「ほんとっ」

 深紅の顔は見えないが、きっと僕と同じ表情をしているに違いない。

「ずっと一緒にいてくれる?」

「それはこっちの台詞だよ」

「やーだー、聞きたいー」

 可愛すぎて少し笑ってしまった。女の子という生き物は、気を許した相手にしか見せない部分というのがあり、それは普段とはこんなにもギャップがあるものなのかと、感心するのと同時に、自分だけが知っているという優越感が胸を満たしていった。それから僕は首をフルフル振っているお姫様に、望み通り答えてあげた。

「ずーーーーっと、一緒にいるよ」

「ほんと?」

「こら!」

 また二人で笑い合う。そしてゆっくり深紅が体勢を起こして、お互いの腕が解けてしまい、足は崩しているが正座で向かい合っているような形になる。

「ずっと、一緒だよっ」

 その言葉と一緒に、深紅の少し潤んだ笑顔を見て、現実感がふつふつと沸いてくる。どっちが先かは分からないが、二人ともタコみたいに真っ赤になっていった。顔を逸らしてはチラッと目が合い、二人とも照れながら笑った。

「ねー」

「なに?」

「抱っこして」

「は?」

 声が裏返ってしまった。意味が分からない。え? だっこ??? よく分からず、とりあえず立ち上がろうとした。

「ちがうー」

「えぇ????」

 それから深紅の細かい指示に従うと、体育座りの足を開いたような格好にさせられた。すると両脚の真ん中に空いたスペースに、深紅が後ろ向きでちょこんと座った。あぁ、なるほど、これが女の子の世界では『抱っこ』というのか。深紅の小さな背中が目の前にきたので抱きしめてみる。途端に深紅から桜のやさしい香りがしてきた。左耳に深紅の髪の毛がさわさわと当たっている。無意識に、本当に無意識に視線が下に落ちた。白いコートの隙間にピンク色の二つ膨らみが見えてしまった……。

 男というやつは本当にどうしようもない生き物だ。意思とは別に生理現象が自動的に働いてしまう。自分で言うのもなんだけど、ここまで本当にロマンチックにやってきたというのに、たった一瞬、あらぬ事を考えただけで全てをぶち壊そうとしてくれる。深紅にバレないよう、そっと、慎重に、腰だけを僅かに引く。そして謝る。

(ごめんよ、深紅……)

 情けない気持ちでいっぱいだ……。

「きれい……」

「……なにが?」

「作るの、大変だったでしょ?」

「あぁ、これか」

 そう言ってシートの周りに落ちているコスモスを一枚拾った。これはおととい、深紅をデートに誘おうと決めた日に僕が作った物だ。画用紙とクレヨンを買って、色を塗ってから切り取った。一番時間を費やしたのは切り取る作業だった。やっている間に色々作業方法を考えて試行錯誤してみたが、どの方法も大して時間の差はなかった。昼から始めて、袋がいっぱいになる頃には夕食の時間になっていた。何にせよ手を抜くことだけは絶対にしないと決めていたので、花びら一枚一枚きちんと先端がギザギザになっている。だから『きれい』と言われて謙遜などせず、自慢げに言った。

「深紅のことを想って作ってたから、あっという間だった」

「もぉ、何か今日の美月、とーってもキザね」

 顔が赤くなってしまったが、こういうときの『抱っこスタイル』は便利だった。

「でも、本当に素敵……ありがとう、美月」

 切ない声でお礼を言われ、どくん、と胸が高鳴った。だけど、もう隠す必要など無いことに気付き、いっそのこと聞かせてやろうと、身体を押し付けて強く彼女を抱きしめた。

(……とくん、とくん、とくん)

 すると、自分の喧しい鼓動とは遠いところで、小さく、小刻みに、でも確かに深紅の鼓動を身体で感じた。深紅も同じように感じているのだろう。それが証拠に二人とも示し合わせたかのように黙っている。

(ドクン、ドクン、ドクン、ドクン)

(とくん、とくん、とくん、とくん)

 僕は喉をゴクリと鳴らしてから、願いを込めて彼女の名前を呼んだ。

「深紅……」

 僕の願いが通じ、深紅は静かに僕を振り返ってくれた。切ない表情だった。初めて知った。本当に、本当に人間同士が見つめ合うと瞳は止まらない。深紅の瞳は僕の歪んだ顔を映しながら、何かを探しているように細かく動いていた。それはたぶん僕も同じ。深紅の瞳を見つめれば見つめるほど、どこに焦点を合わせていいのか分からなくなる。どう見つめれば想いが伝わるのか、どこを見つめれば僕らは次の行動に移ることができるのか、それを必死に探していた。

 そのまま深紅の世界に吸い込まれてしまいそうだった。とても心地よくて、身体は強張っているのに力が入らない。出来ることは深紅を愛おしく想っていることを視線に込めるだけだった。それが通じたのか、ただ我慢できなくなったのかは分からない、深紅の長いまつ毛がゆっくり下がっていった。……それから、どちらともなく顔を近づけていき、僕と深紅は口づけを交わした。

 一秒だったか、二秒だったか、そんな程度の時間だったのに、何故だか軽く息があがってしまっている。それが無性に恥ずかしくなって、僕はもう一度深紅の口を塞いだ。今度は少しだけ長く……。深紅の唇を開放してやると、今度は深紅が甘く、切ない吐息を漏らしている。その口元を見つめていると、深紅の方から三度目のキスをしてくれた。

 顔をゆっくり離してから、目を見ないようにして二人とも元の体勢に戻った。する前よりも二段階ほど心臓が早くなっていて、とても息苦しい。耳から心臓が飛び出てきそうだ。また深紅の背中にくっついて、互いの速さを確かめ合う。収まるまでずっと。

 甘い沈黙が訪れ、その間、あまりにも自然に初めてのキスができたことに驚いていた。誰かから教えてもらったわけでもないのに……。

(そういえば、深紅は鯛焼き野郎としたのだろうか……。もしかしたらアイツの前にも他の男と……)

 そんなこと、考えなくてもいいのに、勝手に考えて落ち込んでしまう。自分でも女々しい奴だと思ってはいたが、まさかこれほどとは思いもよらなかった。

「あの……、初めてだから……」

 いつも以上に小さくなってもじもじしている。

「えっ?」

「だからっ…………キ……キス……」

「ええええええっ!」

 僕がごく当たり前の反応をすると、それに不服なのか、深紅までもが驚いた顔で振り向いてきた。

「なっ、なによ! 嬉しくないのっ!」

「ちっ、違くて! だって鯛焼き野郎と一年も付き合ってたんだろ?」

「鯛焼き????」

「あ、ごめっ、なんだっけ、えーっと、あ、しのざき」

「あぁ、二人でなんて会わないもの、いつも友達と一緒。それに、ゆたかとは周りが騒いで強引に付き合うことになっちゃって……」

「へぇ~~~~」

 かなりわざとらしく、長めに相槌をうった。

「なによう」

 半分だけこちらを向き、深紅は唇を尖らせている。

「強引にされたら、付き合っちゃうんだぁ~~~」

 意地悪な口調でからかってみる。

「ち・が・う! そんなんじゃ、ないもん……」

「分かった分かった」

「もぉ!」

「嬉しいよ。本当に……。大好きだよ、深紅」

 きゅっと、軽く腕に力を加えた。

「…………もぉ」


 それから婆ちゃんと一緒に作った弁当を一緒に食べ、二人で川を眺めながら、今まで喋れなかった分を取り戻すかのように、僕達はただひたすら会話を続けた。深紅と出会ってからの話、出会う前の話。互いのどこが好きか、それにいつ気が付いたか、二人で何がしたいか、どう過ごそうか、どう振舞おうか。夢について、季節について、雲の話、風の話、本当に何でも話した。

 辺りは夕焼け色に染まり、派手な色のコスモスも、だんだんと目立たなくなっていった。もうそろそろ帰る時間。全ての人にそう思わせるかのような切ない風景。真上に広がる空は、丁度、深紅の指輪にはめ込まれた石と同じ色だった。光を失いかけたときに数分だけ現れる、夢と現実の狭間の色。

 帰る前に、深紅と話し合っておかなくてはならないテーマがある。もう、お互いに気持ちが固まっているのは確かだけど、まだ伝えきれていない大切なことが残っている。『押すときは、絶対に逃げられないように押す』そうだろ?

 僕の肩に寄り添って川を眺めている深紅に、最後の気持ちを伝え始めた。

「深紅」

「なぁに」

「最後にひとつだけ話して帰ろう」

 何かを悟ったのか、顔だけ僕の方に向け深く頷いた。

「脚のこと、まだ怖いか」

「……」

 しばしの沈黙の後、注意深く見ていないと気付かない程に小さく、深紅はコクっと頷いた。

「よく考えてみたんだ、やっぱり、深紅の脚が動かなくなったときに、俺がどんな気持ちになっているかなんて、分からない……。でも、俺は深紅の脚に惚れたわけじゃない。一緒に悲しんでくれるところ、一緒に苦しんでくれるところ、一緒に喜んでくれるところ、そういうところに惚れたんだ。だから、それだけあれば、後はどうなろうが、ずっと好きでいられると思うんだ」

「美月……」

 僕はリュックにもたれかかるようにして置いてある茶色い紙袋に包まれた一冊の本を手に取り、紙袋を丁寧に開けて中からそいつを取り出した。

 A4サイズの本の表紙には、夕焼けの空に向かって悠々と空を飛ぶ、一匹の白い鳥が描かれていた。

『そらとぶアヒル』

 その絵本を深紅に手渡してやると、彼女はゆっくりとそれを受け取り、まじまじと表紙を眺め始めた。

「知ってたか。アヒルって空飛べるんだぜ」

 その言葉を聞いて思い出したのか、小さく肩が震えだした深紅に僕は続けた。

「飾りの羽でも飛べるんだよ。……だから、だから深紅も、脚が動かなくなったって、きっと飛べるはず。歩けなくたって、飛べるなら、良いと思わないか?」

 そっと絵本を抱きしめた深紅は、下を向いたまま涙を流している。日が完全に落ちてしまい、周囲が暗闇に包まれてしまった。やがて彼女は静かに顔を上げた。

「うん」

 深紅が湿った声でそう言うと、月の光がやさしく輝きだし、深紅の顔が薄っすらと暗闇に浮き上がってきた。泣いているけど、とても安らいだ表情。それを見て僕も安らいでいくのを感じる。そして僕らは秋の空に半分だけ顔を出した月の下で、再びキスを交わした。

 季節外れの鈴の音と共に。


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