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言葉(仮)  作者: アヒル
言葉(仮)
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一章 【いれもの】

「五時三十五分発ー、急行、西武新宿行きー、まもなく発車致します」

 西武新宿線、所沢駅に、発車前のアナウンスが流れると、賑やかな音楽がこだまする。

 僕は、ゆっくり電車の中へ乗り込むと、慌てることなく空いてる席に腰を下ろした。

 電車のドアが閉まったところで、バッグから携帯ゲーム機を取り出して、イヤホンをセットした。

 平成二十一年二月十一日、建国記念日。この年の東京は例年よりも暖かく、けども、小さくて細かな雪が何度も降った。

 夜になると、騒がしいネオンが創り出す紫色の空から、ゆらゆらと細雪が舞い落ちる。朝になると、雪はほとんど失われており、ビルの合間の駐車場に止めてあった車の上にだけ、うっすらと、確かに存在していたことを主張していた。

 そんなことが今月に入って五回もあり、そして昨日の夜がその五回目だった。僕はその夜のことを、深く後悔することになる。生きるのが辛くなる程に。



 僕の名は瀬戸美月せとみつき、女みたいな名前を恨めしく思ったこともあったが今は案外気に入ってる。歳は十四。特技は家事全般。A型ということもあって、料理には細かいこだわりがあるし、洗濯物を干すときなんかは、それぞれ、物に合った干し方をしないと気がすまない。掃除に至っては他人にさせたくない程だ。

 性格は明朗活発でいて、大人顔負けの冷静さを持ち、リーダーシップのとれる人間だ。なんて自惚れ屋だと思うかもしれないが、小学生の頃から、教師同士話し合わせたかのように、通信簿の『ひとこと欄』に度々そう書かれるのだ。

 しかし、真実は少し違う。

 実は、毎日のように、授業中に面白いことを言って皆を笑わせ、進行を妨げて先生を困らせたり、悪さをしては体育教師にゲンコツを食らったりしている、そんなお騒がせな悪ガキなのだ。

 中学二年の終わりを迎えたところでの成績はギリギリ平均点。最近は仲間との遊びが生活の中心にあるせいで、すいぶん下がってしまったが、昔はもっと頭が良かった気がする。が、気にはしていない。

 遊び、というのは中一の頃に覚えた麻雀のことを指す。放課後に仲間と集まっては毎日のように賭けて遊んでいる。まぁ、動くお金はせいぜい大きくて千か二千そこらだ。だからといって、腕前をなめてもらっては困る。さっき言った『仲間』の中には友達の家族も含まれており、しょっちゅう雀荘に通ってる兄や、大学時代にセミプロまでいったという父親とも勝負をし、今のところ総合成績で『黒』なのだ。

 前に、勝ちが続いてそこそこ軍資金が貯まったので、大学生三人を相手に、彼らのルールとレートで勝負したことがあったが、結果は大勝で、『そこそこの軍資金』は、一夜で倍になってしまったのだ。そう言うと目を丸くするかもしれないが、近頃ではそんな中学生は珍しくない。

 ところが、最近の中学生のくせして女の子と付き合った数はゼロ。毎年チョコの数は母のを抜かして二、三個は獲得するところを見ても、全くモテないわけではないと思う。

 なんというか、両思いと分かっていても、そこから先、何をどうしたらいいのか分からないし、今は仲間と遊んでいるのが楽しいので、そうなる前に、いつも時間だけが過ぎてしまう。

 と、いった感じで、毎日そこそこ楽しく過ごしているが、社会的な位置は『あまり恵まれない子』らしい。理由は簡単、僕は生まれたときから父親が居ない。付け加えると兄弟もいない。少なくとも、僕が物心付いた頃からは、母はずっと水商売で生計を立てている。要するに典型的な母子家庭ってやつだ。

 僕が赤ん坊の頃、長野にある母の田舎から、婆ちゃんが助けに来たり、逆に長野に預けられたりもしたらしいが、基本的には母ひとり、子ひとりで暮らしてきた。

 毎日朝から保育園に預けられ、母が迎えに来るのは、大抵最後の一人になってからだった。小学校に上がっても状況は大して変わらず、学校から帰ってきても母の姿は無く、代わりに、テーブルの上に五百円玉がぽつんと置いてあった。

 ここ最近で一番の変化といえば、五百円玉が千円札に変わったことだけだった。

 通信簿に良いことだけ書かれるのはそんな背景があるからだと思っている。担当の先生が家庭訪問に来て、現在の家庭状況を聞いていく、それは記録として学校に残される。その記録を次の担当教師が目を通し、再び家庭訪問。結果、皆思うわけだ、『可哀想な家族』と。そんな安っぽい同情から生まれたのが良いことしか書かれていない『ひとこと欄』に繋がるのだと、僕はそう考えてきた。

 だからこそ、通信簿に『忘れ物が多い』とか『注意力散漫、先生の話は最後まで聞きましょう』というような、悪い面をきちんと書いてくれる先生がいると、とても嬉しくて、無理を言って家に遊びに行ったり、悩み事をあれこれ相談したりと、とにかく自分から近付いていった。僕の大人を見る目、というのはそういうところで培われた。

 大人と言えば父親の話。小さい頃は死んだと聞かされていたが、本当は僕が生まれる三ヶ月前に、母とお腹の中の僕を捨ててどこかへ逃げてしまったそうだ。そして僕が二歳になる頃、判の押された離婚届だけが送られてきたという。

 中学の入学式の夜、久しぶりに母が腕によりをかけて作ってくれたご馳走を食べているときに教えてくれたのだ。写真も見せてもらった。嫁入り道具として婆ちゃんから譲り受けたという、貴重な黒柿を使用した裁縫道具箱の一番下にそれはしまってあった。

 渡されるときに「ろくでなしの顔はどんなかなー」と母に悪態をついたが、本当のところ、微妙な心境だったことを良く覚えている。

 右下にオレンジ色のデジタル数字で『’94. 8.16』と印字されたその写真は、少し色が抜けていたが、さほど、昔のもの、という印象は受けなかった。中央に若い男女が札幌の時計台を背に写っていたのだが、驚いたことに、最初に目を惹いたのは若々しい母の姿だった。

 黒茶色に、くすんだ赤色の小さな薔薇が全面にプリントされ、胸の部分にギャザー加工が施されたワンピースを着て、黒いタイツに紫色のパンプスを履いていた。

 なかなかやるじゃないか。素直にそう思った。当時二十歳だった母は今の若い子とさほど違いはなく、顔、服装、髪型、そのどれをとっても、そのまま出て来て十二分に通用すると思った。

 ……その隣。Tシャツを着て、ジーンズにブーツを履いた、無造作ヘアーのさわやか風の男。なるほど、結構な伊達男だった。それだけ。後は特になんとも思わなかった。

 母は、会いたいなら連絡先と住所を教えてあげると、手帳から小さく折られた一枚の紙を取り出したが、そんな気は更々起きなかったし。そんなもの必要ないから捨ててしまえと言った。

 そんなことより――と前置きをしてから、写真に写った母のセンスを褒めてやると、母はくすぐったそうに少しはにかんでから、「あたりまえよ、母さんモテモテだったんだからね」と言って、腰に手を当て、えっへん、のポーズをした。

 それから、若い頃の色々な思い出話や、失敗談を聞かせてくれた。一緒に笑ったりして、なかなか楽しい中学生初日だった。

 ほったらかされて育ってきたとはいえ、母はそんなに悪い人間じゃない。まともに休めるのは週一回のお店の定休日だけ、その日はよほど体調が悪い場合を除いて、必ず僕の希望を叶えてくれた。行きたい場所があれば連れて行ってくれるし、欲しいものがあれば一緒に買いに行ってくれた。家でゆっくりしていたいと告げると、本当に一緒になって一日中家でごろごろしていたこともあった。こう、改めて考えると、どちらかといえば僕は甘やかされて育てられた部類に入ると思う。

 だから別に、子供時代の大半を一人にされたことなど恨んだりしてない。それどころか、きちんと愛情を注いでもらってきたことに感謝している。恥ずかしくてそんなこと絶対に言えないが。

 そういえば『甘やかされて育てられた』で思い出したが、ひとつだけ、母は僕に間違った育て方を実践していた時期がある。今はもちろん、なんとも思っちゃいないが、当時の僕は、相当母を責めた記憶がある。

 単純に言うと、『甘やかされて育てられた』ではなく、『可愛がられて育てられた』のだ。――女の子のように。

 なんだそんなことか、と思う人が大半だと思う。しかし、『そんなこと』でも度が過ぎると本人の人生を大きく左右してしまうことを僕は知っている。

 名は体をあらわす。とはよく言ったもので、美月という名前が表す通り、僕は周りから見ても可愛かったのだと思う。母以外の人と話すと、かなりの確率で「お嬢ちゃん、可愛いねぇー、今いくつー?」と聞かれていたからだ。

 その現象を、当然の如く母は面白がり、それから女の子の格好を度々させられるようになっていった。

 男の子にこんな名前を付けるのだから、女の子が欲しかったに違いない、それは分かる。育児には、多少の遊び心も必要なのだとも思う。(ことにする。)

 しかし、どんなものにも物事を定めるボーダーラインというのがあるのだ。それを超えたが最後。次には疑うことを止めてしまう。

 残念ながら、僕はそのラインを超えてしまった。人から『可愛い』と褒められることが、たまらなく嬉しく感じるようになってしまったのだ。

 結局僕は、女の子として保育園に通っていた。母の話では、可愛いプリントシャツにオーバーオールを着て、長めの髪を後ろで二つに結わいてもらうのがその保育園では流行だったらしい。確かに同じような格好の女の子四人が写っている写真が保育園のアルバムにあった。……もちろん、その中の一人が僕だ。

 そのまま行けば、女の子として赤いランドセルを背負わされていたかもしれない。そんな小学校入学前のお正月。待ちに待った変化が訪れた。

 今は大抵友達と遊ぶのを優先するのでしばらく帰っていないが、昔は毎年正月になると田舎に帰って新年を祝うのが習慣だった。大人達の話がさっぱり面白くない僕は、決まって、三つ年上のいとこの女の子(親戚で歳の近い子は彼女しかいなかった)と、お人形遊びをして遊んでいたり、絵本を読んでもらったりしていた。お年玉を貰ってまわる他は、それだけが僕の楽しみだった。

 その日も同様に、いとこの子と髪型遊びをして遊んでいた。僕の髪をおでこの上でぴょこんと立つように結って、可愛いって言ってくれていた。

 そんな折、爺ちゃんが酒焼けのした重たい声で、小ばかにする様に僕に言ったのだ。いや、僕だけじゃなく皆に言った。

「美月、女の子とばっかり遊んでたらチンチン取れちゃうぞ? まだ付いてんだろう?」

 それを聞いた母の台詞。

「美月は女の子だから良いんです。チンチンなんて無くたって平気よ。ねぇ美月ー」

 そんな他愛も無い会話。僕は顔から炎が立ち昇るように真っ赤になった。爺ちゃんはそれを更に茶化すので、僕は、しまいには大泣きしてしまって、いとこのおばさんに終始くっついていた。それから女の子を別の生き物として意識するようになった。

 かくして、男の子としての自我が確立した訳だけど、それとは引き換えに正月の楽しみがひとつ消え、更には気になる女の子の顔をまともに見れなくなるという悪い習性が植えつけられてしまった。

 好きな女の子の目を見て話すと、恥ずかしくて赤面してしまうのだ……。世間一般では笑い話のレベルかもしれないが、僕にとっては深刻な悩みのひとつでしかない。

 そんな経緯があって育った僕は、残念ながら今でもおよそ男らしくない一面が残っている。

 ここぞというところでの僕は、優柔不断で、打たれ弱く、ネガティブ思考。おまけに甘いものと可愛いもの全般が大好きという始末。気持ち悪いと思うかもしれないが、最近までベッドの枕元には常にお気に入りのぬいぐるみが一体置かれていた。そうしないとうまく寝付けないからだ。もちろん、知っているのは母だけ、のはずだ。



 電車の椅子から乗客がいっきに立ち上がる。

 いつの間にか椅子はほとんど埋まっていたらしい。横目でその大半が降りていくのを見て、僕は携帯ゲーム機の電源を落とした。

 ここは、終点ひとつ手前の高田馬場。いつも決まって、車内の八割から九割はここで降りていく。ここから先は歌舞伎町に用事がある人だけになるので、車内の雰囲気はガラっと変わる。

 艶やかな長い足を組んで、ひっきりなしに携帯を操作している女。ド派手なスーツ姿の男。小脇にハンドバッグを抱え、夜だというのにサングラスをかけた強面のおじさん。悠々と電話で話をしている外国人。ハードゲイの格好をした男性。等など……。

 安っぽい表現だが、嘘ではなく、これが新宿歌舞伎町なのだ。

 西武線の終点である西武新宿駅を降りたとき、凍てつくほど冷えた空気を吸い込んで、少し咳をした。唯一さらけ出した顔や喉から急激に体温が奪われていく。

 電車に乗ったときは降る気配すらなかったのに、新宿の地面は既に白くなり始めていた。まったく。これで今月六回目だ……。

 僕はユニクロのトレーナーにリーバイスのジーンズ、靴はありふれた赤茶色のワークブーツという、いかにも中学生らしい格好の上に、ウエストベルトが付いた黒いポールスミスのトレンチを羽織っているおかげで、いくらか周りの目を気にしないで済む。

 その服装を聞いて違和感を持つ人もいるだろう、僕だってそうだ。何故、そんな分不相応な物を羽織っているかと言うと、頼んでもいないのに母が、「良い物を知らないと、良い男になれないから」といって、部分部分で高価なものを買い与えてくれるのだ。その中のひとつがこのトレンチというわけ。じゃあ子供の頃のあれは何だったのだと言いたくなるのだが、買ってもらった手前、にっこり微笑んでいる母を責められるわけがなかった。まったく極端な母親だ。

 時計は夜の六時を過ぎたところだった。僕は駅沿いにひとつだけある信号を曲がり、あまり気の進まない街へと侵入していく。

 母の話では東京都の持ち物だという、歌舞伎町におよそ似つかわしくない、高さ二十階程の小奇麗なビルを通過するあたりで、昨晩のことを思い出していた。

 来たくも無い場所へ来る原因ともなった、昨晩の出来事。



 僕と母は久しぶりに喧嘩をした。言い訳から言わせてもらうと、その日の僕は珍しくイライラしていた。麻雀でしこたま負け込んでしまい、一万はあった軍資金を全て失い、それどころかマイナス三千という借金まで背負ってしまったからだ。

 というわけで、昨晩の喧嘩は僕が悪い……。

 昨晩、次の日が休みということで家に着いたのは三時を過ぎてからだった。次の日が休みだからといって普段はこんなに遅くになることはなかった。理由は前述した通り。負けを取り戻そうと、もう一回、もう一回と僕が懇願したからだった。いつも勝ち続けている僕が珍しくへこんでいるのを見て、仲間も良い気分だったのだろう、快く引き受けてくれた。ああくそ、今思い出しても腹が立つ。

 丁度降ってきた細かい雪が、僕には憎たらしくてしかたなかった。

 既に母が帰ってきている時間なので、ドアの鍵をゆっくり開けて、真っ暗な廊下を進み、入ってすぐ左にある自室へと向かうときだった。

 僕の部屋の前で、低くうずくまっている何かがモゾモゾ動いたのが分かった。もちろん正体は母だった。

「どぉーーーこ、行ってたのよーーーぅ」

 僕の部屋のドアにもたれかかるようにしていた母は、上体を起こそうとしたが、手をついた先の、ワンピースの裾がすべったらしく、ストンと崩れ落ちては、頭をドアにぶつけて「あたっ」と言ってから低く唸り始めた。

「んだよもぅ、酒臭ぇなぁ」

 そう言って僕があからさまに嫌な顔を見せると、

「なによう! のんじゃ、いけないっていうの!」

 と、間に唾を飲み込みながら怒鳴ってきた。詳細は覚えていないが、そこから母はつっかえながらも、たくさんの小言を並べ立てた。最後の方はわんわん泣きながら喋るので、何を言っているのか本当に分からなかった。

 僕はもう、どうでもいい気持ちになってしまい。

「あー、もういいや、面倒臭ぇ」

 そう悪態をついてから、未だに起き上がれずにいる母の腕を引っ張って「どけよ」と言った。母は相変わらず泣きながら「やだー」と言っていたが、力任せに奥の居間へ連れて行き、踵を返すと自室へ逃げ込んだ。後ろで「待って!」と聞こえたが、僕は気にしなかった。

 逃げ込んだ後の僕は、寝巻きに着替えて暖房を全開にし、毛布に潜ってただ温まるのを待っていた。

 三十分くらい経ってからだろうか、『コン……、コンコン……』と遠慮がちなノックが聞こえ、ドアの外から「ねぇ……、美月?」と聞こえた。僕はしこたま大きな溜め息をついてから返事をした。

 そこからの会話は鮮明に覚えている……。

「入ってもいい?」

「入ってくんな」

「……」

 他の家はどうか知らないが、うちの母は僕の嫌がることは無理にはしない。今までに数回だけあった喧嘩も、僕が部屋に逃げ込むと途端に収束するのだ。入ってくるな、と言えば入ってこないし、怒鳴るな、と言えば怒鳴らない。だから今回もそうなると思ってた。

 ところがその日は違った。『ガチャ』という音がして、ドアの隙間から母の顔がひょこっと侵入してきたのだ。初めての出来事に戸惑い、とにかく激怒するしかなかった。

「はぁ? 何やってんの? 入ってくんなよ!」

 今度は僕が怒鳴っていた。ベッドから飛び出して近づくと。

「あのね、これ」

 そう言って差し出してきたのは、可愛らしいキャラクターの付いたキーホルダーだった。

「意味分かんねぇ! んなもんいるかよ!」

 手を払いのけるとキーホルダーが床に落ち『チリン』と鈴らしき音が鳴った。

 「いいから出てけ」と言いながら母を押し戻して勢い良くドアを閉めたが、尚もドアを開けようとするので、力任せに押さえていると意味不明な懇願が聞こえた。

「お願いだから! 聞いてよ!」

 僕は、(なにがだよ!)(なんなんだよこれ!)と困惑していた。

 ふと、あちら側のノブに加わっていた力が消えたかと思うと。急に涙声に変わった母の声が聞こえた。

「お願いだからぁ、お母さんを、一人にしないで、よぉ……」

「悪いけど、俺は一人になりたいの、頼むから大人しく寝てくれよ」

「……」

 返事が返ってこないのを気まずく思って、あろうことか、何かに弱っているのであろう母に向かって、僕はとどめを指した。

「どうでもいいけど、明日の飯代だけは置いてけよな」

 そう母のことを切り捨てると、ベッドに戻り毛布に包まった。まだドアの向こう側で鼻をすする音が聞こえていたが、しばらくすると落ち着いて、戻ってくれたようだ。

 そうして今日の昼頃、意識の向こう側で聞こえてきた、玄関の閉まる音、微かな鈴の音色、ヒールで階段を降りる音で目が覚めた。

 寝た体勢のまま目だけゆっくり開いて、しばらくの間ぼーっとしてから、(ああ、そうだ……)と思って起き上がる。怒った母が飯代を置かないで行ってしまったのではないかと心配になったのだ。

 さっそく、いつもお金が置いてあるリビングのテーブルを見に行くと、期待通りのものは無かった。いや、あったのだが……。母の財布ごと置いてあったのだ。

 普段ならむき出しの千円札があればそれでいいのだ。中身を確認するとざっと見て五万は入っていた。(おいおい……)と思って、早速母の携帯に電話しようとしたが、昨日のことを思い出し、気まずくなって携帯を折りたたんだ。

 その後、適当にテレビを見てから風呂に入り、軽く着替えてすぐそこのコンビニで弁当を買い、遅すぎる昼食を食べた。

 五時を迎えたところで、やっぱり母に財布を届けて、昨日のことを謝ろうと思った。もう店が始まっている時間なので、電話をせず直接母が働いているスナックに行くことにした。

 歌舞伎町を歩くとなると、ガキの格好だと目立つので、クローゼットの中に大事に掛けてあるトレンチを着込むことにした。

 部屋を出るとき、『チリンチリン』と音が鳴った。音のしたほうを見ると、可愛らしい脱力した猫のキャラクターと目が合った。鈴付きの首輪を巻いた、いわゆる、ゆるキャラの猫が笑顔でじっと僕を見つめていた。

「分かったよ」

 僕はそいつを拾い上げ、ポケットの中から鍵を取り出し、ぶら下げてやった。玄関のドアから出て鍵を閉めるとき、そいつは満足そうに音を鳴らして揺れていた。



 駅から出て、二百メートル程歩いただろうか。辺りが歌舞伎町らしい顔を見せ始めた。この繁華街へはもう十回目くらいになる。そのすべては好んで来た訳じゃない。母に頼まれたからだ。

 内容はというと、「昔の友達が来てるんだけど、卒業アルバムを一緒に見たくなっちゃってさぁ。お願い! 持ってきてぇ」だったり、「とっても良くしてくれるおじさんが美月のことを是非見たいって言うからさぁ、一緒にご飯食べない?」など、多岐にわたる。

 僕もただで動くほど良い子ちゃんじゃない。行けば必ずと言っていい程、飲んでいる客が小遣いをくれる。それもすごい人だと、お年玉の総額を超えるくらいの額をポンとくれる人もいるから、基本的に母の頼みは断ったりはしない。

 しかし、いつ来てもここは騒がしい。大きく分けて三種類の人種が、それぞれ絶えず声を上げているからだ。

 前に歌舞伎町の客引きに制限が加えられたとニュースで聞いたことがあったが、お構いなしのように見える。黒いスーツを着て耳にピンマイクを着けた彼らは、男の人になら誰にだって声を掛ける。

「オッパイありますよ? 五千円でどうですか?」

「お兄さん、今日はキャバすか?いい子いますよ!」

「寒いでしょ? 暖かいですようちの女の子はー」

 これが一つ目の人種。

 男に声を掛けてこないのは派手なのスーツを着たホスト達だ。一人として同じスーツの人間はいない。昔はホスト同士の喧嘩が絶えなかったらしいが、最近は取り締まりが厳しくなったおかげで喧嘩などは滅多に起こらないらしい。

 とはいえ、他のホストに勝つ為に少しでも自分を格好良く見せて、互いが牽制をし合っている。僕から見ると、皆笑顔で呼び込みをしているが、鮮やかな警戒色の皮を被った毒蛇みたいだ。今も通りすがる獲物に向かってひっきりなしに声を掛けている。これが二つ目。

 最後は三つ目。これは騒がしくないのだが、やたらとしつこい。直接客を取ろうと声を掛ける外国人の女性達だ。

「オニイサン、マッサージシテク?」

「オフロドオ? イッショニハイラナイ?」

 一度だけ「ごめんなさい、僕まだ子供なので」と断ったことがあるが。無論、聞く耳など持っていなかった。むしろ釣れたとでも思ったのか、ずっと僕の後をついて来て、延々と「ダイジョウブ」「ヤスイカラ」と声を掛けられた。

 そんな人たちが目的地に向かう間に何度も進行を妨げる。そうなれば誰だって同じ答えに辿り着く。どんなに話しかけられようが、誰にも耳を貸さず、誰にも目を合わせず、少し早歩きで突っ切るのが安全な歩き方だと。

 今日もその教訓を実践してきたおかげで、ほとんど話しかけられることはなかった。多分、同年代の子達の中では一番うまいんじゃないかな。『子供の歌舞伎町の歩き方講座』とか開けるかも。

 今ではこの騒がしい客引きの声も、ひとつの音として捉えられるようになってきた程だ。



 車の行き交う、新宿区役所通りに辿り着き進路を左にとる。ここを曲がれば母のスナックはもうすぐだ。昨日は喧嘩してしまったけど、自分の財布を届けに来た僕の姿を見れば、いつかのように、くすぐったい感じのはにかんだ笑顔を見せてくれる筈だ。

 そんなことを考えていたとき、新宿の音にも慣れてきたはずの僕の耳に、生涯忘れることの出来ないであろう、二つの音が背後から飛び込んできた。

 最初は物音だった。

『パン!』

 そして。

「……きゃああああああああアアアアァァァァ」

 振り返る。

「えっ……?」

 時間が止まったんだと思う。

 その刹那、『どくん』と一回胸が鳴ったかと思うと、寒空の中だというのに、身体の中心から急激に湧き上がる熱を感じた。喧騒の街から音が消し去られ、いっきに僕の身体は視覚だけになった……。

 僕は見たことの無い一枚の絵を目の前に突きつけられて、間違い探しのように観察をしたのだが、思考がうまく働かない。

(赤? ……手? ……赤 ……血? ?胴? ?無い……歯?)

(苦しい……。息……しなくちゃ……)

 どれくらいぶりに空気を吸い込んだのだろうか、一年? 二年? そんなふうに思うほど、うまく空気を吸い込むことができなかった。

『ハッ…………ハッ…………ハッ……ハッ……』

 少しだけ呼吸が出来るようになってくると、ようやく思考が動き出した。

 目の前の光景は、ファミレスで誰かがジュースの入ったコップを床に落として割ってしまった、あれにとてもよく似ていた。

 赤い液体がたらふく詰まった『いれもの』が、砕け散って役割を果たせなくなってしまった状態。

(これはなんだ?)

(何かの冗談か?)

(腕が無い。)

(女の服?)

(片方の足が無い。)

(顎から先の頭が無い。)

(キモチワルイ。)

(これは人間……なのか?)

 破裂した人間のすぐ横に、酷く怯えている女性がいた。たぶん叫んだのはこの人だろう。ぺたんと尻餅をついたと思えば、痙攣したように手足を震わせて必死にその物体から『ズズッ……ズズッ……』と、ゆっくり逃げていく。

 そこで、彼女の真っ赤に染まった足先が、何かを蹴った。その瞬間、僕の耳に音が戻ってきた。

「チリン」

 音の方を見る。目が合った。

 また、時間が止まる。



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