第22話 はじまりの夜-1
緊張する。
胸の奥から行進曲の太鼓の音が聞こえる。
深呼吸をしよう。
こう言う時は深呼吸をして落ち着くのが一番です。
「すぅ…はぁ……」「すぅ…はぁ……」「すぅ…はぁ……」
私が深呼吸を始めると同時に、耳に前後左右から深呼吸の声が聞こえて来た。
何事?と、周囲を見渡せば、クラスメイトの一人と目と目が合ってしまう。
思わずお互いに瞬きをしてしまったが
彼女もまた私と同じに深呼吸していたみたいです。
そうか、緊張しているのは私だけではないんだ。それに気付いてしまうと、今度はおかしくなってきて。彼女も私も小さな笑いが出てしまいました。
他に聞こえた深呼吸も、多分同じ気持ちの子達がしたのでしょう。
だんだんと一人で緊張していた自分が馬鹿みたいに思えてきました。
緊張しているのは皆も一緒なんだ。
ゆっくり息を吐いてから窓の外をを見れば、夜空に星が一粒流れて行った。
今は夜。寮の門限に時間はとうに過ぎて、夜空には星々が瞬き月が大きな笑みを浮かべている。
普段ならば寝巻に着替えて、就寝までの一時をお姉さまや友人達と語り過ごしている時間。
でも、今の私は教室に。つまり学園の校舎内に居ます。
ここに居るのは私だけでありませ。
この場にはコロネ、そして同じ教室で日々を過ごし学ぶ皆が勢揃いしています。
普段ならば生徒の立ち入りを禁じられている時間帯。
でも、今宵は特別。今日この夜、今宵は私達にとって特別な夜だから。
魔王との契約を交わす夜だから。
「…流れ星だ、何かいい事あるかな……むい」
窓の外を見ながら呟いていると、不意に左肩が重くなり左耳に声が聞こえました。
「シルファ、どきどきするね!」
緊張して無さそうなのがここに一人居ましたよ?
重さの主は勿論コロネ、私の背後から肩に顎を乗せ猫の様に垂れている。
コロネさん本当にどきどきしていますか?もう少し緊張しましょう、それと私の肩から降りましょうね?
「お…お…?シルファの髪がさらさらと頬を……」
左側頭部でコロネをぐりぐりとてとみたけれど。むしろ彼女を喜ばせている気がしてきました。
スライムに槍刺しとは、こう言う事を言うのかもしれない。
「相変わらず仲がいいわね」
「だねぇ~」
そんな私達に話しかけてきたのはルキアとクロワ。顔を上げればルキアがひろひろと手を振っていた。
ルキアは硬い表情と声の調子から緊張が見えるけれど、クロワの方はいつも通りに眠そうで良く分からない。森妖精って緊張とは無縁なのかな?
「シルファが緊張してるみたいだから、解してあげているのさー」
「そんな事頼んでないし……」
しれっとそんな事を言うコロネに溜息が出てしまうが。落ち着いたのは事実だから、その点では感謝しても良いかもしれない。でも、肩からは降ろします。
ん?今度はふと気付けば、ルキアが私をじっと見ている。
「どうしたの…?」
「うん……」
何?と問いかけてみるも、ルキアの反応は薄い。だから余計に気になってしまう。
それにルキアの瞳はなんだか熱っぽいし、段々と恥ずかしくなってきた。
「え?あ、違うから!」
もじもじする私に気付いたのか、ルキアは挙動不審気味に首と両手を振り始めた。
何が違うのだろう?そんな事を言われると余計に怪しんでしまう。
「だから、やっぱりこう言う装束はシルファみたいな子にこそ似合うなぁって…そう思って…はぁ……」
ルキアはそう言うと、溜息してからがくりと肩を落とした。
急に溜息されても困る。そもそも、さっきの熱い視線はなんだったの?
似合うと言ってくれたのは嬉しいけれど、なんだか複雑な気持ち。
だから、私も素直な感想をルキアへと投げてみたりする。
「ルキアだって似合ってると思うよ?ほら、色も柄もルキアの雰囲気に合っているし。私は素敵だと思うな?」
「え?あ、ありがとう?褒められると照れてしまうわ」
私の褒め言葉に、ルキアがほんのりと頬を朱に染めました。
うん、その反応頂きました。可愛いなあ、でも告げた感想は本当。
ルキアの纏う装束は夜明け前の淡い紺の色、凛と空気が澄んだあの世界の色。
眠る人々は知らない世界の色。まさに委員長を務めるルキアを表した色。
そんな事を思うと、可愛いだけでなくなんだかかっこいい気さえも。
「ふふん、その装束は私さんが選んだのさ~」
「きゃんっ?」
ルキアの口から可愛い声が零れ落ちた、それを上げさせたのはクロワ。
コロネと同じ様にルキアの背後から右肩に顎を乗せて垂れている。
でも声は自慢げなのに、顔は眠そうと言う愉快な状態。
そんなクロワが纏うのは露草の花をあしらった葉色の装束。露草は朝をイメージさせる花、ルキアの色と合わせてなんだか意味深。
後で聞いた話だけど、やはりと言うかそれぞれが相手の装束を選んだそうです。本当に仲がいいなぁ。
だから、この色の組み合わせに深読みしてしまう私は悪く無い。
二人の装束の事で気付いたけれど、皆それぞれに個性的な装束を身に纏っている。
色も異なれば形も違う、どれ一つとして同じ色と形の物は無い。
同じ赤の色でも、夕日の赤、朝日の赤、炎の赤…イメージされる物は異なり。
形は同じでも、刺繍や袖の細工が違っている。細かなフリル付きのもあります。
観察すると様々な事が見えて来る様で。緊張が解れたお陰で周囲に目が行く様になったのかもしれない。
皆それぞれに足に任せ頭を悩ませて。今宵のための装束を選んだのかな?私とコロネ、そしてライラみたいに。
そうだ!ライラは……
「シルファ聞いてる?それでね、ルキアは装束選んでた時から、シルファの事言ってたんだよ~」
「…!く、クロワ!」
「もご……」
それ以上言わせんとばかりにルキアがクロワの口を塞いだ。
しかし、放たれた言葉が戻る事は無く、かと言ってそれ以上聞く事は難しそうで。
結果、もやもやとした疑問を抱える私だけが残されてしまった。
ライラの事も気になるけれど、ルキアがどんな事を言っていたのか気になる。
気になる事ばかり増えるけれど、私達はのんびりとしている場合では無かった。
その事を思い出させるべく、扉が勢いつけ開かれ声が響いた。
「一年生の少女諸君!準備は整ったかな?」
女性らしくも凛々しい声の主の登場に、生徒達の間から黄色い声が上がった。
聞き覚えのある声、そして見覚えのある姿。
金の髪に血の赤の瞳、黒地に金糸の刺繍の入ったマントを羽織ったその姿。
私達の入学式で在校生代表の挨拶をしてくれた人。確か名は『フィール』さんだったはず。
でも、なぜ彼女がここに?その疑問を考え始めるよりも先に、私の思考は別の色へと塗り替わりました。
だって、彼女の後ろに私にとって特別な人を見つけてしまったから。
「お姉さま…?」
セレーネお姉さまの姿を見つけてしまったから。でもなぜ、ここにお姉さまが?
夕方、私が寮から出る時には普通に見送ってくれて、今宵の儀式への応援と励ましの言葉以外は特に何も言って無かったはずです。
お姉さまは今夜この教室へ来る事なんて一言も言って無かった、だから私は首を傾げるしかなきて。
そんな私に気付いたのか、お姉さまと目が合ってしまいました。
「…ふふっ」
すると、お姉さまは瞳を笑みの形にし、涼やかに微笑んだではありませんか。
あ!その表情で私は全てを理解した。また、お姉さまに遊ばれてしまった、と。
今夜は特別な夜。そんな夜に予期せぬ出来事が起これば、誰だって驚いてしまう。
だから今宵はお姉さまにとって私で遊ぶに最適な夜。
きっとお姉さまは私を見送りながら、私がどんな表情をするか想像していたのでしょう。
もう、お姉さまったら。私の反応を楽しんでいますよね?
『どうかしらね?』
お姉さまの瞳は間違いなくそう言ってます。はぁ、お姉さまには勝てないです。
「シルファ、そろそろ現実に返った方がいいわよ?」
はい!でも、私にとってお姉さまこそが現実です。
ん、あれ?今のはお姉さまの声じゃない?
「はぁ…まったく」
目を開ければそこに溜息しながら自分の額に指を当てるルキアの姿。
「そろそろ説明が始まるみたいだよ~」
ぽかんとする私。そんな私の耳に続けてクロワの声が聞こえ、コロネが私の頬を指で突こうとしていた。
「あ、気付いた?」
コロネが残念そうにしているけれど、確かに呆けている場合ではありませんでした。気持ちを引き締め緊張しないと。
でも、お姉さまがしてやったりと言うお顔をしていたのは見逃しませんよ?
それとコロネは私のから頬を突いておきました。
「諸君、じゃれ合う姿も魅力的だが、そろそろ落ちつこうか?」
フィールさんはそう告げて、右手を左から右へと弧を動く様に動かすと、ざわめく生徒達を制しました。
彼女の手の動きに合わせ、教室に布を被せる様に皆が静かになっていく。
僅かな言葉と動きで、この場に静寂が生まれました。
日々、教室で喉を痛めているセルティス先生が可哀そうになってきました。
「ふふっ、いい子達だね」
フィールさんは静かになった私達を見渡すと、得心の笑みを浮かべ姿勢を正す。
彼女の動き一つ一つが舞台劇の役者の様で、思わず見惚れてしまいます。
…とは言っても、私の一番はお姉さまですよ?
「さて、私達上級生がここへとやってきたのは、君達が円滑に契約を進めるための介添人を務めるためだ」
「…介添人?…」
思わず呟いてしまった。でも、多分吐息ほどの小声だから気付かれなかったはず。
はず……
「ふふっ、気になるかい?疑問を抱くのは大事な事だよ」
「わ?」
…でもなかった。私の目の間近に赤い瞳が現れた。お姉さまの紅玉の瞳でなく、フィールさんの血の赤の瞳。
私が瞬きのために瞼を閉じて開く、一瞬の間の出来事。あまりにも突然すぎて驚きの言葉すら出ない。
代わりに黄色い声とコロネ達の驚きの声が聞こえる。
「その白銀の髪…そうか君が……」
「あ、あの…?」
フィールさんはそう告げると、納得した様に頷いて私の髪に指を伸ばしてきた。
それは駄目!
やはり初対面の相手にいきなり髪を触っては欲しくない。
コロネにはなし崩し的に髪を弄られる様になってしまったけれど。
それは特別な例外、それを切欠に彼女とは良い友人関係を築いているし。
でも、フィールさんに触られるのはコロネのそれとは何か違う。
何が?と具体的に答える事は出来ないけれど、駄目な物は駄目としか言えない。
だから言わなくてはいけない、駄目!と。
なのに身体が動かず声が出ない。もはや万事休すなの?
「ぐおっ!?」
そう思った瞬間、蛙が潰れる様な愉快な声が私の耳に響きました。
声の主はフィールさん。あの声を発したのは間違いなくフィールさんです。
何が起きたのかわからないけれど、仰け反りながら右手で宙を掻き悶えている。
ただ一つだけ分かる事は、私に迫っていた危機が去ったと言う事。
「シルファ大丈夫?」
ほっと息を吐く中、真っ先に声を掛けてくれたのはコロネ。いつもの軽い調子では無く、私を心配している事がわかる
「多分…大丈夫だと思う……」
大丈夫と返事したけれど、まだ頭の中をぐるぐると混乱が掻き混ざっている。
ニース先輩の時も緊張したけれど、それとはまた違う緊張感だった。
「…セレーネ先輩って凄いわね」
続けてルキアがそう言うと、悶えるフィールさんの影からお姉さまがお顔を出し微笑みました。お姉さま素敵な笑顔です。
状況を理解しました、お姉さまがフィールさんを。
やはり私にとって一番はお姉さまです!
「セレーネは厳しいなぁ。まぁ、あの子は君のお気に入りだk…ぐぉっ!?」
あ、またフィールさんがお姉さまにど突かれたました。
肘打ちが脇腹に入って悶えています。
もしかしてですが、お姉さまとフィールさんってクラスメイトなのでしょうか?
そうなると、フィールさんは私の事を知っていて?
でも、その疑問について考えている暇は無いようです。
「えー…こほん。契約の儀式は学園生活だけでなく、今後にも関わって来る重要な儀式だ
その事はルミナス魔法学園に入学し、今日まで学んで来た君達なら良く分かっていると思う」
フィールさんも遊んでいる場合で無いと気付いたのか、説明を再開しました。
直前まで悶えていたのが嘘の様に、凛とした表情に戻っているのは流石としか言いようが無いです。
でも、マントの下で脇腹を手で押さえているのは見えました。
「だから緊張するのも仕方のない事だ。しかし!その緊張で儀式が上手くいかなかったら、それは後にまで残る心の傷になってしまうかもしれない」
ケレン味の溢れる派手な身振り手振りを交えながら、フィールさんは説明を続けているけれど。
今、何か怪しい事を言いませんでしたか?
心の傷?
契約の儀式ってそんなに危険な物だったのですが?
いえ、緊張感と共に挑まないといけない事はわかっています。
でも……
不安は影となり広がり、静寂だった場に再びざわめきが生まれてしまった。
新たに生まれたざわめきは、先程の緊張とは異なり恐れが混じっている。
皆が思ってしまった、こんな気持ちで儀式に挑んで大丈夫なの?と。
私に明るい空気をくれるコロネも表情に陰りを見せ、葦の耳は垂れている。
コロネだけではない。ルキアもクロワも、先程笑みを交わした子も。皆が表情に陰りを見せている。
そんな影を光が照らしてくれる。
「大丈夫よ……」
夜道を照らす月灯り、セレーネお姉さまの声です。
「…フィール…この子達をあまり驚かせすぎないであげて……」
お姉さまは左手でフィールさんを制しながら一歩前へと出ると、一呼吸して語り始めた。
「安心して、儀式での失敗はまず無いから
だって魔王って、私達の良き隣人であり最強の味方なのだから」
お姉さまの言葉で場の空気が変わった。
夜寝る前の一時にも似た穏やかで温かい空気。フィールさんが激で語るなら、お姉さまは優で語る。
「ただ…魔王との契約の際、貴女達は精神と身体に大きな負荷を受ける事になるの…だから私達が……」
お姉さまの言葉が緊張を解し恐れを取り除いてくれているのがわかる。
ふと横目で皆を見れば、皆がお姉さまに見惚れている。
駄目!と言いたいけれど。
今だけは、今だけはお姉さまの姿と言葉で心の平穏を得て欲しいです。
だって、お姉さまにはその力があるから。
「そう!」
静寂の中に響く声。案山子の様になっていたフィールさんが復帰した様です。
「だから私達は、君達が安全安心に契約の儀式を行える様に見届ける事を使命としてやってきたのだよ!」
フィールさんはそう告げると、胸元で握り締めていた右拳を広げながら。ぐっと腕を伸ばした。
本当はあの会話の流れのまま、最後にこれをやりたかったんだろうな。
お姉さまはフィールさんから見えない位置で溜息しているし。
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