第7話~なにもの
大阪の現場検証を終えて歩く、夕暮れの道。
沈む陽が路面を薄桃色に染め、街のざわめきは遠い波音みたいに揺れていた。
人々の声も、車の往来も、どこか膨らんでは薄れていく。
まるで日常そのものが、幕の向こうへ退いていくようだった。
泡は歩道の真ん中でひょいと身体をひねり、踊るように伸びをした。
その軽やかさの奥で、影だけがほんの一瞬、沈むように揺れた。
「一昨日は京都、今日は大阪ぁ? ねぇビタくん、わたし今売れっ子じゃない? 報告屋大人気〜」
陽の光に跳ねる声。
けれど、その明るさのどこかに湿った気配が潜む。
それは笑いの裏に沈む、言葉にならない澱だった。
「仕事だ。遊びじゃない」
一文は視線を前のまま返す。
泡はぴょんと横に並び、むっと頬を膨らませた。
「だからさぁ、忙しすぎなんだって。ほら、目の下。クマできてるよ。ほらほら」
「……死神は待たない」
「死神〜……か」
泡は足を止め、夕空を仰いだ。
その横顔は笑っているのに、どこか遠くを探している。
呼ばれた記憶に手を伸ばすみたいな──そんな気配。
すぐに彼女はくすりと笑い、一文の横に戻る。
並ぶと、何事もなかったように歩幅をあわせた。
「ねぇビタくん。“終わらせる”って言ってたけど……終わりってどこ?」
「中間報告を出す。いま見えている情報を一度まとめる」
「でもさ、犯人捕まえるわけじゃないんでしょ?
じゃあ事件は……まだ続くよね?」
「そうだ。だからこそ、一区切りがいる」
泡は一文の横顔をのぞき込み、ふっと目を細めた。
赤い瞳の奥に、深い水の底のような暗さが漂う。
ゆっくりと、静かに満ちていく。
「“死神さん”が犯人なら、話早いのにねぇ。
ピストル使う死神なんて、いたってよくない?」
一文が立ち止まる。
夕陽の縁が瞳に射し、影を落とす。
「……死神は“死を迎えに行く”だけだ。
殺すのとは違う」
泡は静かに瞬きをした。
その言葉を、どこか懐かしむように受け取る。
長いあいだ忘れていた意味を思い出すように。
「じゃあ、もし……手を下す死神がいたら?」
「それはもう死神じゃない」
その答えに、泡の口元がゆっくり綻ぶ。
その笑みは柔らかく──どこか危うく、少しだけ欠けていた。
光の裏で別の影が笑っているような、不思議な揺らぎ。
「じゃあそいつは何?
死神のふりした人?
それとも……」
風がぴたりと止まる。
泡の次の声だけが、柔らかく世界へ降りる。
「誰の“代わり”に死を選ぶんだろうね」
冗談みたいなのに、どこか深く沈む響き。
その問いは、ただの会話ではなく、
世界の底から届いた囁きのようだった。
一文は返事をしない。
できない。
声にしてしまえば、何かがひび割れそうだった。
泡はその沈黙を楽しむように、小さく喉を鳴らした。
その音は笑いにも、溜息にも聞こえず、夕暮れの空気に消えていく。
沈む光が彼女の輪郭を淡く縁取る。
その姿は、光と影の境界にそっと立つ
“何かの端”のようだった。
道を行く人の気配が薄れ、街の色がゆっくり沈んでいく。
世界そのものが深呼吸しながら夜へ傾くようだった。
泡は歩きながら、耳の南京錠を指先でなぞる。
冷たい金属が、じんわりと温まる。
その奥で──
ほんのわずかに、鼓動のようなものが震えた気がした。
泡の唇が、笑みとも涙ともつかない線で歪む。
「…………おまえはだぁれだ」
風にも届かないほどの声で。
それは世界への問いではなく──ひどく小さな呼びかけだった。




