表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/12

第5話~最初の被害者



 最終便の機内


 機内は静まり返っていた。

 泡は窓際で、雲の切れ間から覗く夜景をじっと見つめている。

 その目は、まるで何かを“見つけよう”としているようだった。


 隣の一文は目を閉じていたが、眠ってはいない。

 彼の表情は静かすぎて、逆に不穏だった。

 まるで、過去のどこかに置き去りにした“何か”を、心の奥で探っているように。




 札幌に着いたのは、夜の十時を過ぎた頃。

 駅のホームに降り立った瞬間、泡が声を上げた。


「さっむ……!」

 名古屋よりも空気は鋭く冷たく、吐く息が白く立ちのぼり、街灯の光の中で淡い煙のように揺れる。


「明日は早朝から動く。宿へ向かうぞ」


 無機質な声で言う一文に、泡はすぐさま噛みつく。


「えーっ、そんなのつまんない! せっかく北海道来たんだよ!?

 味噌! 味噌食べなよ味噌!!」


「……」


「ねぇってば。味噌ラーメン。味噌ラーメン。味噌──」


 一文は小さく息を吐いた。


「……行きつけがある」


 泡は一気に表情を明るくした。


「やった!!」


 無邪気な声とともに、雪の気配漂う駅前を小走りに駆けていく。

 その背中は軽く、子どものようだった。


 だが一文は、その笑顔の奥に潜む異物──

“死”に惹かれる彼女の歪んだ感受性を、誰よりも理解している。



 翌朝・現場付近


 朝の札幌は、夜よりもさらに冷え込んでいた。

 現場は繁華街の裏手、ビルの隙間にひっそりと口を開けた細い路地。

 事件から数日が経ち、黄色いテープが風に揺れているだけだった。


「……もう、誰も来ないんだね」


 泡がぽつりとつぶやく。


「警察も、報道も、通り過ぎた」


 一文はカメラを取り出し、無言で数枚の写真を撮る。


「寂しいね、悲しいね、せめてあなたも苦しまずに死ねたの?」


 泡は静かに手を合わせた。

 その仕草は、いつもの彼女とは少し違って見えた。


「……また、あの匂いが残ってる気がする」


「気のせいだ」


「……うん、たぶんね」


 泡はわずかに鼻を鳴らしたが、その目は遠くを見ていた。


 一文は周囲を調べながら、

 泡の表情にうっすらと浮かぶ“陶酔”の影を見逃さなかった。




 郊外の住宅地。

 古びた木造の一軒家の玄関先に立つと、内側から足音が近づいてくる。


 扉を開けたのは、憔悴しきった中年の男性だった。

 頬はこけ、目の下には深い隈。

 だがそれ以上に、視線の焦点が定まらず、どこか宙を彷徨っている。


「……来てくれたんですね。お願いします……娘のことを……」


 声はか細く、震えていた。

 その手は、ドアノブを離したあとも、しばらく空中で何かを探すように動いていた


 二人は暖房の効いた居間に通された。

 部屋には、一人娘を失った静けさと、長く続く冬のような寒さが漂っている。

 父親は写真を一枚差し出した。

 笑顔の女性。まだあどけなさが残る、二十代。


「娘は四年前、自己免疫性の難病を患いました……」


 語りながら、父親は何度も同じ言葉を繰り返した。

「……集中治療室に……集中治療室に運ばれて……」


 そのたびに、泡がそっと視線を落とす。

 一文は、父親の手元がわずかに震えているのを見逃さなかった。




「……助かっただけでも奇跡でした。

 その二年後に妻が突然……脳出血で……」


 声が途切れ、男はうつむいた。


 その沈黙は、言葉を探しているというより、

 何かを思い出すたびに、心の奥で崩れていくような間だった。


「娘は、それでも……前を向こうとしてくれたんです。

 今年に入ってようやく……『毎日が楽しい』って……笑って……」


 言葉の先は、涙に沈んだ。


 泡は視線を落とし、唇を噛んだ。

 その目は、父親の悲しみに寄り添っているようでいて、どこか別のものを見ていた。


「……なんで選ばれたんだろ」


 ぽつりと、泡が呟いた。


「え?」


 父親が顔を上げる。


「……ごめんなさい、独り言」


 泡は笑ってごまかしたが、その笑みはどこか、冷たさを帯びていた。


 一文は黙ったまま、淡々と質問を重ねていく。

 内側で静かに、線がつながり始めていた。


 一通り話を終え、父親が玄関へと二人を見送ろうとしたとき、泡がふと立ち止まった。


「……お仏壇、見てもいいですか?」


 父親は一瞬目を見開くが、うなずく。

「……ええ、どうぞ」


 襖を開けると、小さな仏間。

 遺影の娘は穏やかに微笑む。線香の白い煙がゆっくりと立ち上り、部屋の空気を染める。


 泡は正座し、両手を合わせた。

 その動きは、祈りというよりも、死と生の境界に触れる所作のようだった。


 遺影に視線を落とすと、仏壇のガラスに泡の顔が映る。

 写真の笑顔と重なり、一瞬だけ二つの表情が同じフレームに収まった。

 泡はじっとその重なりを見つめ、額縁に手を触れる。指先は優しく、眠る子を撫でるかのようだ。


 父親の胸には小さな安堵が落ちた。

 だが一文は、ガラス越しの泡の瞳からのぞいた危うさを確かに捉えていた。


 仏壇の前で泡が手を合わせたあと、父親は少しだけ表情を緩めた。

 だが、泡が立ち上がっても、一文が礼を述べても、彼はただ、仏壇の前に立ち尽くしていた。


 家を出て、空港へと向かう道すがら泡が問いかける。


「……ねえ、なんで札幌、そんなに急いだの?」


 一文は少しだけ歩を緩め、静かに答えた。


「……持たなかっただろう。あの精神状態では」


 泡は驚いたように目を見開いたが、すぐに視線を落とした。


「……そっか」


 その声は、いつになく小さかった。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ