第11話~最終報告書
翌朝。
東京の空は、冬を薄く溶かしたようなくすんだ青に染まっていた。
事務所の窓辺で、一文は黙ってコーヒーを啜った。
湯気が立ち上がる向こう側で、泡はソファに腰を下ろし、ぶらぶらと足を揺らしている。幼子のような仕草なのに、その影は蛇のように長く伸びて見えた。
「ねぇ、ビタくん。
“死神”……ほんとにいたんだね」
一文は答えず、ただコーヒーを置く。
泡は耳にぶらさがる南京錠を指でつまみ、ゆっくりと回した。金属が光るたび、部屋の空気が微かにざわつく。
「“帳尻合わせ”ってさ……世界がちゃんと見てるってことだよね。
誰が死ぬべきで、誰が生きのびちゃったか。
誰が順番を守って、誰がズレたか」
「世界は記録を忘れない。
それが“構造”だ」
「……じゃあ、わたしも?」
一文は泡を見た。
その視線を、泡は静かに受け止める。
「ああ。世界はお前のことも、ずっと見ている」
泡は小さく笑った。
その笑みは柔らかい光をまとっているのに、どこか奥底が冷たい。
「そっか。じゃあ今日も元気に生きなきゃね」
明るい声なのに、奥に薄い空洞があった。
昨日の“終わり”の匂いが、彼女の言葉の縁にまだ残っている。
沈黙が落ちる。
窓の外では、通勤者の列が淡々と流れていた。昨日とほとんど同じようで、決定的に違う朝。
泡が勢いよく立ち上がる。
「ね、ビタくん。今日、すき焼きしよ?」
一文は少し間を置いて泡を見た。
「……肉屋には、もう行けないがな」
「うん。分かってるよ。
でも“仕事落ち着いたらすき焼き”って約束だったから」
泡はにっこりと微笑んだ。
その笑みはどこか祈りのようで、一文の胸の奥に微かに沈殿する。
一文は報告書の画面に視線を落とした。
「……昨夜のことも、あの男のことも、すべてまとめている。
“死神”と名乗った人物の証言も含めてだ」
「死神の話、書くんだ」
「記録として残す。それが俺の仕事だ」
泡は“そうなんだ”と呟き、窓の外へ視線をやった。
冬の光が頬を薄く照らし、瞳の奥で何かが一度だけ揺らいだ。
「……報告がある程度まとまったら、買い出しに行くか」
「やった! すき焼きだね!
終わるまで、いい子にして待ってる!」
泡が大袈裟に喜ぶ。
まるで昨日の闇に飲まれた彼女と別人のように。
しかしその掌の震えを、一文は見逃さなかった。
キーボードの音が、静かな事務所にゆっくりと満ちていく。
「……ねぇ、ビタくん。
“死神”ってさ、誰かに命令されてるの?
それとも、自分で好きに動いてるの?」
「あれは“構造”の一部だ。
意思ではなく、義務だろう」
「ふーん……でもさ、ちょっとだけ寂しそうだったよね」
一文は答えなかった。
泡もそれ以上は問わず、ソファに背中を預けて天井を見つめた。
「ねぇ、ビタくん。
わたし、“番”が来たら、ちゃんと気づけるかな」
「気づく必要はない。
来るときは、来る」
「じゃあ、もし来なかったら?」
「それもまた、構造の一部だ」
泡はくすっと笑う。
その笑いには、甘い匂いと、刃物のような冷たさが混ざっていた。
「ねぇ……“死に花事件”、これで終わり?」
一文は少し考え、目線を伏せた。
「死の調整は今後も続くだろう。
だが報告屋としては……ここで一区切りだ」
泡はゆるく瞬きをした。
そして──その声は子どものように柔らかかった。
「ねぇビタくん。
世界って、なんなんだろうね」
一文は答えなかった。
泡の横顔からは温度がすっと抜け落ち、その声には寂しさでも恐怖でもなく、“答え合わせを受け入れた者”の静かな呼吸があった。
まるで、もうすでに──
自分の順番をどこかで見つけてしまったかのように。
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報告屋提出文書(完全リライト版)
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案件名:死に花事件 最終報告書
報告者:鐚 一文(報告屋)
提出日:令和7年12月10日
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一、概要
本件は、国内複数地域にて短期間に発生した連続不審死──通称「死に花事件」に関する調査記録である。
死因はいずれも銃創による即死。
現場には例外なく“黒い彼岸花”が残され、また周辺には目撃証言が極端に欠落していた。
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二、発生経緯と調査経路
初動は札幌市内で発見された第一被害者(女性、24歳)から開始。
同様の死亡例が続発し、関連性を疑い当方が調査。
監視機器・目撃証言ともに不自然なほど欠落しており、人為的・異常的介入の可能性を検討。
調査中、黒衣の人物(以下“当該存在”)と直接接触。
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三、当該存在の証言要旨
1. “死の構造”について
「かつて死は自然に訪れたが、現代医療により“拒まれる死”が増えた」
「世界は奪われた死の分だけ、別の形で帳尻を合わせる」
「それは個々の死か、あるいは災害・疫病として現れる」
2. 殺害手段について
「事故や病だけでは届かない者がいる。
だから最も確実な手段として銃を選んだ」
3. 対象選定基準
「“本来終わるべきだった者”を迎えに来ている」
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四、特記事項
現場周囲に“人払い”の術式を確認。
当該存在は「生者なら本来、私の領域には立てない」と発言。
黒い彼岸花は実在しない色素で構成され、当該存在の黒衣素材と同質と推定。
花の香りに強い鎮静作用があり、死亡直前の安らいだ表情の一因と考えられる。
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五、結論および所見
本件における連続死は、“帳尻合わせ”という概念的作用による“構造的死”である可能性が高い。
当該存在は実体を持つが、既存の人間的枠組みでは説明不可能。
当該存在は「いずれ特大の帳尻合わせが起こる」と示唆。
※別件扱いとするが、継続的観測が望ましい。
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六、付記
本報告は現象の記録を目的とし、宗教的・超常的解釈を導くものではない。
当該存在の実在性については証拠不十分につき“参考記録”扱いとする。
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以上。
鐚 一文(報告屋)
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