表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
10/12

第10話~死神



 ローブの男は、泡の姿を見た瞬間──

 風の流れそのものがわずかに乱れた。


 その揺らぎは微細で、しかし確かに“秩序のほころび”だった。


「……どういうことだ」


 フードの奥から漏れたその声は、

 音というより、古い鐘の残響のようだった。


「人払いの結界を張った。“生きた者”は、入れぬはずだ」


 泡はくるりと首を傾け、無邪気に目を丸くした。


「へぇ……そうなんだ。

 でも、わたし──たぶん、“生きてる”よ?」


 ローブの男の指が、わずかに震えた。

 その震えは、驚愕でも警戒でもない。


 もっと深く、

 “理解を逸脱したものに触れた時の揺らぎ”だった。


「……お前は、何だ」


 泡は、耳の南京錠を指先でなぞる。

 金属音は微かだが、商店街の空気のすべてを揺らした。


「それ、わたしも知りたいんだよね。

 でも、いまはそれより──」


 一文が泡の肩を掴む。


「アブク、下がれ。こいつは……」


 泡は振り返らず、透明で静かな声を落とした。


「ねぇビタくん……これでやっと、聞けるね」


 その声には、艶と静寂があった。


「死神さん。

 あなたの──目的はなぁに?」


 ローブの男は沈黙した。

 しかしその沈黙こそが、答えより雄弁だった。


 やがて、古い石の裂け目から漏れるような声音が落ちる。


「……かつて、死は呼吸のように訪れた。

 風が吹くように。

 夜が来るように。

 定めた順に、静かに、確かに」


 その響きは、耳ではなく骨に届いた。


「だが、人は“終わり”を押し返した。

 医療の名の下に、死を追い返し続けた。

 世界に記された順番を、書き換え始めた」


 泡の目が、わずかに揺れる。


「……それが、いけなかったの?」


「いけないのではない。


 だが、“世界”は均衡を保とうとする。


 奪われた“終わり”の分だけ、どこかに歪みが生まれる。


 帳尻は、必ず合わされる」




 一文が前に出る。




「それで、殺すのか。帳尻合わせのために、命を」




 ローブの男は一文を見た。


 その視線に、怒りも敵意もない。


 ただ、深い静けさだけがあった。




「私はのぞんで“殺し”などしていない。


 終わるべき命を、終わるべき形に戻しているだけだ。


 だが──事故や病では、もう届かない者もいる。


 医療が、運命を押し返してしまったからだ」



 泡が、息を呑んだ。



「……だから、銃なの?」


 男は静かに語る。


「医療が、機械が、人間の執念が……

 “終わり”そのものを跳ね返す。

 触れれば触れるほど、死の形は壊れてゆく」


 死神は銃を見つめた。

 その視線は、まるで嫌悪と諦念が同居していた。


「……だから、私はこれを選んだ。

 私自身が“死の感触”を持たなくて済むように」


 一文が息を呑む。


「おまえ……手を汚したくないのか」


 死神は静かに頷いた。


「私は人間を恨んではいない。

 だが、もう直接ふれることは……耐えられん。

 触れた者の温度が、願いが、祈りが、

 皮膚に染みついて離れなくなる」


 その語りは、神話の語り部のように静かで、

 同時に、人間よりあまりにも弱かった。


「銃なら、間に“距離”がある。

 私の手の温度と、死ぬ者の温度がまじり合わずに済む。

 音と衝撃だけが、終わりを連れて行く」


 そう言いながら、死神はわずかに顔をそむけた。

 その仕草が、人間よりも人間的だった。


 泡は、小さく囁くように問う。


「……やさしいんだね、死神さん」


 男の肩がわずかに揺れた。

 否定も肯定もせず、静かに紡ぐ。


「……私は知りすぎた。

 だから銃を持った。

 死の痛みを、できるだけ“均一”にするためだ。

 誰に触れたかで、重さが変わらないように」


 一文はその告白に、言葉を失う。


 死神は鎌を捨て、触れる死を拒み、

 “感触のない死”という最も人間的な方法を選んだのだ。




 一文が問いかける。




「死を選ぶ基準はなんだ」




「選んでなどいない。


 私は、ただ“戻された者”を迎えに来ているだけだ」




 泡は、そっと目を閉じた。




「……じゃあ、おばちゃんは今日が運命だったってこと?」




「運命はとうに尽きていた」




 泡の手が、耳元の南京錠に触れる。


 その金属の冷たさが、皮膚を通して心臓に届く。




 ローブの男の言葉が落ちた瞬間、


 泡の呼吸がふっと整った。




 さっきまで涙の気配すら漂わせていた顔が、


 まるで別の仮面にすげ替わるように、静かに変わる。




 瞳の揺れが止まり、


 表情から感情の“ざわめき”が消える。




 ──「……そうなんだ」




 その声は淡々としていた。


 驚きも悲しみも怒りも、どこにも浮かんでいない。




 一文は、横でその変化を見てはじめて息を呑む。




 泡は、死の答えあわせをされた子どものように、


 ただ淡々と、素直に結論を受け入れている。




 ──むしろ、待っていたかのように。




「おばちゃんは、もう終わってたんだね。


 それを……今日、取りに来たんだ」




 泡の声は薄く笑っていた。


 その笑みは優しいのに、どこか、あまりにも静かだ。




 ローブの男は泡を見つめる。




「……理解が早いな」




「ううん。だってね──」




 泡は、足元の黒い彼岸花に視線を落とし、


 その赤を映す瞳をふっと細めた。




「“死ぬ人”って、みんな……どこかで気づいてるでしょ?


 自分の番が、とうに過ぎてるって」




 その言葉には、妙な重量があった。



 一文が低く言う。




「アブク、お前……」




「ビタくん」




 泡は微笑む。


 さっきまでの子どもじみた無邪気さではなく、


 金属のような冷たさと艶を帯びた微笑みだ。




「間違えたら罰があたるのは当たり前だもんね」



 その声の落ち着きが、一文の背筋を冷たく撫でた。




 ローブの男もまた、奇妙な静寂をまといながら言葉を続けた。




「私がここにいるのは運命ではない。


 ただ、世界が歪んだ記録を正すためだ。それを見逃すだけ世界は狂い、より多くの命が消える」




 泡は、南京錠を指でやさしく叩く。


 その音は小さく、だが妙に響いた。




「ねぇ、“死神”さん」




「……なんだ」




「わたしの“番”は、まだ?」




 商店街の空気が、ひやりと凍りついた。


 一文が反射的に泡の腕を掴む。




「アブク、何言って──」




 しかし泡は、微笑んだまま一文の手をすり抜けた。


 その表情は、ただの好奇心でも、死への憧れでもない。




 もっと奇妙で、もっと静かで、


 深い深い井戸の底に沈んだような“問い”だった。




 ローブの男は沈黙し、


 しばらく泡を見つめ──そして、ゆっくりと首を横に振った。




「お前からはなにも感じない。


 お前は“戻された者”ではない。


 ……そのはずだ」




 その一言に、泡は長く息を吐いた。




 安堵とも落胆ともつかない、


 妙に艶っぽい息。




「そうなんだ。


 ──じゃあ、生きなきゃなんだね」




 一文はぞっとする。


 その声の奥に、泡の“別の何か”が微かに笑っている気がした。




 ローブの男は、風のような声で言った。




「近い将来……特大の帳尻合わせが起きる。


 その時が来れば、私はまた来る」




 泡は目を細めた。




「うん。


 そのときはちゃんと教えてね。


 ……わたしの“終わり方”」




 言い終えた泡の笑みは、


 夕暮れの商店街の静けさと同じ匂いをしていた。




 ──生と死の境目を歩く者の笑み。




 ローブの男が一歩後ろに下がった瞬間、


 突風が吹き、商店街の旗が一斉に鳴る。




 風がやむと、


 そこにはもうローブの男の姿はなかった。




 地面には黒い彼岸花だけが、


 ゆっくりとしおれていくように揺れていた。




 一文は、泡の肩にそっと触れる。




「アブク……お前、本当に大丈夫か」




 泡は、一文の手をやんわりと避け、


 そのまま空を眺めて小さく笑った。




「ふふ……死神ってさ、


 わたしのこと、なんて思ったんだろうね」




 まるで自分の“死に順”を考えるみたいに軽い声だった。







「じゃあ……おばちゃんは?」


「とうに運命は尽きていた」


 泡の呼吸がふっと整う。

 その瞬間、商店街の音がすべて遠のいた。


 子どもの表情がすっと消え、

 深い湖のような静けさが、瞳の底に広がる。


「……そうなんだ」


 感情の温度が、一滴も残っていなかった。

 それは“理解”ではなく──“回帰”だった。


「おばちゃんはもう終わってて……

 今日、それを取りに来たんだね」


「理解が早いな」


「ううん。だってね──」


 泡は地面の黒い彼岸花に視線を落とし、

 ふっと色のない笑みを浮かべた。


「“死ぬ人”ってさ、どこかで分かってるでしょ?

 自分の番が、とうに過ぎてたってこと」


 一文は背筋を掴まれたような衝撃に息を呑む。


「アブク、お前……」


「ビタくん」


 泡は穏やかに笑う。

 その微笑は、柔らかいのに、底がまるで無だった。


「人ってね、“死に方”より

 “死ぬ順番”を間違えるほうが……ずっと悪いんだって。

 今日、わかったよ」


 一文の指が微かに震える。

 彼は気づいた。

 この少女は、死神より“向こう側”に近い。


 死神が静かに言う。


「いずれ、世界は大きく揺らぐ。

 その時が来れば、私はまた来る」


 泡は優しい声で応える。


「うん。

 そのときはちゃんと教えてね。

 ──わたしの“終わり方”」


 ローブの男の気配が揺れる。

 それは畏れにも似ていた。


 突風が吹き、旗がばさりと揺れる。

 風が止むと、そこに死神の姿はもうない。


 地面に残った黒い彼岸花だけが、

 世界のひだのようにかすかに震えていた。


 一文はそっと泡に触れる。


「アブク……本当に大丈夫か」


 泡はその手をやんわり避け、

 夕空を見上げて、ふっと笑った。


「ねぇビタくん……

 死神ってさ──

 わたしのこと、なんて思ったんだろうね」


 その声はまるで、

 死神に“順番”を確認されなかった者の、

 奇妙な安堵のようだった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ