【第三話】「地獄の会議室、開幕。」
ブラック企業で磨かれた残業スキルが、まさか怪物退治に役立つ日が来るとは思わなかった──。
研修明け、初めての現場。
俺は「社畜戦闘員」として、命を懸けた出張に臨むことになった。
待ち受けるのは金属の外殻を持つ巨大怪物《鉄骸種》、そしてそれを迎え撃つのは、残業時間と引き換えに力を得る狂った仲間たち。
仕事だから、やるしかない。
これは、俺の新しい職務記録であり、地獄の会議室の開幕だ──。
研修を終えた翌朝、俺は半ば強制的に新しい職場──いや、部署──へと向かわされていた。
白いビルの地下深く。カードキーで三重のロックを通過し、最後の自動ドアが開くと、そこには「第二対処班」の詰所があった。
「ようこそ、地獄へ」
最初に声をかけてきたのは、短髪で目つきの鋭い男だった。
胸のネームタグには《班長代理 瀬川》とある。
「お前が例の“過労覚醒”か。いいか、ここは他の班と違って“便利屋”みたいなもんだ。雑務も戦闘も、なんでも回ってくる。だが一つ覚えとけ──ここじゃ、ミスは報告書で三倍返しだ」
「……は、はい」
普通はミスしたら怒られる。
ここでは怒られる前に、まず報告書地獄らしい。
俺は研修中に耳にした“第二対処班=組織のドブさらい”という噂を思い出し、背筋が寒くなる。
机には数人の隊員が座っていたが、誰もパソコンの画面から目を離さない。
画面の端には戦闘データと同じくらい、報告書の進捗バーが並んでいる。これがこの職場のリアルなのか……。
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「全員揃ったな。これより作戦会議を始める!」
瀬川が声を張り上げると、奥のモニターが点灯し、巨大な異形体の映像が映し出された。
全身が節くれだった金属質の殻に覆われ、口からは火花のような光を噴き出している。
《災害レベル:課長級》
文字が赤く点滅している。俺は思わず呟いた。
「……課長級って、強いんですか?」
「おう、部長級の一歩手前だ。つまり、お前の残業時間換算で言えば……まあ、四十八時間ぶっ続けシステム障害対応くらいだな」
瀬川の例えがあまりにブラックで、笑えなかった。
課長級は市街地一つを壊滅させる力を持ち、普通は第一対処班や上位部隊が担当する。
だが今回の任務は──
「第一班が別件で全滅だ。だから我々が行く」
その一言で、室内の空気が重く沈んだ。
隊員たちは淡々とメモを取り、戦闘行動計画を確認しているが、その目は死んだ魚のようだ。
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作戦はシンプル……というか無謀だ。
市街地の一角に誘導し、重火器で殻を破壊、露出した本体を異能で仕留める。
ただし、被害の最小化が至上命令であり、住民避難も同時進行。
つまり俺たちは、戦いながら庶務と雑用も全部やらされる。
「最後に確認だ」瀬川が言う。「今回の作戦は──“報告書三部提出”が必須だ」
「三部……?」
「ああ、戦闘経過報告、被害状況報告、そして“改善提案書”だ。現場で思いついた改善案を書け。たとえそれが“もっと残業減らせ”でもな」
俺は研修よりも、この会議の方が心を削られていることに気づいた。
会議が終わると、全員が一斉に立ち上がり、詰所の奥にある装備庫へ向かう。
廊下の壁には古びた安全標語が貼られていたが──
《安全第一! でも納期はゼロ日!》
《ケガと欠勤は自己責任》
ブラックジョークか本気か分からない。いや、多分本気だ。
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「ほら、新入り。お前の装備はこれだ」
瀬川に渡されたのは、漆黒のボディスーツと奇妙な形の腕輪だった。
ボディスーツは体にフィットする素材で、着ると筋肉の動きが増幅される仕組みらしい。
腕輪は《残業エネルギーコンバータ》と呼ばれ、俺の“過労覚醒”の力を安全に出力するためのデバイスだ。
「ちなみに安全と言っても、出力しすぎると三日くらい寝込むからな。そこは自己管理だ」
「自己管理って……」
この職場において、自己管理=死なない程度に働くことらしい。
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装備庫を出ると、廊下の先にある広い休憩室に出た。
そこには先ほど会議で見かけたメンバーが集まっており、思い思いに作業をしている。
「おー、新入りか? 俺は佐伯。サポート担当だ」
佐伯は柔和な笑みを浮かべた中年男性だが、腰には大型の銃がぶら下がっている。
どうやら彼は戦闘だけでなく、戦場での医療処置や機器操作もこなすらしい。
「こっちは真田。火力担当。基本的に突っ込んで全部燃やす」
「……よろしく」
真田は短く返事をして、手元のグレネード弾を丁寧に磨き始めた。
彼の横顔からは感情が読み取れないが、危険物を磨くという行為そのものがすでに危険だ。
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「お前、今日が初陣なんだろ?」
佐伯がコーヒーを差し出してくれる。
ありがたく受け取り、一口すすった瞬間、舌が痺れるような苦みが広がった。
「……これ、すごく苦いですね」
「戦場に出る前は、このくらい刺激があった方が目が覚めるだろ?」
「いや、これは……カフェイン濃度、やばくないですか?」
「大丈夫大丈夫。前にこれ三杯飲んで心拍数二倍になった隊員も、生きて帰ってきたから」
それは大丈夫の基準を間違えている。
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準備を終え、俺たちは機動車に乗り込んだ。
車内には無線機やタブレットが並び、天井には小型ドローンが格納されている。
「目標地点まで十五分。お前は初めてだから、瀬川の指示に従え」
佐伯がそう言うと、運転席の真田が無言でアクセルを踏み込む。
車体はまるで弾丸のように発進し、窓の外の景色が流れ去っていく。
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「……なあ、瀬川さん」
「なんだ」
「もし俺が足引っ張ったら、どうなります?」
「安心しろ。足を引っ張った時点で、現場で置き去りだ」
「……」
「冗談だよ」
そう言って笑うが、目が全く笑っていない。
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無線から本部の声が響く。
《対象、現時点で市街地南区を移動中。民間人避難率、約72%。残りは自力避難不能者》
モニターに表示された映像には、巨大な金属質の怪物がゆっくりと歩きながら、ビルをなぎ倒していく様子が映っている。
火花混じりの咆哮がスピーカー越しでも耳を刺す。
「到着まであと五分──各自、心の準備をしとけ」
俺は無意識に腕輪に触れた。
“過労覚醒”の力を、これから本当に使うことになるのか。
心臓の鼓動が、カフェインと緊張でいやに早い。
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そして、俺たちの初陣はすぐそこまで迫っていた──。
市街地南区──かつては静かな住宅街だった通りが、今は瓦礫と炎に覆われていた。
空気は焼けた鉄とコンクリートの匂いで満ち、遠くで救急車のサイレンが途切れ途切れに響く。
「到着だ。全員降車!」
瀬川の声が飛び、俺は機動車のドアを蹴り開けた。
熱気が顔を叩く。地面にはひびが入り、まだ煙を上げている。
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視線の先──そこにいた。
体高およそ十メートル。金属の外骨格に覆われた異形の怪物。
四本の腕を持ち、それぞれが車や電柱を軽々と引きちぎっては投げ捨てている。
「これが……」
「《鉄骸種》だ。今回の目標」
瀬川が短く説明する。
こいつらは高耐久型で、通常兵器ではほぼダメージが通らないらしい。
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「新入り、耳を貸せ」
横に立った佐伯が、俺の腕輪を指差した。
「あれを安全に倒すには、お前の過労覚醒が必要だ。だが初戦で全力を出すな。まずは瀬川たちの動きを真似しろ」
「……わかりました」
本音を言えば、膝が笑っている。
けれど、ここで逃げたら本当に置き去りにされそうだ。
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瀬川が合図を送る。
「第一波──行くぞ!」
真田が飛び出し、両腕に装着した炎放射器から白熱の火流を噴き出した。
炎は鉄骸種の胴体を包み込み、金属表面が赤熱する。
「いまだ、佐伯!」
「了解!」
佐伯の持つ大型銃が低い唸りを上げ、圧縮された弾丸を連射する。
炎と弾丸の合わせ技で、怪物の動きが一瞬鈍った。
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「新入り! 左側面に回れ!」
「はい!」
叫び返しながら、俺は崩れた壁の影を伝って走る。
手足が重く感じるのは、恐怖か、それともスーツの重量か。
怪物の左脚が大きく踏み出す。地面が揺れ、瓦礫が転がった。
その一歩を避け、俺は腕輪のスイッチを押す。
――脳裏に、昨日までの残業の日々がよみがえる。
終電間際のオフィス、乾ききった喉、重い瞼。
それでもキーボードを叩き続けた、あの感覚。
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全身に熱が走った。
「……っ!」
腕輪が光を放ち、スーツの補助機構が唸りを上げる。
足裏の感触が鮮明になり、周囲の動きがスローに見えるほど集中力が高まっていく。
「これが……過労覚醒……!」
試しに拳を握ると、骨が軋むほどの力がこもっていた。
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「新入り、行け!」
瀬川の声に背中を押され、俺は鉄骸種の膝へ飛び込む。
渾身の拳を叩き込むと──金属が鈍くひしゃげる感触と共に、怪物の体勢が崩れた。
「よし、効いてるぞ!」
瀬川が一気に距離を詰め、双刃の武器で怪物の腕を切り裂く。
真田の炎が再び燃え上がり、佐伯の弾丸が裂け目を狙い撃つ。
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だが──
怪物は咆哮を上げ、残った腕で周囲を薙ぎ払った。
俺はとっさに跳び退くが、衝撃波で壁に叩きつけられる。
「ぐっ……!」
肺から空気が抜け、耳鳴りがした。
それでも立ち上がらなければ──そう思った瞬間、背後から影が覆いかぶさる。
「危ない!」
佐伯が俺を突き飛ばす。その直後、怪物の腕が地面を粉砕した。
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「新入り! ここからは全力だ!」
瀬川の叫びが響く。
腕輪の出力をさらに上げる──胸の奥で何かが弾ける音がした。
視界が白くきらめき、耳に入る全ての音がクリアになる。
もう、恐怖はなかった。
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「おおおおおっ!」
拳を振るい、怪物の脚を完全に砕く。
その隙に真田と佐伯が頭部へ集中攻撃を浴びせ、瀬川が首を断ち切った。
巨体がゆっくりと崩れ落ち、瓦礫を巻き上げる。
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沈黙。
炎の揺らぎと、自分の荒い呼吸だけが残った。
「……初陣にしては、上出来だな」
瀬川の言葉に、ようやく膝から力が抜けた。
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だが、安堵したのも束の間。
無線が甲高く鳴り、本部の緊迫した声が飛び込んでくる。
《新たな反応を確認──南区だけではない。北区にも鉄骸種の反応あり!》
「……は? 二体同時?」
俺たちの視線が交錯する。
戦いは、まだ終わらない。いや…俺たちの仕事はまだ終わらない…。
【第三話・完】
初陣は、辛くも勝利。
だが、達成感に浸る間もなく届いたのは「二体同時出現」の報せだった。
戦場は拡大し、労働時間は青天井。
俺たち社畜戦闘員の過労覚醒は、果たしてどこまで持つのか……?
次回、「残業は二倍、危険も二倍」。
──定時? そんなものは、存在しない。