忌詞
私はJ。大学の基礎医学研究室で、主に神経系の疾患モデルを用いた研究に従事している。我々の分野では、過去の症例、特に詳細な臨床記録や病理標本が残されているものは、現代の解析技術と組み合わせることで新たな知見をもたらすことがある。先日、私はそのような目的で、ある地方都市に現存する、明治期創設という古い病院を訪れていた。病院の名をK病院と言う。我々の研究室とこのK病院の精神神経科との間で、過去に同院である時期に集中して発生した原因不明の精神症状を呈した患者たちの記録と、一部保存されているという脳の病理標本に関する共同研究が計画され、私がその初期調査を担当することになったのだ。
K病院は、増改築を繰り返した結果、新旧の棟が迷路のように連結していた。問題の記録や標本の一部は、本館から渡り廊下で繋がった、今は主に古い資料や使われなくなった機材の保管庫となっている「西資料棟」という建物の一角に保管されていると聞いていた。
案内してくれた初老の病理技師長Sさんが、その西資料棟へ向かう途中、ふと足を止め、窓の外、やや離れた場所に建つ、明らかに周囲とは雰囲気の異なる一棟の建物を無言で指差した。それは三階建てほどの、蔦の絡まる古びたコンクリート建築で、窓の多くは鉄格子がはまり、さらにその上から板で固く打ち付けられ、およそ人の気配は全く感じられない。
「あちらが……その、昔の建物で、今はもう…」
Sさんの言葉は、明らかに何かを言い淀み、不自然に途切れた。私が古い病院の構内図を広げ、「ああ、この図面ですと、あれは『旧〇病棟』と記されていますね。精神科の閉鎖病棟だったと聞いていますが、今は何と呼ばれているのですか?」と研究対象の背景として得ていた情報を元に尋ねた瞬間、Sさんの顔からサッと血の気が引いた。彼は小刻みに震えながら、私の腕を掴まんばかりの勢いで切迫した小声で言った。
「先生!その名前は……!お願いですから、ここでは、決して、お口になさらないでください!」
彼のただならぬ狼狽ぶりと、同時に、まるで呼応したかのように、私たちがいた廊下の古い蛍光灯がバチバチと激しく音を立てて明滅し、やがてプツンと消えてしまったことに、私は言いようのない不安と強烈な不気味さを覚えた。Sさんは青ざめた顔のまま、「とにかく、あちらには関わらない方が…あちらのことは、忘れてください」とだけ言い残し、足早に私を西資料棟へと促した。
そのSさんの異常なまでの怯えと、「そのお名前」という言葉が、私の頭から離れなかった。数日後、共同研究の打ち合わせで同席した、あの病院に外勤に言っていたというM教授に、それとなく件の建物について、そしてSさんの異様な反応について尋ねてみた。M教授は、私の言葉を聞くと、その理知的な顔に深い苦悩の色を浮かべ、長い沈黙の後、まるで何かを絞り出すように重々しく口を開いた。
「J君、君は、知らずとはいえ、この病院の最も深く、そして最も忌まわしい記憶の蓋に触れてしまったのだ。あの建物の名を、特にこの敷地内で軽々しく口にするものではない。それは……我々、あの時代を知る者にとっては、確実に災厄を呼び覚ます『忌詞』なのだよ。」
M先生の表情には、単なる過去の不幸な出来事への感傷ではなく、今もなお生々しく存在する、触れてはならないものへの畏怖が刻まれていた。
M先生が語り始めたのは、その建物(以降、あの病棟、と表記する。)が、かつてこの病院の精神科閉鎖病棟として機能していた時代の、暗黒の歴史だった。昭和三十年代から四十年代にかけてのことだという。
「当時の精神科医療は、J君も知る通り、まだ発展途上で、有効な治療法も限られていた。特に重症の患者さんたちは、社会から隔絶された『あの病棟』に、いわば収容されるしかなかった。鉄格子の嵌った窓、重い扉、閉鎖的な環境……それだけでも、患者さんたちの精神を蝕むには十分だったのかもしれない。」
そして、ある時期を境に、「あの病棟」で、原因不明の連続自殺が始まったのだという。
「最初は、統合失調症の重い患者さんが一人、自室で首を吊った。それは、悲しいことだが、当時の精神科病棟では起こりえないことではなかった。しかし、その一週間後、今度は別の階の、比較的症状の安定していたはずのうつ病の患者さんが、窓から飛び降りた。そして、また数日後には、別の患者さんがというように、次々に死んでいった。」
それは、まるで何かの伝染病のように、次から次へと患者たちが自ら命を絶っていく、悪夢のような連鎖だった。短期間のうちに、十数名もの患者が、様々な方法で自殺を遂げたのだという。院内はパニックに陥り、徹底的な調査が行われたが、管理体制の不備以上の明確な原因は見つからなかった。ただ、生き残った患者たちの中には、「黒い影に誘われた」「もう楽になれと囁く声が聞こえる」などと訴える者もいたという。
「異常だったのは、その自殺の連鎖が、まるで何か見えざる意志によってコントロールされているかのように、ある日ぱったりと止んだことだ。しかし、その時には既に、『あの病棟』は、職員にとっても患者にとっても、死と絶望の象徴と化していた。そして、その名を口にすること自体が、あの忌まわしい記憶と、そこに潜む何かを呼び覚ますのではないかと、皆が恐れるようになったのだ。」
決定打となったのは、ある若い看護師の体験だった。彼女は、その連続自殺事件が終息してしばらく経った後、「あの病棟」で夜勤に入った。深夜、巡回していると、誰もいないはずの旧面会室から、複数の人間のひそやかな話し声と、すすり泣く声が聞こえてきた。恐怖に駆られながらも扉を開けると、部屋はもぬけの殻。しかし、部屋の中央には、ついさっきまで誰かが座っていたかのように、椅子が奇妙な配置で並べられていた。そして、彼女が日誌に記そうと、その部屋の名前を何気なく口にした途端、背後で全ての扉が一斉にバタン!と閉まる音がし、彼女は原因不明の高熱と悪夢に数日間うなされた後、退職してしまった。その部屋の名前は、〇病棟面会室であった。
「その一件以来、『あの病棟』は完全に封鎖され、その『旧〇病棟』という正式名称も、我々の間では固く禁じられた『忌詞』となった。迷信だと一笑に付す者もいた。だが、しかしだ。」
M先生の声が、さらに低くなった。
「数年前、病院の創立記念誌を編纂するにあたり、ある若い編集委員が、過去の資料を調べていて、その『忌詞』を口にしてしまった。『旧〇病棟の当時の状況ですが』と。その瞬間、資料室の全てのパソコンが一斉にシャットダウンし、古い書棚から、まるで誰かが突き飛ばしたかのように、精神医学の古い専門書が何冊も床に落下したのだ。偶然と言えばそれまでだが、その場にいた者は皆、言葉を失ったそうだ。」
M先生の話は、私の研究者としての合理的な精神を揺さぶるには十分すぎた。その日の夕方、私は一人、割り当てられた西資料棟の研究スペースで、持ち帰ったK大学病院の古い臨床記録の束を整理していた。ふと、Sさんから手渡された、あの病棟の患者たちのものと思われる、ひどく黄ばんだ数枚のカルテの写しが目に留まった。その一番上のカルテに記された、ある患者の名が目にはいた。それを目で追った瞬間、ドン、という鈍い衝撃音と共に、部屋の隅に置かれていた古い薬品棚のガラス扉が、内側から何かが叩きつけられたかのように、粉々に砕け散ったのだ。
偶然だろう。建物の老朽化によるものかもしれない。しかし、その時、私の全身を襲ったのは、ガラスの破片が飛び散る音よりも鮮烈な、皮膚を刺すような悪寒だった。
「忌詞」とは、単に不幸な記憶を呼び覚ます言葉ではない。それは、その言葉が指し示す場所に凝縮された、絶望と狂気の残留思念、あるいはその集合体そのものを呼び覚ます、禁断の呪文なのかもしれない。そして、その呪文を不用意に唱えることは、決して開けてはならないパンドラの箱を開け、その内部に封じ込められた底知れぬ闇を解き放ってしまう行為に等しいのだ。
私は、砕け散ったガラスの破片と、床に散らばった古いカルテの写しを前に、ただ立ち尽くすしかなかった。あの蔦の絡まる廃病棟は、今もK病院の敷地の片隅で、その名を呼ばれることを拒みながら、静かに、しかし確かな負のオーラを放ち続けているのだろう。そして、その名を心に思い浮かべることさえ、もはや私にとっては、言いようのない恐怖を伴う行為となっていた。この共同研究を続けるべきか否か、私の心は重く揺れ動いていた。
10話完結、毎日更新いたします。不慣れですが宜しくお願いいたします。