末期
私はJ。大学の基礎医学研究室で、生命の根源に関わる現象を分子レベルで解き明かそうと、日々研究に勤しんでいる。私たちは、病の克服や生命現象の理解に貢献することを目指すが、その対極にある「死」、とりわけ人生の終焉については、どこか専門外の、しかし人間として避けては通れない厳粛な領域として、常に意識せずにはいられない。
「末期の水」という言葉がある。まさに臨終の際、死にゆく人の口を潤す一滴の水。それは、渇きを癒すという生理的な意味合い以上に、この世との別れ、あるいは彼岸への旅立ちに際しての、深い精神的な意味を込めた儀式として、古くから行われてきたのだろう。しかし、その一滴が、必ずしも安らかな旅立ちだけを意味するとは限らない――私は、ある古い話を聞いて、それを知ることになった。
その話をしてくれたのは、一度だけ非常勤講師として講義に来られたF先生という老医師だった。F先生は、主に地域医療に長年従事され、多くの患者の最期を看取ってこられた方で、その温厚な人柄と深い洞察力に、当時の私も強い印象を受けた。講義後の質疑応答が一段落した折、死生観にまつわる雑談になった際、F先生がふと、「末期の水、というのも、実に奥が深いものでしてね」と遠い目をしながら語り始めたのが、その話だった。
「あれは、私が医師になってまだ十年にも満たない頃のことです」と、F先生は静かに語り出した。「当時、私は地方のやや古びた総合病院に勤めておりまして、そこで入院しておられたNさんという初老の男性のことが、今でも忘れられません。」
Nさんは、診断のつかない進行性の消耗性疾患で、ゆっくりと、しかし確実に衰弱していったという。様々な検査を尽くしても原因は特定できず、対症療法を施しながら、看取りの時を待つほかなかった。Nさん自身は痩せ細り、ほとんど言葉を発することもなくなっていたが、その瞳だけは、時折病室の隅の一点を、まるでそこに何か得体の知れないものを見据えるかのように凝視していたという。
「Nさんのご家族は、代々その土地の山間部でひっそりと暮らしてきた旧家の方々でしてね。付き添っていたのは、妹さんとその息子さんだけでしたが、どこか影があり、あまり多くを語る方々ではありませんでした。ただ、Nさんの容態が悪化するにつれ、その二人の間に漂う緊張感が、尋常ではないものに変わっていくのを、私も肌で感じていたのです。」
やがて、Nさんの「末期」が誰の目にも明らかになった頃、妹さんが古びた桐の箱に収められた、小さな黒釉の徳利のようなものを持参した。
そして、F先生にこう告げたのだという。
「先生、兄がもしもの時には、このお水で、末期の水をいただけますよう、お願い申し上げます。これは、私どもの家で、代々の……」
そこまで言って言葉を切った妹さんの顔は蒼白で、その目には深い疲労と、そして何かに対する強い怯えのようなものが浮かんでいた。F先生は、患者と家族の意思を尊重するのが当然と考え、その申し出を承諾した。
ただ、その徳利からは、湿った土と枯れ草を混ぜたような、どこか墓所を思わせる微かな匂いが漂い、鼻の奥をじわりと刺すようだった。黒釉の胴に差し込んだ蛍光灯の光は不自然に鈍く跳ね返り、その周囲だけがどこか凍ったように静まり返っていた。
「徳利がNさんの枕元に置かれてから、病室の空気が一層重く感じられるようになりました。担当の看護師たちも、夜間の巡回であの部屋に入るたび、言いようのない圧迫感を覚えたり、誰もいないはずなのに微かな囁き声を聞いたようだと、口々に訴えるようになったのです。」
そしてある雨の降る深夜、Nさんの呼吸がいよいよ浅くなり、危篤状態に陥った。F先生が病室に駆けつけると、妹さんとその息子さんが固唾を飲んでNさんの顔を見守っていた。その表情には、悲しみというよりも、これから起こる何かに対する、決死の覚悟のような緊張が張り詰めていた。
「私がNさんの脈を確認し、死が近いことを告げると、妹さんは震える手で例の徳利を取り上げ、中に入っていた水を小さな匙に数滴、慎重に移しました。そして、それをNさんの唇にそっと近づけたのです。」
その瞬間だった。
虚ろだったNさんの目が、カッと見開かれた。その瞳には筆舌に尽くし難い恐怖と、何かに対する絶望的な懇願の色が浮かんでいた。喘ぐように開かれた口からは、「あ」とも「う」ともつかない、乾いた空気を引き裂くような音が漏れた。それは、古びた木の枝が強風に軋み、折れる寸前のような、不快な音だったという。
そして、その水がNさんの唇に触れたか触れないかという刹那――
枕元に置かれていた黒い徳利が、カタカタと小刻みに震え始め、ピシリ、と甲高い音とともに、その胴体に一本の亀裂が入った。水が漏れ出すことはなかったが、まるで内側から何かがこじ開けようとしたかのような、そんな不自然な亀裂だった。
同時に、Nさんの体からふっと力が抜け、恐怖の色を浮かべたままの瞳を見開いたまま、彼は息を引き取った。
「Nさんの妹さんと息子さんは、彼の死顔を前にしても、涙ひとつ見せませんでした。ただ互いに深く頷き合うと、息子さんの方があの徳利を、何か忌まわしいものに触れるかのように白布で幾重にも包み、大切そうに抱えて病室を後にしたのです。」
F先生は、Nさんの最後の表情、あの断末魔の音、そして徳利の異変がどうしても頭から離れなかった。後日、妹さんにそれとなく尋ねてみても、「あれで、よかったのです。家の者として、務めは果たしましたから」と、謎めいた言葉が返ってきただけだったという。
「私には、Nさんが安らかに旅立たれたとは、到底思えませんでした。あの『末期の水』は、彼にとって癒しだったのか。それとも、何か彼をこの世に縛りつけていたものからの、最後の、そして最も過酷な解放の儀式だったのか。あるいは、一族に代々受け継がれてきた、逃れられない宿命の終焉を、私が目の当たりにしただけなのか……今でも、答えは出ません。」
F先生の話は、そこで終わった。私はその静かな語り口に込められた、医師としての無力感と、人間存在の根源的な謎に対する畏怖を、ひしひしと感じていた。Nさんの一族に伝わる「末期の水」がどのような意味を持っていたのか、今となっては知る術もない。ただ、それが単なる形式的な儀礼ではなく、もっと深く、そしておそらくは暗い何かの力学が作用する、一種の装置であった可能性を否定できないのだ。
死にゆく者の魂は、我々が想像する以上に多くのものと結びついている。それは血縁であり、土地であり、あるいはもっと古い、名付けようのない因縁のようなものかもしれない。そして「末期」という瞬間は、それらの結びつきが最も先鋭化し、時として我々の理解を超えた現象として現れる臨界点なのだろう。
F先生の体験談は、私が日々研究室で扱う「生命」というものが、決して清潔な実験環境だけで完結するものではないことを、改めて深く印象づけた。そして、人生の終わりに与えられるあの一滴の水が、時に想像を絶するほどの重みを持ちうるという事実に、私は言いようのない戦慄を覚えるのだった。