第81話 少年は立つ
阿曽の宣言を聞いて呆気に取られていた須佐男は、我に返ると同時に阿曽の胸倉を掴んだ。
「何言ってるんだ! お前にはまだ無……」
「無理だとしても、俺はやります!」
「―――ッ」
紅い瞳で須佐男を見つめ、阿曽は真剣な顔で叫ぶ。須佐男はその勢いに圧され、手の力を緩めた。
温羅と大蛇も、声をかけることが出来ない。今まで、阿曽がこれほどまでに鬼気迫る表情で震える声で訴えたことはない。自ら戦いたいと言うことはよくあるが、今のそれはこれまでのものとは違う。
「阿曽……」
「俺は、俺はずっと見てきました」
日月剣を見下ろし、阿曽はその手で剣を握り直す。彼の頭の中を巡るのは、仲間たちが必死に堕鬼人たちと戦っていた姿だ。どれも阿曽が憧れ、いつか超えたいと願う大切な人たち。
須佐男はその類まれなる力で敵を一掃し、温羅は穏やかさと冷静さを持ちながらも器用に剣を操る。大蛇は二人よりも小柄であることをものともせず、素早く動き薙ぎ払う。
更に、須佐男は天津神であり、温羅は始祖の鬼であり、大蛇は八岐大蛇という地祇だ。
彼らと肩を並べるには、阿曽は何もかも足りない。わかっているが、それを盾にして後ろに隠れることはもう出来ない。
「須佐男さんも、温羅さんも、大蛇さんも、俺の大切な人です。だから、みんながこれ以上傷つく姿を見たくないんです。――俺も一緒に、戦いたいんだ!」
もう一人で戦える。そんな自尊心はない。まだまだ弱く、頼らなければいけないこともわかっている。それでも、自分の力を大切な人のために使えるようになりたい。
阿曽の目には、強固な光が宿っている。それは何にも揺るがせられない、強い輝きだ。
「あ……っ!」
阿曽。その名を呼び終える間もなく、須佐男は剣に手をかけた。温羅と大蛇も共に、得物を構える。
突然襲って来るのは、強烈な殺気だ。肌がぞわりと総毛立ち、胸の奥が大きくうねる。冷汗が背を伝い、阿曽もまた、瞬時に振り返った。
「―――桃太郎」
「……鬼、神。人喰い鬼様の道を遮る者、塞ぐ者、全て殺す」
そこに立っていたのは、藍色の髪をなびかせる一人の少女だ。その細い手には太い刃を持つ剣を握り、白い肌には鮮血が散っている。
ごくりと喉を鳴らし、阿曽は桃太郎を見詰めた。
「まさか、ここにまで現れるなんて」
「それだけ、わたしたちを敵側が危険視しているということだろうね」
右肩の怪我がまだ治り切っていない温羅が、苦笑しつつ前に出る。留玉の弓矢によって穿たれた傷は痛々しく、うまく力も入らないらしい。
「ここまで来て、ぼくらも倒れるわけにはいかないよね」
折れた左腕を放置し、右手だけで天羽羽斬剣を握る大蛇だが、彼の腹にはまだ深い傷がある。
「オレたちは、まだやるべきことがあるんだよ」
腹の右側からの出血はおさまったが、須佐男は楽々森との戦いで受けた切り傷を全て引きずっていた。そんな様子は微塵も見せないが、彼が痛みを我慢しているのが阿曽のはわかった。
また、みんなが阿曽の前に立つ。無意識なのかそうではないのか、三人は阿曽を一番に守ろうとするのだ。
だから、阿曽は日月剣を持つ手に力を籠める。一緒に強くなってくれ、と語り掛ける。剣は持ち主の心に答えるかのように、キラリと光った。
――タンッ
桃太郎が軽い動作で跳躍した。
身構える須佐男たちを跳び越え、阿曽の前へと降り立つ。須佐男たちが驚き振り返る前に、彼女は阿曽に向かって刃を振り下ろしていた。
「阿―――ッ」
「クッ」
金属同士にしては重いギンッという音が響き、二つの刃が重なる。
瞬発的に剣で桃太郎の攻撃を受け止めた阿曽だったが、その手は痺れを感じていた。じんじんと広がるそれは、桃太郎の剣に圧される毎に強くなっていく。
(このままじゃ、押し負ける!)
「……ぅぁああああああああっ」
「―――!」
腹の底から絞り出すような叫び声を上げ、阿曽が剣を振り抜く。思わぬ反撃に、桃太郎は体をのけぞらせた。
激しく肩を上下させつつも、阿曽はその瞳に宿る炎を消さない。それどころか徐々に強くなるそれを爆発させるかのように、強く地を蹴った。
桃太郎の上を取り、剣を振り下ろす。しかし桃太郎は瞬時に躱すと、回し蹴りで阿曽を吹っ飛ばした。
「がっ」
阿曽は背中を思いきりぶつけ、息が詰まる感覚に襲われる。しかし、それを振り切って上半身を引っ込めた。それまで頭があった場所を、桃太郎の剣が通り過ぎる。
「阿曽!」
温羅は助太刀しようと動きかけるが、それを牽制する桃太郎に阻まれる。悔しげに歯噛みする温羅の肩を、大蛇がトントンと叩いた。
「大蛇……」
「どうやらぼくたちは、お呼びではないようだね」
「ああ……」
温羅と大蛇の視線の先には、桃太郎に圧されながらも懸命に剣を振るう阿曽の姿がある。助力しようにも、桃太郎がこちらにも目を光らせているために不用意なことは出来ない。
手負いは後で。桃太郎はそう思っているようだ。それが温羅には悔しく、阿曽一人に頼らざるを得ない状況にも落ち着かないものを感じていた。
それは大蛇も同じであり、折れている左腕を右手でさすった。
「阿曽、勝てよ!」
そう叫んだのは須佐男だ。きちんと聞こえていた阿曽が頷くと、彼はニッと笑う。
「須佐男は、手を出そうとは思わないのか?」
「手を出す? なんでだ」
大蛇の疑問に、更に疑問を返す須佐男。思わぬ返答に苦笑した大蛇は、阿曽が走り回る様子を指差す。
「阿曽はまだまだ半人前だ。一人で、しかも桃太郎と戦うのは難しいとは思わないのかって聞いてるんだよ」
「……これは、あいつが乗り越えなきゃいけない試練だからな」
思い出すのは、少彦那の言葉だ。天恵の酒がなければ、堕鬼人を真に解放してやることは出来ない。
そのためには、阿曽が剣を使いこなせるように強くならなくてはならない。
「―――ッ」
桃太郎の剣撃を受け、阿曽が地面に打ち付けられた。しかしそこで諦めることなく、ゆっくりとだが確実に起き上がる。そして、休みなく浴びせられる桃太郎の攻撃を受け止め、時には躱した。
「どうして……」
阿曽は目の前に立つ、無敵と思われる女の子に尋ねた。
光りを失った瞳には、敵を殲滅することしか考えていない暗い闇が広がる。更に敵の絶命のためだけに振るわれる刃は、無で満たされている。
「どうして、きみは鬼を、俺たちを殺そうとするんだ!」
「……全ては、人喰い鬼様の命じるままに」
桃太郎が地面を砕く剣撃を放つ。それに足を傷付けられながらも、阿曽は叫んだ。
「お前の思いはないのかよ、桃太郎!」
「―――っ!?」
ぴたり。突然、桃太郎の動きが止まった。唇が「思い?」という形に動かされる。阿曽は今だとばかりに畳みかける。
「殺して、殺して、何になるって言うんだ! 堕鬼人なんて悲しい存在を生み出して、何になるって言うんだ! ――お前は、何故殺さなくちゃいけないんだよ!」
「……あ」
――ガシャン
桃太郎の手から、剣が落下した。彼女の瞳が震えている。
「……」
阿曽は傷ついた体を起こし、桃太郎を見詰めていた。




