第43話 書の記述
光の中眩しくて阿曽が目を閉じると、いつの間にか見覚えのある場所に移動していた。
さわさわと心地良く頬に触れる風と、足元をくすぐる草花。それらの先に、白を基調とした立派な神殿がある。天照たちが住まう場所だ。
「皆さん!」
何処からか見ていたのか、素兔が神殿の中から駆けて来た。須佐男は彼女に手を振って応え、近くに来た彼女に天照と月読のことを尋ねる。
「姉貴と兄貴はいるか?」
「ええ。お二人共、須佐男さまたちを待っておられますよ」
こちらに。素兔の導きで、須佐男たちは天照と月読が待つ部屋へと歩いて行った。
部屋に入ろうと敷居をまたぐ直前、須佐男の姿が阿曽の視界から消えた。
「須佐男、お帰りなさい!」
「ぐっ」
―――どしんっ
何とか受け身を取った須佐男の上に、目を輝かせた女人が覆い被さっている。長い髪に赤を基調とした髪飾りが揺れた。天照その人である。
阿曽たちが反応する暇も与えないほど、天照の行動は素早かった。阿曽は年長者二人を見上げたが、温羅も大蛇も肩をすくめるばかりだ。
弟に馬乗りとなり、天照は身を乗り出して弟の顔を両手で挟んだ。
「よく顔を見せて? うん、元気そうでよかったわ。月読ったら冷静沈着だからからかっても可愛がっても面白みに欠け……」
「面白みに欠けて悪かったですね、姉上」
ため息をつきながらやって来た月読は、姉が弟を襲っているのを見て眉をひそめた。
「……姉上。弟で遊ぶのも良いのですが、少なくともご友人たちを部屋に入れてからでもよかったのでは?」
「あ……いたのね、みんな」
今初めて気が付いたという顔で、天照は顔を上げた。須佐男は「全く……」と言いながら、片手で前髪をかき上げる。
「そりゃあオレの仲間なんだから、いて当然だろ」
「それもそうね。ごめんなさいね、こちらに来て?」
立ち上がった天照と月読に促され、阿曽たちは前回と同じ部屋へと入った。円卓が置かれ、椅子が供えられただけの殺風景な空間だ。
月読の姿が消え、天照と阿曽たちのみが残される。そこへ、素兔が何かを抱えてやって来た。彼女が抱えていたのは、少し大きくなった外道丸だった。
温羅がガタリと音をたてて立ち上がる。
「外道丸!」
「あぁう」
にこっと微笑んだ外道丸は、育ての親である温羅にその小さな手を伸ばした。外道丸を素兔から抱き取り、温羅は赤ん坊の元気な顔を見てほっとした。
「ありがとうございます、世話をしてくださって。大変ではありませんでしたか?」
「いいえ。夜泣きもぐずりもほとんどなく、とても世話のしやすい子ですから大丈夫ですよ」
よく笑ってくれますしね。素兔の言葉に笑みをこぼし、温羅は楽しそうな笑顔を見せる外道丸を抱き直した。
「前よりも重くなったな? それにこの調子なら、歩けるのも近いだろうな。……ふふっ、共に散歩出来る日が楽しみだ」
「温羅、顔が緩んでるぞ……」
呆れ顔で指摘する大蛇に、温羅は「仕方ないだろう」と外道丸の丸い頭を撫でた。
「この子はきっと、強く成長するからな。なにより、かわいい子だから」
「あうっ」
まだ二歳前くらいにしか見えない外道丸だが、どんな子どもに成長するのだろうか。阿曽も呼ばれて外道丸の頬をつつく。くすぐったいのか嬉しいのか、彼はきゃっきゃと楽しげに笑った。
「おや、外道丸とのふれあい時間でしたか」
外道丸によって場が和み切った頃、月読が数冊の書籍を抱えて戻って来た。
「兄貴、その腕の中のは?」
「これですか? 今日はこのことで須佐男たちに来てもらったんですよ」
どさっ。机の上に置かれたのは、この前月読が見せてくれたものとは違う本だ。それぞれに古びているが、虫食いの痕はない。
月読は一冊を手に取り、ぱらぱらとめくった。あるところでその手を止め、阿曽たちに見せてくれる。
「ここを読んでください」
須佐男、温羅、大蛇、阿曽が身を乗り出す。外道丸は、素兔が何処かへ連れて行ってくれた。
「た、達筆過ぎて読めない」
最初に音を上げたのは阿曽だが、他の三人は古文書を読み慣れているらしく、ふんふんと読み込んでいる。
「何と書いてあるんですか、温羅さん?」
「うん、興味深いよ」
そう言って、温羅は阿曽にもわかりやすいようにと机の上に置いた書の文字に指を這わせる。
「……『少彦那というもの、魂を洗いし酒を知る。高天原の川の源にて、女神と共に住まうとか』と書いてあるんだ」
「つまり、少彦那という神は、魂を浄化する酒について知っている。そいつがいるのは、高天原の何処かの川の源だってことだ」
阿曽にもわかるように訳した須佐男は、ふむと腕を組んだ。
「兄貴、ここに来る前に櫛名田に聞いた話がある」
「櫛名田姫に? 彼女も古い記録をたくさん持っていましたね。何か聞けましたか?」
「ああ。別れ際、この本と同じような記録を見つけていたことを教えてくれたよ。あいつによれば、少彦那は不思議な酒を知っている神だそうだ。ほとんど記述は同じと見て間違いないだろ」
「確かに、同じでしょうね。ならば、この文章の信憑性も高い」
月読はその本を置き、別のものを手に取った。そちらにも同じような記述があるが、よりぼんやりとした記録だった。
その他数冊も読んだが、最初に月読が見せてくれたものが最も詳しく書いてあるものらしい。
「これだけの記録を見つけて下さったのですから、この『少彦那』という神が何処にいるのか、見当はついているんですか?」
大蛇が翡翠色の瞳を改めて文字に向けながら尋ねる。
「それに関しては、わたくしが」
そう言った天照は、月読に本を退けるよう指示する。机の上に何もなくなると、彼女は一つ拍手を打った。
「!」
―――フォン
机の上に、映像が映し出される。阿曽が驚いて声を上げることも出来ないでいると、須佐男たち三人は「おおっ」と感嘆の声を上げた。
「ここは……何処かの山奥ですか?」
「その通りよ、温羅。とある川の源泉にあたるわ」
天照の言う通り、小さく拙い水の流れが湧き上がっている。その周りには木々や蔦、苔、草が好き勝手に生え、まるで緑の絨毯のような様相だ。その緑のどれもが瑞々しく見えるのは、きっとこの源泉のおかげなのだろう。
映像を指差し、天照は自信満々に言い放った。
「ここに、記録にある少彦那はいるわ」
「その根拠は?」
「え? えっと……」
須佐男に鋭く突っ込まれ、天照が動揺する。そこに助け舟を出したのは、月読だった。
「この川は、高天原の中でも名水と謳われる川の一つです。しかもその上流は、神々さえも入ることを躊躇するほどの険しい山の中にあります。誰にも知られずに潜むには、持って来いというわけです」
「さ、流石ね。月読」
「成程。じゃあ、ここへの行き方を教えてくれよ。麓でいい」
「いいでしょう。どうせ止めても無駄ですし、止める必要もありませんからね」
快く弟の頼みを了承し、月読はその霊峰の場所を詳しく教えてくれた。
「そこは霊峰。……常世とも称せられる未開の地です」




