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第38話 決別

 時は数日前に遡る。これは、阿曽たちが知り得ない話だ。

 両面宿禰りょうめんすくなと呼ばれて故郷で蔑まれた双子の兄弟は、今や中つ国で名を馳せる鬼狩おにかり人となっている。兄をあした、弟をよいという。

 双子は今日も鬼が紛れて住まうという集落を訪ね、見つけ出した鬼を成敗した。何十年も姿が変わらないという少女の鬼だった。

 黒髪で目立たないが、晨の髪には返り血がついている。

「宵。桃太郎たちへの報告に行くぞ」

「ああ、行こうか」

 血振りをし、剣を仕舞う。既に灰と化した鬼を振り返ることもせず、二人は恐れおののく村人たちを視界に入れることもなかった。そんな光景は、村を出てから見慣れ過ぎている。

 何度も、覚えていられない数の死体と侮蔑を見てきたのだ。

 二人が向かったのは、黄泉平坂よもつひらさかという大きな岩がごろごろとしている岩場だ。そこには大きな穴がぽっかりと開いていて、堅洲国かたすくにに続いている。

 黄泉国と根の堅須国は、同じであって同じではない。重なり合った別の場所なのだ。

 晨と宵が仕えている男は、根の堅洲国の王である。温羅たちが「人喰い鬼」と呼ぶその人である。ただし、双子も彼の姿を直接見たことはないのだが。

「来たか、お前たち」

 黄泉平坂を下った先で、犬飼と名乗る男が出迎えた。

 この男は、いつも無表情に近い顔をしている。彼の同僚には騒がしい者と奇妙な変人がいるから、犬飼が一番真面なのだろうが。

「……王がお待ちだ」

 一瞬の間を空けて、犬飼が踵を返した。

 根の堅洲国は、全体的に薄暗い。それはその国に住まう者たちが明るい太陽の光を好まないことに起因するが、地の底という条件がそうさせる。

 三人は黙ったまま、暗く静かな回廊を下っていく。途中ですれ違う影もない。

 この国は、王が地上と高天原を覆いつくす闇を抱き込んでいる。全ては王の胸一つだ。

 しばらく進むと、広間に出た。美しい彫刻を施した柱が両側に立ち並ぶ。更にそれらの先には、誰もいない王座が鎮座しているのだ。

 犬飼に続いて、晨と宵も膝を折る。こうべを垂れる三人の前に、どす黒い影が出現した。

 何処からともなく、音もなく。それは蛇以上の威圧感をもって、晨たちを見下ろした。

『……戻ったか、両面宿禰』

「「はっ」」

 より深く頭を下げる双子の首もとに、二本の刃が据えられた。

「「……?!」」

 反射的に顔を上げることすら出来ない。硬直する二人に、知らぬ間に近付いていた影が囁く。

『お前たちは、用済みだ。よく、我の為に働いてくれた。……我が力となって眠れ』

 剣が舞い、双子の首を落とした───わけではない。

 ───ガキンッ

 二つの金属音が響く。晨と宵が、同時に剣を抜いた音だった。そしてそれによって、男の刃を受け止める。

『……ほぅ』

 男は二振りの剣を持って後退するため跳躍すると、余裕の笑みを浮かべる。彼の隣には、同じく得物を構える犬飼の姿があった。

「……どういうつもりだ?」

「俺たちは、あなた様に従っていたのみではありませんか?」

 双子は相手の熱を身近に感じながら、目の前で蛇のごとき雰囲気をまとう男に尋ねる。満足な解答が得られるとは思っていないが。

 明らかな敵意と殺気を湛え、男は嗤った。

『支度が整いつつある。……それだけのことだ』

「──ぐあっ」

「晨!」

 宵の隣にいたはずの晨の姿がない。気が付いた時には、兄は後方に吹っ飛ばされていた。柱に叩きつけられ、呻く。

「くっ!」

 宵は晨の仇を、と男へ向かって走り出した。刃を構え、首筋に殴り付けるように振り下ろす。

 しかしそれは、いとも簡単に叩き伏せられた。のみならず、弾き返されて更に相手が剣を振り下ろす。

 間一髪で躱した宵は、走って晨のもとへと向かう。敵に背中を見せる行為だが、そうしなければ片割れと共にいる機会を逃す。

 それは、直感だった。

 宵の走る先に当たりをつけ、犬飼が斬撃を放った。宵と晨の中間地点を狙い、鋭利な風が駆け抜ける。

「おらぁ!」

 力任せに斬撃を斬り、宵は何とか直撃を免れる。それでも、攻撃を受け止めた右手が震える。重い剣撃に、ぎりぎり耐えられたということだ。

「宵……何で」

「馬鹿か! 兄を置いていく弟じゃないんだよ、おれは!」

 晨はふっと微笑み、柱の崩れた欠片を体から払いながら立ち上がる。その背を支えるようにして立つ宵は、晨と背合わせとなった。

「───行くぞ、宵」

「勿論、晨」

『最期の挨拶は終わったか?』

 戦意を失わない双子に少し目を見張り、歪んだ笑みを浮かべた男が尋ねる。

「最期の?」

 晨はさも可笑しそうに笑った。

「その言葉、そっくりそのまま返してやるよ!」

 晨と宵は男の斬撃を跳んで躱すと、鏡のように左右対称で全く同じ動きを始めた。

 壁に足をつき、勢いをつけて飛び上がる。そのまま犬飼の頭上を捉え、二人同時に剣を突き出す。

「「はぁぁぁっ!!」」

 ザンッ。土煙が上がり、視界が狭まる。男は音もなく双子の攻撃を避け、もうもうと立ち上るそれを見ている。

『───ほぉ』

 やがて開けた視界には、胸を二振りの剣で貫かれた犬飼の姿があった。男はその鮮やかな手際に、感嘆の声を上げたのだ。

 剣を抜き、晨と宵は再びその血濡れた剣を構える。ドサッ、と犬飼が倒れ伏した。

「次は」

「お前の番だ。人喰い鬼」

 『ふふっ。……それで勝ったと《《本気で思っているのか》》?』

「何っ?」

 男の笑みに、晨が目をすがめる。

 その時だった。

「───かはっ」

「……宵?」

 隣にいたはずの宵が、血を吐いて膝をついた。何が起こったのかと振り向けば、殺したはずの犬飼が己の剣で宵を貫いていた。

 ドサリ。剣を抜かれ、宵が倒れる。

 晨は震える手をきつく握り締め、男を睨み付けた。男は笑みを深め、その長剣を構える。

『良い。その恐怖を湛えた瞳。我が好物だ』

「ふざけたこと抜かしてんじゃねえぞ」

 怒りに震える声を抑えながら、晨は男と対峙した。その時、宵が崩れ落ちそうになりながらも立ち上がる。

「宵……」

「晨。おれも、まだ死なない。死んでたまるかよ!」

 宵の咆哮がこだまする。

「ははっ。やる気充分じゃねぇか」

「当然」

「……だな」

 晨は身震いし、にやりと笑った。

 二人は再び男と犬飼と向き合った。

 しかし片や瀕死の重傷を負い、片や死んでも生き返る不死身のぬし。勝敗など明らかである。

「ぐあっ」

「がっ」

 晨と宵は先制攻撃で特攻するも、軽々と吹き飛ばされてしまった。

 それでも諦めない二人に、先に苛立ちを覚えたのは男たちの方だった。

『もうよい。……死ね』

 男は右腕を横一線に振った。すると嵐のような斬撃が放たれ、双子は剣で防御を試みる。

 しかし。

 ───パキンッ

「!!」

 宵の刃が折れ、二人は暴風の中に放り出される。

 もう終わった。二人だけではなく、男と犬飼も確信した。

 だが、そうではない。

「早く、この手を取って。早く!」

「誰、だ……?」

「知るかよ……」

 晨と宵は、何処からともなく聞こえてきた女性の切羽詰まった声に誘われるように、その手を伸ばした。

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