07:金鬼現る
「……何か……不思議な気持ち」
そろそろ鞍馬山での滞在も終わろうとする頃。三人娘は京都を観光していた。一応許可は取っている。鬼一法眼の名代であるシャナは「好きなだけ楽しんできなさい」と言ってくれた。京都は伏魔殿じみたところもあるがそれも含めて呪いの都といった感じだ。
「……百八……愛三」
犬養部がポツリと呟く。犬養部自身は母親を鬼によって喪ったが、愛三は両親をという話だ。彼の話した内容に嘘は無いだろう。こちらを思ってくれる共感に虚偽が含まれていればもうちょっと警戒が先に立つ。
なのに彼はいつも朗らかに笑っている。その強さが何処から来るのか。それをちょっとだけ知りたくなった。
呪いに関してはかなりのものだろう。あのシャナに教えてもらっているのだ。鞍馬山で過ごしていれば呪術において秀でるというのは難しい話ではない。もちろん数えるのも面倒な程度には死にかけたこともあるのだろうが。
「過去の月を見るなら膝立ちがいい……か」
一言一句は違うが、そんなことを教えてもらった。彼自身過去には何かあるのだろう。そしてそれを吐き出せるほど犬養部マオを信頼していない。彼自身、自分のトラウマをダシにして犬養部の心を引き出した。彼の前で泣いてしまった。そのことがどうしようもなく恥ずかしい。
見れば猿飼部もボーッとしている。何を思っているのか。猿飼部は鞍馬山での滞在の間、京八流を習っていた。師匠は愛三。そのことに何か思っているのだろうか。
「出来る自分を信じる……ですか」
猿飼部がそんなことを呟いた。言葉の意味は分からないが、犬養部には凡庸な言葉に聞こえた。学生の提案した体育祭のテーマのような。だがそれをここで言うわけにはいかないだろう。誰にとって何が大切なのかは他者がおいそれと介入できるものではない。
「……ん……美味い」
京都の料亭に都合をつけてもらって京料理を楽しむ。ここに愛三がいたら……そんなことを犬養部は少し考える。だが外界の楽しさがわかっても、あまり愛三は外に興味が無いようだった。あの体たらくではスマホを見たことさえあるまい。
教えてもいい。今なら率直にそう思える。愛三に楽しいことをいっぱい教えて、そうして喜んでもらえれば、それはどれだけ嬉しい事だろう。京料理を食べつつ、そんなことを思っていると。
ズガシャァァアアン!!!
料亭の入り口が圧倒的な威力によって粉砕されていた。料亭にいる全員の視線が入り口に集中する。そこにいたのは身の丈五メートルを超えようかという巨大な人型。だがそれを人と呼ぶのには無理があった。金色に輝く皮膚はどう考えても人のものではない。ついでに人は拳一発で料亭の入り口を粉砕したりはしない。
鬼。
そう思った瞬間、サムライが刀を持った。
武士道防御。
鬼霊化夷が持つ誓約系の呪詛で、近代兵器が鬼霊化夷に通用しない理由でもある。誓約系の呪詛……武士道防御によって鬼霊化夷は剣や槍、弓と言った古典的な武器しか通用しなくなり、代わりに鬼霊化夷も近代兵器を用いないという制約を受けている。唯一の例外が呪術だが、これは別の議論。そんなわけで呪詛大国日本の鬼を銃やミサイル、爆弾や核兵器などで殺すことはできないのだ。
性質としては犬養部の『殺害殺し』に近い。犬養部のソレは攻撃の一切を禁じることで絶対防御を獲得しているが、鬼霊化夷のソレは攻撃の対象を絞ることでアドバンテージを得ている。故に日本ではいまだにサムライが現役なのだ。呪術を使える人間が少ない以上、古典兵器……つまり日本刀を以て鬼に対抗するのは古くからの習わし。サムライはそんな剣を持つ対鬼用の決戦力と言えた。
だが。
「グルァァアア!!!」
鬼の腕の一振りで鎧袖一触にされるサムライたち。カウンターで振るわれた刀がまるで小枝のようにポキポキ折れていく。
「金鬼……ッ!」
鳥取部が戦慄とともにそう呟いた。
金鬼。
その情報を辛うじて犬養部は覚えていた。陰陽師である藤原千方が使役する四柱の鬼。その一柱である金鬼は、金剛の身体を持ち、刃も矢も通じない頑強さを持つという。であればサムライにとっての相性は最悪だ。肉体が金属の硬度を持つ以上、それこそ斬鉄剣でなければ傷の一つも付けられない。それは槍も弓矢も同じで、最も理に適っているのは呪術だろう。そう思って自分を顧みる。犬養部の先天呪詛『殺害殺し』は圧倒的なまでに攻撃に向いていない。むしろその攻撃手段を全部放棄しているのが現状だ。
ヒュンヒュンヒュン。
ドスッ!
弾かれたサムライの刀が犬養部の近くに降ってくる。それは畳に刺さって、彼女へとギラつく。自分を抜け、と。握るのは簡単だ。刀に手を添えればいい。だが金鬼に攻撃をしてしまえば、犬養部の呪術は誓約を失って無効化される。そうすると彼女の絶対防御が成立しなくなるのだ。人を助けるために刀を握らなければならない。だが刀を握ってしまえば自分を助けられない。ドクン! ドクン! と心臓が鳴る。ああ、あの時の光景だ。自分が助かるために、その他一切を放り投げた。犬養部にとって殺害殺しはエゴによって形成される呪詛だ。自分だけを呪って、それ以外を何とも思わないエゴ。仮にここで、料亭の全員が死に追いやられようと、自分だけは確実に助かるのだ。そしてそのことを誰より犬養部が肯定している。
何故かって?
お前は刀を握らなかったじゃないか。
「グルァァアア!!!」
その金鬼は三人娘を視界に納めると、こっちに向かって襲い掛かってきた。それはそうだ。いくら式神とはいえ、こんなところで開放するのは無謀にすぎる。京都は呪いの都ゆえに呪術師も多く存在する。それこそあと五分もあれば呪術師がすっ飛んできて場を収めるだろう。だが、それよりも金鬼が三人を襲う方が早い。ジャキッと剣を構える者がいた。犬養部がついに握れなかった弾かれた刀を持って、恐怖に震える身体を押して、金鬼に対峙する娘が一人。
猿飼部頼光。
二つの鬼殺しの名前を持つ女の子。
手にした剣は刃毀れし、握る猿飼部は未熟で。なのに彼女は鬼に向かって対抗しようとしている。
「私が相手です! 金鬼!」
そのことに犬養部は羨望を覚える。自分がこんなにも難しく思っている「身を挺して他者を守る」ということを猿飼部は当たり前のようにこなしている。こんな子になりたかった。誰もが愚かだと詰っても、犬養部の理想は目の前にある。猿飼部がそれを教えてくれた。だというのに、それでも犬養部の身体は動かない。
「頼光! 逃げてください!」
悲鳴を上げるように鳥取部ツバサがそう絶叫する。
「嫌だ!」
だが猿飼部も引かない。
「私は鬼を狩るんです! 先天呪詛がないことを言い訳にはしたくない! 私の握るこの剣で! 人を救うんです!」
とんでもない理想に思えた。先天呪詛を持っていない。それはつまり呪術師としての純度が低い……ということ。なのに剣を握って猿飼部は金鬼に立ち向かう。
「グルァァアア!!!」
その猿飼部目掛けて金鬼が襲う。結果なんて分かり切っている。まるで暴風に吹き散らされる広告紙のように、暴力の一撃が猿飼部を襲う。
「ゲボ!」
容易く口から血を吐いて、ボロ雑巾のように吹き飛ばされる猿飼部。あまりに無力すぎる彼女に失望は覚えない。そもそも人間と鬼ではフィジカルが違いすぎる。昨日今日剣術を覚えた程度で鬼に立ち向かえるなら世のサムライは苦労していない。
「ゲ……は……」
殴られた衝撃で吐血して、腹部を押さえてもがく猿飼部。そうしてまた吐血する。その痛ましい光景を犬養部は愚かとは思わない。当然とすら思わない。猿飼部は戦ったのだ。恐くて逃げている犬養部と違って、彼女は鬼と戦ったのだ。そのことにどんなケチが付けられる? だが鬼はまだこの場に存在して。そして犬養部の身体は動かない。