61:殺して
鬼ヶ島。空は嵐で豪雨が降り、雷鳴が鳴り、暴風が歌う。既に歯牙にもかけられていない鬼たちは温羅の怒りに怯え。かしまし娘は既に愛三の勝利を願うより他になく。その愛三は疾駆した温羅の手に触れられて、
「カースオン」
もろに厭離穢土をくらっていた。
「…………」
そこでキョトンとする愛三。ならびに温羅。厭離穢土の術式対象。そうである愛三が何の痛痒も覚えていない。
「ああ、言ってなかった。一篇一律を具現した俺はイモータルで言うところの不変だ。そもそも終わりという概念が消失している」
つまり終わりを先取りする厭離穢土がそもそも機能しない。
「ああああッッッ!」
その術式が効かないと分かれば、物理的に攻撃するしかないのも事実で。温羅が拳を振り上げる。
「殴ることを禁じる」
その攻撃を一言で制止する愛三。
「ッ!」
「蹴ることを禁じる」
「ッッ!」
「刺すことを禁じる」
「ッッッ!」
「抉ることを禁じる」
「ッッッッ!」
「ぶつけることを禁じる」
「ッッッッッ!」
「噛みつくことを禁じる」
一つ一つ。穴を補修するように、禁則事項を埋め合わせていく愛三。
「急急如――」
「呪うことを禁じる」
「……ッッッ!?」
もはや、温羅には許可されている攻撃は存在しなかった。無力化された温羅を前に、愛三は「ふぅ」と吐息をついた。
「大丈夫か?」
「余を憐れむか。不敬だぞ」
「まぁそう言うよな」
愛三としては今更決着を付けようとも思っていないのだが。
「殺すなら殺せ。どうせ生きていても余は人の世とは折り合わない」
「だよなー」
温羅が浮世で平和に暮らしている姿は、愛三にもちょっと想像がつかない。暗雲立ち込める鬼ヶ島で、既に鬼退治の決着はついていた。
「じゃあ、どうするか。俺と式神の契約でも結ぶか?」
「……?」
いったい何を言っているのか。そこから温羅には分からない。
「いやだから。ここで温羅が問題にしているのは人に対する否定観念だ。であればだ。俺の監督のもと、非殺を誓えば、俺が死なない限り誓約呪詛は機能するんじゃないか」
「貴様の呪術系統は反転だろう」
「まぁな。だが根本的に誓約系統の呪術師って奴は、あくまで誓約に特化しているだけで、系統術師でなくても簡易的な誓約は成立できる。お前と俺のフィールフィールドによる誓約なら、そこそこ機能すると思うがどうだ?」
「いや……祓わないのか……?」
「ああ。そう言っている」
「何で……」
「嫌がらせ」
「…………」
たしかに。浮世で平和に生きられない温羅が、恭順するくらいなら死にたいと言っているなら、殺さないことは嫌がらせではあろう。だが、もっと根本的に愛三には温羅を殺せない事情がある。
「そもそも今のお前の精神は日本鬼子だろ」
「…………」
図星を突かれた顔で、鬼子は黙った。鬼子が魂を継承し、鬼奈が魄を継承している。だから完全復活した温羅は鬼子の精神と鬼奈の肉体を具現しているわけで。つまり完全復活した温羅のアイデンティティは鬼子のソレだ。
「気付いてた……のよね」
声の質が、そこで鬼子になった。今まで散々聞いていた鬼子の声帯の使い方。
「まぁ理屈上な。魂魄が一卵性双生児で分割されているってことは、精神を司っているのが鬼子。肉体が鬼奈。で、鬼奈は自らのエギオンと、それから伝説に語られる桃太郎の逸話から時間収束で追加されている呪詛で戦っていた。そこにOSを積んでファイナルフュージョンってことは、つまり今の温羅の自我は鬼子でファイナルアンサー。どうせ温羅として振る舞って、そのまま祓われようという魂胆だろ?」
「……殺してよ」
悲痛の怨嗟で、鬼子はそう言う。そこにあるのは圧倒的な自己否定で。自分がこの世に生きてはいけないのだという枷でしかなかった。
「だから嫌だって。俺は嫌がらせで温羅を殺さない」
「じゃあ、どうするのよね?」
「ボクと契約して外法少女になってよ」
「それ魔まマのパクリ?」
「アニメって面白いよな。希望戦士ランダムもそうだが。俺は好き」
「天下の温羅を式神にする気?」
「前例が無いわけじゃないしな」
「例えば」
「五大鬼王の一角。全鬼とか」
「全鬼?」
「役行者。役小角が調伏した鬼王。調伏後に前鬼と後鬼、つまり陰陽の属性に二分割したらしいが。元々前鬼と後鬼は全鬼っていう一体の鬼王だったんだよ。つまり千年前に鬼王を調伏して式神にした事例はあるわけ。今更温羅だからって式神に出来ないって理屈は無いぞ」
「でも……温羅は既にたくさんの人間を殺して……」
「じゃあ聞くが、お前、転プラのアニメの続きを見ないまま死んでいいのか?」
「…………ッ」
転プラは既に四期が約束されている。原作に準じるなら、五期や六期も作られるだろう。
「う……わぁあぁぁぁ」
ボロボロと温羅は……鬼子は泣いた。
「死にたいよ……死にたいよ……私たちは……それだけのことをしたんだから……」
「――死を恐れるのは幸福な人間のカルマである……だ」
「幸福……?」
「生きていることが幸福であればあるほど、人は死を恐怖する。ま、全ての人間に適応されるとは俺も思っていないけどな。でも今お前が死にたいのは、どう考えても鬼であることに起因している。死んで無かったことにしたいという不幸に塗れている」
「だから……ッ」
自分がは死んだ方がいいんだ……という言葉を愛三は鬼子に言わせなかった。その吐き捨てようとする唇をキスで封じて。
「俺が幸せにしてやる。幸せで……幸せ過ぎて死にたくないって言わせてやる。だから生きろ鬼子。俺が意地でもお前を幸せにしてやるから」
「愛三が……?」
「信じろ。お前が愛した乙女は、おっぱいも器量も大きいこの世でただ一人の人間だ」
北風と太陽に例えるまでもなく。慈しみと温かさは、この世の悪を調伏する最も有効な手段なのだから。




