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60:ユルキャン


 愛三は負けを認めた。それは限りなく本心だった。既に愛三にとって、勝ち負けは理屈ではない。ただ、あくまで『百八愛三』が負けたのであり『此処にいる人間』が負けたわけではない。そこだけは強調する愛三だった。


「何が違う?」


 そう聞く温羅の疑問も真っ当。


「つまりだ」


 致命的な拳を受けても手放さなかったロープライスロープを握って、愛三は説明する。


「俺が負けたのであって、人類はまだ負けていない」


 つまりこれから戦うであろう温羅と人類の決戦に決着がついていない……ということか? それにしては愛三の言葉の端に感じる違和感に説明がつかないが。


「もうちょっと理論としては単純だ。これから相手をする俺は、俺であって俺じゃない」


 やはり禅問答に近い返答だった。つまり……どういうことか?


「こういうことだよ」


 そう言って、愛三は手にしたロープライスロープを心臓に突き刺した。


「ご主人様ッッ!?」


 悲痛な声で彼を呼ぶ頼光の声。それは確かに思っている人間が自分で刀を心臓に突き立ててれば、焦りもする。自殺……と思えたなら、むしろそれはどれだけ幸福なことだろう。その胸に突き刺したロープライスロープは自殺ではなかった。愛三に言わせれば自発的に息を止めて呼吸困難で自殺する人間がいないのと同様に、愛三を刺した剣は、それそのものでは死因に至らない。


「大丈夫だ。感じないか。憎怨とも哀惜とも断末魔とも思える呪いが」


「ご主人様…………」


 ロープライスロープを心臓に突き刺した。それは事実で、だが愛三にはまったくダメージがない。それはどういうことか。いや、もっと言ってしまえば()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


「ッッッ???」


 愛三の肉体に収納されたロープライスロープ。


「魂納って言ってな。正確には肉体じゃなく胎蔵領域に格納しているわけだ」


 それでもとめどない悪寒を覚える温羅の危機感は本質的において正しい。今逆巻いている愛三のホロウボースは膨大という言葉でさえ追いつかない領域にあるのだから。倍六九バロックによるエギオンの無制限供給とはまた違う……異質な呪詛総度。例えるなら使い切れない水を溜めるダムに、追加で暴風雨が水を溜めるような……そんな深刻な何か。


一篇一律ユルキャン


「ユル……キャン……?」


 聞いたこともない呪詛名。それは温羅もそうであるが、すぐ近くで二人の戦いを見ていた頼光にも言える。そう言えば、と彼女は思う。

 愛三は言っていた。頼光が終天呪詛を得た時に、()()()()()()()()()()()()と。


 あまりに先天呪詛……陰陽二兎インフィニットが眩しすぎるため意識していなかったが、愛三にも終天呪詛は存在しているのだ。ではそれが何か……という話になると、それは頼光にもわからず。


 だがそう言えば、ロープライスロープの呪いを愛三は一篇一律ユルキャンと呼んではいなかったか?


「……ッ!」


 温羅がそのトランス状態に入った愛三を仕留めようと足を進める。だがその行動を愛三が差し止めた。まるで自分に向かって歩むのを禁止でもしているかのように。


一篇一律ユルキャン……正式名称をユーティリティ・ルール・キャンセラー」


 そう言えば、一篇一律の正式名称を、今ここで頼光は聞いたような。膨大というか、それはほぼ世界というアリの巣に注ぎ込まれる豪雨の水量に相違なく。


「梵我反転……能真頼頭ノーマライズ……」


 ブワッと異質の空間が広がった。さっきの今で、既に異次元の呪詛……ホロウボースを愛三は獲得している。その唯一神でもあろうかという愛三がポツリと呟く。


「温羅が歩くことをキャンセルする」


 言った瞬間、温羅は歩けなくなった。


「ッ?」


 意味不明だった。ただ命じられただけで、歩くことが出来なくなった。どういう呪いだ。そもそも愛三の術式は陰陽二兎インフィニットではなかったのか?


陰陽二兎インフィニットは俺の先天呪詛だ。全てを反射する反転系。だが俺は術式を二つ持っている。そのもう一つがこれ。一篇一律ユルキャンだな。物理法則。呪術法則。それらを纏めてキャンセルする」


 だから温羅は愛三に歩くことを禁止された。


「この術式は既に構築呪詛としてフィールフィールドの九割九分を削って物質化させて、そこに術式として付与して隔離していた。つまりロープライスロープは俺の胎蔵領域を具現した存在であり、その隔離したハードでもあるわけだ」


 いや。いやいやいやいや。


 ちょっと待て、と。


 温羅の側には思想も追いつかない。胎蔵領域を割いて物質化するというのも理解できないし、それを剣の形にして一部術式を隔離するのも理解できないし、その物質化した呪詛が九割九分というのもまるで理解できない。


 つまり今まで温羅は愛三の一パーセントと戦っていたとでも言うのか。


「そう相成るな」


 だから本質的にロープライスロープを肉体に還元した場合の愛三は、その時点で別人だ。フィールフィールドそのものが膨大すぎて、今こうして温羅と会話しているだけでも奇跡とすら言える。今時点の愛三はもはやどちらかと言えば人ではなく鬼霊化夷の夷に近い存在ですらある。


「つまり百八愛三は敗北した。よって俺が次なる相手を務め申す」


 自らの敗北を条件に、物質化した呪いを肉体に還元する誓約。決して愛三が手を抜いたわけじゃない。温羅と全力で戦って、その上で完敗しなければ終天呪詛……一篇一律ユルキャンは使えなかったのだ。そしてできることなら使いたくないという愛三の本音も挑発で言い訳でもない。筋肉があまりに強すぎると骨を折ってしまう……ということをコイツは精神のレベルでやってのけている。あまりに強すぎる意識の奔流が人格をかき乱しエラーを発生させるという。その上で百八愛三として振る舞うことに注力できるだけ、それは奇跡と言えまいか。


 だが呪詛の物質化とは?


「簡単な話だ。胎蔵領域という根幹そのものを圧縮して、物質として練り上げる。いわゆる形代から式神を作る際に周囲から物質を取り込んで代替する技術とは一線を画す。俺のこれは呪詛そのものを、そのアインシュタイン方程式においてエネルギーであるホロウボースを物質として成立させている。それがロープライスロープというわけだ」


 コイツは何を言っているのか。そこから温羅には分からない。仮にロープライスロープが平均的な日本刀の重さだとしても六十兆メガジュールというわけのわからないエネルギー量を保有することになるのだ。本来エネルギーを物質化するのはそれほどの莫大な予算がかかる。


「そうだなホロウボースでグラム単位に質量を作るから……ホロウグラムとでも命名するか」


 もちろんホロウボースが圧倒的であっても、それが決着にはならない。一篇一律ユルキャンが何かをキャンセルする呪術なら、そのキャンセルより先に殺せばいい。


「走ることは禁止されていないよなぁ!」


 そうして温羅は疾駆する。


「急急如律令。灰屋ファイヤ


 轟々と猛る火炎。単なる千事略決アベノミクスによる後天呪詛。だが今の愛三が使用すれば鬼王すらも火葬する威力となって迸る。


「あああああッッ!」


 その炎を厭離穢土オンリーエンドで消し能い。さらに突き進む。


「急急如律令。成敗セイバー


 今度は光の斬撃。だがそれも終わらせる。疾駆。いくら胎蔵領域が規格外でも、それをコンバートするのは脳であり、実際に動くのは肉体。フィジカルだけで見るなら今なお温羅は愛三よりもはるか高みにいる。で、あれば一篇一律の軌道よりも早く愛三に接触する。そして厭離穢土オンリーエンドをくらわせる。それ以外に温羅の正気はない。


 さっきから戦慄が止まらないのだ。まるで今まさに噴火している火山に向かって登山しているかのような。自殺行為ですらない愚行に突き進んでいる蒙昧さがどうしても拭えない。


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