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59:愛三の敗北


 愛三にとって戦況は芳しくない。


 温羅の無尽蔵の梵我反転は物量によってロープライスロープを無効化している。その効果が効いていないということは、つまり愛三も自分と、それからクラッキングしているかしまし娘の領域に反転領域を形成して維持しなければならないということだ。倍六九バロックの効果が切れるより、愛三の胎蔵領域が限界に来る方が、どう考えても早い。だが諦めるのは性に合わない。


 であればどうするか。


 答えは簡単だった。領域を展開したまま温羅を殺す。


「おおおおおっ!」


 未だロープライスロープの呪いは効いている。かの剣であれば温羅を切れる。だから術式を反転領域に注ぎながら、その有効時間内に温羅を切る。これが最適解。だが相手も反転領域を展開しているのだから、これ以上の呪術はない。であれば、あとは物理的な殴り合いが明暗を分ける。


 スラリと愛三は封印処置を施してある鞘にロープライスロープを納める。すでに梵我反転は同じ梵我反転で相殺している。であれば今時点でロープライスロープを鞘に納めるのは別に不利益ではない。


「京八流、三抜手が一。溜抜」


 ゾワリ、と温羅の背筋に悪寒が奔った。およそこの世に転生してから最も大きな悪寒だったろう。自分がこのままでは死ぬという悪寒。その戦慄の通りに、愛三の抜剣は温羅の首を薙いだ。それが残像であったのは、むしろ温羅にとって僥倖だ。仮に死の悪寒に従っていなければ、あのまま死んでいたのは温羅の方。自らのフィジカルに信頼を置いているのは前提で、だがロープライスロープを握っている愛三は、その近距離戦において自らと互角。あるいはそれ以上。そういう確認を取っていなければ負けるのが自分の方だという認識は得られない。


 少なくとも限界が来るまでは愛三も反転領域を解かないだろう。時間制限があるのは愛三の方。いくら必要最低限の領域面積で反転領域を展開しているとはいえ、それもあと何分続くかは知れたものではない。対する温羅は倍六九バロックによって一刻の間は無尽蔵にエギオンを供給できる。時間さえかければ勝てる勝負ではある。


「しかし……ッ!」


 そんな落ちている勝利を拾うような真似は断じて本意ではない。


「捨ぁ!」


 拳を振るう温羅。その亜光速の拳が熱波を発生させる。さっきまでなら愛三は反射していただろう。だが今の愛三の術式のリソースは自慰円頓ジ・エンドに注がれている。つまり温羅の拳の熱波はどうにかして躱すしかない。その回避を実際に実現してのけるが故に、愛三もまた怪物なのだろうが。


「……金翅鳥王剣」


 人間の視界は、上下より左右の方がよく見える。これは映像学においても肯定されている。テレビのアスペクト比が四対三から十六対九に変わったのも、人間の視界が横に広いからである。であれば、鬼の視界とてそれに倣う。その意味で、愛三が上下の動きを剣に取り込んだのはある意味で必定だった。


 金翅鳥王剣。


 人の域を超えた跳躍によって、視界から一時的に消え、そのあと捕まった重力を加味して、その加速のまま下にいる敵を切る。一刀流の奥義とも言われる剣だが、その実体は京八流でも受け継がれている。天狗の剣とは即ち、空を翔ける剣であるが故に。そもそも地面に足を付けているのが、京八流にとっては前提から否定されるべき状況なのだ。


 だがその奥義すらも温羅は躱す。思考の加速の問題だ。いきなり消えた愛三が、次にどこから剣を振るってくるか。その計算をした温羅の予測が愛三の剣を超えた。まるで弱者がそうするように、地に伏せて剣を躱す温羅。その地に伏せるというだけで、温羅のプライドが痛く傷つく。


 ――何故自分はたかが人間に対して地面に伏せるような真似をしているのか?


 その憤りのままに、伏せた反動で伸びあがる温羅の身体。そこから繰り出される蹴りが愛三を襲う。威力は莫大。人に受けることを許された蹴りではない。だが愛三はさらに宙を蹴って躱していた。天狗の剣は、そもそも空中を足場とする剣だ。


 竜や天狗が持っている後天呪詛。


 天翔。


 曰く竜とは空を飛ぶのではなく、雲を足場に空を翔ける。雲という水分を足場にして空を走るのだ。だから晴れの日の竜は、伏竜鳳雛の四字熟語が示す通りに伏してしまう。晴れの日は竜が足場にする雲が無いゆえに。


 その愛三の納刀したロープライスロープが、鞘ごと背中に回される。それを視界の端で捉えながら、温羅には違和感が奔る。愛三の抜刀術の威力については既に思い知っている。その電速よりも早い一撃は警戒に値すると。


 それこそ頼光の雷光頼光フタライコウと同じだけの威力が、素の愛三の抜刀術には存在する。これが如何な意味を持つのかは、温羅も分かっていた。そもそも雲耀とも称される雷光頼光フタライコウに匹敵する速度を人間のフィジカルで再現する愛三がおかしいのだ。


 その愛三が神速で納刀した刀を、鞘ごと背中に回した。そして鞘は出来うる限り水平に。その背中に回して水平に構えられた剣を、愛三は逆手で握る。


「ッッッ?」


 その意味するところが温羅には分からない。だがさっきから悲鳴を上げて叫ぶ虫の報せが、彼女をして警戒に全力を尽くす。そしてその警戒が正しいことが次の瞬間、証明された。


「京八流。裏の三抜手が一。零抜ぜろぬき


 鞘走りの音がして、その音よりも早くロープライスロープが抜剣される。それは偏に言って抜刀術だった。だが、その根幹は居合とはまた術理が違う。一般的に言われる抜刀術は腰に構えた納刀を、順手によって抜き放つモノ。だが愛三の今回の抜刀術……京八流の零抜は、その前提からして違う。


 背中に構えた刀を、逆手で握って抜剣する。


 つまり腰だめに構える抜刀術に比べ、その回転率は二倍になる。腰から抜剣すれば九十度の円運動をするが、背中から抜剣すれば正面の敵へ百八十度の円運動をする。それによって得られる速度は単純に居合の二倍。その威力については二倍以上。だが逆手に握った剣はつまりその刃の背中を腕に接触させている。つまり順手で握る居合よりも県の間合いが狭い。


 故に零抜ぜろぬき


 近距離どころではない。交差距離クロスレンジにおいてしか成立しえない抜刀術。ゼロ距離では絶対を誇るが、一般的な居合の距離では、何にもなれない。


 その零抜が放たれた。躱すのは至難。防ぐのも至難だろう。であれば剣を握っている本体を叩くしかない。その通りに温羅の蹴りが愛三を叩いた。疾駆する剣はそこで不成立になる。そこで蹴りつけられた愛三が、だが衝撃によっては吹っ飛ばず、その場で回転する。


「???」


 さらなる技術に不本意を覚える温羅。その技術を温羅は知らない。


 京八流の技術。風柳。


 暖簾に腕押し。糠に釘。柳に風。というように、究極的な脱力から生まれる物理打撃の無効化。原理だけで言えばツバサの円転滑脱にも似ている。摩擦を消して物理攻撃を受け流す円転滑脱ほどの絶対性はないが、それでも脱力によって生まれる受け流しは温羅の一撃さえも受け流す。まるで独楽でも回すように空中で縦回転する愛三の不埒に、温羅が戦慄していると、その温羅目掛けて回転した速度そのままに愛三が拳を振るう。その結末を何故か既に温羅は覚悟していた。


 倍六九バロック


 九割九分九厘九毛九糸九忽以上の純度で練られた呪詛が、九割九分九厘九毛九糸九忽の伝達率で相手を呪った場合に起こる現象。それが今の愛三に適応されたと。つまりこれから一刻、愛三はエギオンを無尽蔵に供給され、尽きることは無い。当然維持している梵我反転にもそれは適応される。


 とはいえ条件は五分だ。既に梵我反転に術式のリソースを割いているのは互いに同じ。であればその間にフィジカルで愛三を殺せば、全ての問題に決着がつく。


「ああああああああッ!」


 倍六九バロックを成立させた……その瞬間に温羅もまた愛三に拳を重ねていた。


 殴られるお互い。片や倍六九バロックを成立させ、片や敵を死の淵まで追い詰める。


「死んだか?」


 だとしたら楽なのだが、それを楽観できるほど、温羅は愛三を低く見ていない。


「負けだ。俺の負け」


 だから、愛三が言った言葉にも理解には数瞬必要だった。何と言った。愛三は。自分の負け。それで言葉だけで負けを認めてどうする。まさか軍門に下るとか、負けを認めたから見逃せとか、そう言う話ではあるまい。


 もちろん、そう言う話ではなかった。


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