58:頂上決戦
「カメハメハ」
鬼ヶ島に転がっている石を一個取って、それを反物質に変える。対消滅反応が、そのまま大気で弾けて高熱のプラズマとなる。邪眼で、そのエネルギーに不可視の砲身を用意し、核兵器にも匹敵する熱量をそのまま温羅にぶつける。既に二度焼いた。三度目は……おそらく。
バシュウウゥゥゥ……ゥ……。
「厭離穢土……」
手に触れたあらゆるものを終わらせる呪術。それがある限りカメハメハさえも今の温羅には通用しない。ほぼ最悪が顕現したと言っても過言ではない厄介さだった。その戦慄する愛三の前で、温羅は剣の印を結ぶ。
「ちょ!」
出来るのわかっていた。既に今の温羅は伝説に語られる鬼王の一柱。鬼子の術式を、双子で分けていたフィールフィールドの重なりによって膨大なまでのホロウボースによって執行する。その温羅が愛三を滅ぼすために……最も簡単な手段となれば。
「梵我反転……自慰円頓」
梵我反転に他ならない。温羅のフィールフィールドが拡張される。意識そのものが鬼ヶ島全体に広がって、そのエギオンが憎怨によってホロウボースへと変質する。それによって鬼ヶ島そのものが終わりを迎え……ることはなかった。
バシュッ!
暗い夜に冷えた氷が、朝日によって溶かされる音をロマンで語れば、そんな擬音になる。帳とも表現できる温羅のフィールフィールド。自慰円頓の領域が呪いと化した瞬間に、それはロープライスロープに切り裂かれた。
「何……を……」
反転領域の天敵。一篇一律。刃に触れた呪いをキャンセルする呪いはロープライスロープの得意とするところ。その刀を愛三が構えているだけでおおよそのことは温羅も把握する。つまりかの妖刀がある限り、温羅には梵我反転は使えない。悪い事ではない。あくまでロープライスロープの呪いは無差別だ。反対の意見を言えば、現状では愛三も梵我反転を使えない。であれば理屈は一つ。
「捨ァ!」
切り裂かれた反転領域の帳が散らされた瞬間、温羅は愛三に襲い掛かった。マッハどころの話ではない。既に愛三は体験している。鬼王の踏み込みは亜光速にも達する。振るった刀がそのまま決着。ロープライスロープは温羅の鋼の肉体すらも切り裂いてしまう。あくまで当たれば、だが。ギリギリで減速した温羅のプレッシャーだけを切ったロープライスロープが、その袈裟切りの斬撃を下段に構え直し、さらに逆袈裟に移行するより早く。
「カースオン」
厭離穢土の術式を適応した拳が愛三の胸に突き刺さった。
「ッッッ!」
肋骨が折れ、肺が破裂し、心臓が止まる。そのまま亜光速で背後の鬼ヶ城の壁まで吹っ飛んだ愛三が、肉体を保持しているだけでも奇跡だ。人間の肉体など百と余年。厭離穢土の術式の前では塵になっていてもおかしくない。
「いってぇな! クソが!」
厭離穢土の術式の乗った亜光速の拳を食らって、痛いで済ませている愛三がもはや温羅には意味不明だ。かの終わりは温羅にとってさえ脅威と言えるのに、その絶対性が愛三には通用しない。だが、今アドバンテージを持っているのが温羅の方であるのも事実で。
また右手で剣の印を結ぶ温羅。梵我反転。
「?」
反転呪詛による疑似回帰で肉体を修復していた愛三にも意味が分からない。
それはさっき破ったはずだ。
無駄であることを承知で、何故反転領域を展開する?
分からないことだらけだったが、同時に悪寒も覚える。ハッタリの可能性を考慮するほど今の温羅との戦いに余裕はない。であれば、それは確信をもって行使される呪術。その上でさっきと今の何が違うのか。答えは簡単に出た。
三秒前に温羅は愛三を殴っている。
「倍六九……ッ」
九割九分九厘九毛九糸九忽以上の純度で練られた呪詛が、九割九分九厘九毛九糸九忽の伝達率で相手を呪った場合に起こる現象。その呪いが成立すると、一時的に……だいたい一刻の間、行使者と衆妙門の間に齟齬が無くなり、術者は無尽蔵のエギオンを得る。
衆妙門とはつまり地球上のあらゆる人間とリンクして意識を構築している高位存在。神の座とも呼ばれる霊長の根源。
そこから無尽蔵にエギオンを供給できるのなら、それはつまり呪術師にとっては最高位のパフォーマンスを得ることと同義。ロープライスロープの呪いは対処療法。あくまで触れた呪いに反応して、それをキャンセルするだけ。であれば無限のホロウボースを無限に相殺するにしても、その演算能力には小さいながら単位時間を必要とする。例えば津波による被害を無くすために、ライターの火で沸騰させて海水を無かったことにしようとすることを、どれだけの人間が承認するというのか。
「自慰円頓……」
その理屈をしていたが故に、愛三の方も剣の印を結ぶのだった。
「梵我反転。天乃邪鬼」
愛三と頼光……それからマオとツバサ。四人だけを反転領域で囲って、温羅の術式を中和する。
「???」
既に温羅は自慰円頓を展開している。なおのこと倍六九によって梵我反転の第一瑕疵……『意識の希薄化による維持限界』を無効としているのだ。仮に同じ梵我反転を展開しようと、愛三に勝てる道理はない……はずだった。
「どういうことだ?」
聞きはしたがまともな返答は返るまい……とも諦めてもいた。だが思ったより愛三の意識は聡明だった。近くにいる頼光はともあれ、鬼ヶ城の城門にいるマオとツバサをフォローするほどの広範囲の反転領域を展開しながら、理性的な返答を出来る愛三が異常なのだが。
「ああ、限定展開をしているからな」
限定展開。その意味を温羅は知らない。特に隠すことでもないのか。愛三は答える。
「梵我反転の応用で、繊維状に胎蔵領域を伸ばしてマオと頼光とツバサにくっつけているんだ。例えるなら電線だ。各々の家に電気を供給するために電線を引っ張っているだろ。アレみたいなもん。反転領域を糸状にして、俺とかしまし娘を繋いでいる。で、そこから苦楽王っていう技術で俺のホロウボースを送り込んで、間接的にかしまし娘にもプロキシサーバの原理で陰陽二兎を行使できるようにする。で、今こうして厭離穢土に対抗しているわけ」
言っている意味は分かるが語られている意味が分からない。温羅の感想を纏めればそういうことになる。そもそも温羅にとって反転領域とは自分を中心にドーム状……あるいは球状に広げる技術だ。それを糸のように必要最低限だけ伸ばして、相手の胎蔵領域をクラッキングするなど聞いたこともない。そんなことが出来るのか。自分を中心に広げるのではなく、反転領域そのものを自在に形を変えて前後左右上下に偏らせて展開する。その延長線上にある糸状に伸ばして相手の胎蔵領域を支配する。
可能か? それは?
「今やってんだから、それが事実だろ」
「では、そこまでは納得したとして反転系統の呪術でどうやって我が厭離穢土を相殺している?」
それも愛三には難しい話ではない。
「俺の反転呪術で、厭離穢土の呪いの効果を反転しているだけだ」
「仮にそれが可能としても、そうすると今度は術式効果が反転して、この自慰円頓の領域内の全てが生まれる前に回帰するはずだろう?」
「だから厭離穢土の呪詛の半分だけを反転させているんだよ」
愛三にとっては難しい話でもない。そもそも反転系統の呪術で擬似的な不動縛呪……金縛りの呪いを再現するほどだ。呪詛の半分を呪い返して、結果その呪いを無効化する技術は愛三にとってお手の物というわけだ。その意見に戦慄せざるを得ない温羅の気持ちも分からないではないが、実際に出来るのだからしょうがないとしか言えない。
であればさっきの倍六九の時の原理も分かる。
愛三は殴られて、ついでに行使された絶死の呪いを受けた瞬間に半分だけ呪詛返しで反転させて、結果無事息災だったのだから。




