51:回帰系統
「術式に目覚めたということは」
つまりさっきのようにはいかない……というわけで。だが言ってしまえば、さっきと違ってロープライスロープを彼は持っていない。であれば梵我反転だって使える。剣の印を構えて、頼光が反転領域を広げる。
「梵我反転……零留我鞍」
その反転領域で吉備マルコも包み込む。それはつまり領域内に吉備マルコを入れることであり。つまり伝死レンジが吉備マルコと接触でもあるということ。
「ギァッ!」
その梵我反転が成立した瞬間、反転領域が閉じた。
「ッ!?」
こっちの反転領域をキャンセルする。そんなことがロープライスロープ以外に出来るのか。考えうる限りの可能性を打診して、それより先にツバサが頼光の陰から現れて拳を振るう。それにカウンターを決めようとした吉備マルコの爪が滑る。円転滑脱による摩擦ゼロ。そこまで把握してさらに一撃入れようとしたツバサが、そこで爪を振るったはずの吉備マルコが鋭い爪を持っている抜き手を構えていることに気付く。その爪はさっき振るったはず。では何故まるで今から刺殺さんと振るっている爪は一体何か。逆の手が、とかそう言う問題ですらない。確かに振るったはずの爪が、しかし確かに今攻撃しようとセットされているのだ。
「くっ!」
呪術の展開が間に合わない。ザクリ、とツバサの腹部に爪が突き刺さった。
「ツバサ!」
悲鳴を上げたのは頼光。彼女をフォローする形で場を受け持ったツバサであるから、悲鳴を上げるべきも頼光だった。
「大……丈夫……ですよ……」
抉られた腹部を押さえつつ、呪術を展開して滑るように場を離れる。そこに回帰系統の術者が寄り添う。回復系の呪術は回帰系に多い。過去情報を適応させて物理的に修復するというのは回帰系の得意とするところだ。
「回帰系……」
であれば、吉備マルコの術式にも説明がつく。自分と相手を巻き戻す。それも時間ごと。既に頼光は吉備マルコを殺している。つまりそこには類感距離の伝死レンジが発生し、いつでも呪えることを意味している。彼女がバックステップをキャンセルされたのは錯覚ではなかった。つまり時間を巻き戻して無かったことにされたのだ。反転領域のキャンセルも、一度攻撃しておいてそれを無かったことにしたのも回帰系であれば説明は付く。
「…………」
となると、どんな対処法があるだろうか。こっちの攻撃はキャンセルされ、吉備マルコの攻撃はいかようにもやり直せる。ついでに攻撃を受けても、それを過去に戻してなかったことにさえできるだろう。それって無敵では?
回帰系統にもそれぞれ術者によって回帰できるものが違う。人を治す者。物を治す者。時間を巻き戻す者。自分にしか適応できない者。だが、吉備マルコのそれは回帰属性の適応範囲が広い。まるで何でも巻き戻せるかのような。
とはいえ攻撃しなければ始まらないわけで。バチリと電流花火が散る。その速度のまま頼光が刀を振るうと、その振るったはずの刀が振り抜く前の状態に戻っていた。過去へと回帰させられた。そのことはわかったが、これでは頼光は吉備マルコに何もできないに等しい。攻撃も回避も全てなかったことにされては対処の術がない。
「ギ……ガ……ァア……猿飼部……頼光……」
次なる吉備マルコの攻撃に備えて、無駄だと知りつつ構えを変える。その頼光を見る吉備マルコの瞳には涙が浮かんでいた。
「犬養部……マオ……」
本来吉備マルコに仕えるべき存在。だがその運命は既に破綻している。
だからやることは一つだった。
「「「「「急急如律令。遅延!」」」」」
周囲の呪術師が呪術で鎖を生み出し、それで吉備マルコを縛り付ける。
「ガ……ァア!」
それを無かったことにするのには複雑な演算を要する。物理的な現象であれば一発だが、並列する呪詛は互いに術式を押し合う羽目になる。
「「「「「急急如律令。愛洲。周到」」」」」
さらに氷の弾丸を手元に作り、急加速で撃ちだす呪術師。それらが強かに吉備マルコを撃ち、悲鳴を挙げさせる。
「ギィアア!」
鎖を振り解かんと肉体を振り乱す吉備マルコ。だが自分は回復できても鎖を無かったことにするのは難しい。
「「「「「急急如律令。灰屋。回向」」」」」
「「「「「急急如律令。立派。雷神」」」」」
さらなる攻撃。もはや一方的な虐殺だ。炎であぶり、斬撃で切り裂く。血を流し、その血さえも拾い集めて修復する。回帰系は極めれば永久呪詛になりかねない系統だ。そもそも時間の流れを反転させて回帰系統を再現する百八愛三が異常極まるとさえいえる。
「さてどうしたものか?」
相手を縛って、そのまま無力化には成功したが、果たしてこれは勝ちなのか。そもそも自分たちはこの吉備マルコにどういう仕打ちをしたのか。そこから頼光には分からない。何かとても大きな絶望を吉備マルコに抱かせたのではないのか。それが何かと言われても自覚はこれっぽっちもないのだが。
「今どういう状況なのよね?」
ガシガシと頭を掻きながら、そうして日本鬼子が姿を現す。一応心配はしていた。あれほどの水を一度に蒸発させたのだ。厭離穢土の能力の範囲内だとはしても、相応にホロウボースは消費しただろう。
「かくかくしかじかで……」
こっちに攻め入ってきた水鬼は仕留めた。だが今は吉備マルコが鬼化して云々。
「あれが桃太郎の……ね」
鬼子が温羅として脅威を感じているのは百八愛三だ。断じて吉備マルコではない。だがそれはそれとして彼が抱いている不条理に関して何も思わないわけでもないのだが。
コキッと鬼子の指が鳴る。間接が鳴いた音だ。
「グルァアアッッ!」
その呪詛が溢れた。さらなるホロウボースによる肉体に強化によって、筋力を膨らませた吉備マルコが自分を差し押さえている鎖を引き千切る。
「ガァア! ガァァアア!」
果たして最後に吉備マルコが望んだことは何だったのか。鎖を弾き散らして自由を取り戻した吉備マルコが、そのまま頼光目掛けて襲い掛かる。その隣には日本鬼子がいて。
「来い。最初の殺鬼人。その名を持つ者よ」
トントンと軽やかに歩いて鬼子は頼光より前に出る。
「危ない……ですよ?」
自分が迎撃するものと構えていた頼光だが。
「ここは譲ってくれ」
ユラリと一歩踏み込んで、穏やかな声でそう頼む鬼子。その声が悲痛に満ちていて、頼光の喉に唾を呑み込ませる。
「なあ、桃太郎。今のこの世界に、我々の居場所はどこにあるんだろうな?」
片や人を殺す業を背負わされた鬼。片やその鬼を殺すだけの殺鬼人。まるで時代にそぐわない鬼と呪術師。そんなものが不滅を名乗って跋扈する。そのことに何か有意義な意味はあるのだろうか。
「安心しろ。お前がいなくても鬼退治は完遂される」
だから。
吠えたてる吉備マルコ……だったもの。鬼へと落ちた鬼退治の専門家。その皮肉に何と名前を付ければ、このストーリーにはオチが付くのだろうか。暴威的に走ってくる吉備マルコに手を添えて、鬼子は何時ものように術式を展開する。
「カースオン」
厭離穢土。
一瞬で加速された自意識の中。吉備マルコが何を思ったのかまでは悟れなくとも、その中に呪いが混じっていないと断じられるほど、この一件は真っ当ではなく。




