50:鬼化するということ
「お前は桃太郎になるんだよ」
生まれた時から言われていたこと。だがそのマルコがスペアであることを家の誰もが知っていた。既に桃太郎の時間収束は兄が受け持っており、マルコには術式だけが継承されていた。キビ団子を与えることで契約者を強化する呪い。その呪いが桃太郎である証だと家の者は持ち上げたが、マルコには圧倒的にホロウボースが不足していた。呪詛総度そのものが低かった。だがその呪詛を受け継いだ兄には何の術式も持ち合わせがなかったのだ。
呪いと術式が別々の人間に分散する。その非生産的な命運に、吉備の家は落胆を隠せない。それでも術式を継承したマルコこそ伝承者だとして家の者は持ち上げた。そうして地獄が始まった。
「立て。マルコ。まだ修練は終わっていない」
木刀を手にして家長はマルコに修練を促す。その厳しさはあまりに異常で。既に死んでいないことが不思議で仕方なかった。自分には才能がない。だがそれで諦めるわけにはいかなかった。吉備の家については既に語られている。
温羅を弑する。
そのためだけに存在する家系。だから彼には犬と猿と雉の三人の呪術師が与えられ、四人で温羅を討つことを目的としている……とも。友達を作ることさえ満足にできない。ただ一人、黙々と戦闘訓練だけをこなす毎日。そうして打たれ、蹴られ、罵倒され。終わったら泥のように眠るだけ。そもそも自分は何のために強くなろうとしているのか。
「吉備マルコ。あれがお前の所有物だよ」
そうして見せられたのは、犬養部マオ、猿飼部頼光、鳥取部比翼の三人だった。誰もが立ち上るようなホロウボースを有しており、その威力はとてもではないが比較できない。
「あんな凄い女の子たちがボクの……」
「お前の言うことを聞いて、お前のために戦う呪術師だ。好きに使え。好きに捨てろ。その権利がお前にはある」
俺様のもの。
その一言がマルコを狂奔に駆り立てた。彼女らの隣に立てる自分でいよう。そのために努力しよう。そうして彼女らに認めてもらえれば自分はどんなに幸せだろうか。
そうして努力し、呪詛総度を上げ、術式を理解する。
十五歳になった。既に裏鬼門御三家の令嬢たちは十六、七歳程度だろう。先に六波羅機関に所属することは聞いていた。
彼女らに誇れる自分であろう。そうして邂逅した合格発表の時。
「よくぞそこまで練り上げた! 裏鬼門御三家! これよりは桃太郎の血を引くこの俺様! 吉備マルコに誠心誠意仕えることを許すぞ! 俺様もこうやって六波羅機関に入学できたのであるからな!」
そうして彼女らのご主人様として、明朗に振る舞う。だから安心してついてこい。そう言ったはずなのだが。彼女らはあっさりとマルコをスルーして。
「……御入学おめでとうございます。……ご主人様」
「この時を一日千秋の思いでお待ち申しておりました」
「私たちはあなた様の忠実なる下僕。如何様にも御命令をお待ちしております」
誰とも知らぬ男に傅いていた。
何をしている。お前らのご主人様は吉備マルコだろう。何故そんな冴えない男に頭を垂れている? 俺様が、この吉備マルコがお前らの主人だろう?
そんな悲痛にも似た叫びを軽んじて。
「?」
「?」
「?」
何を言っているのだろうコイツは。みたいな目でかしまし娘は吉備マルコを見る。そこにあるのは嫌悪と不理解。彼に仕えるなど魂が許容しないとでもばかりに、疑問と不破で満ちていた。
それこそ全く知らない人間を理解しないかのような。いきなり現れて言うことを聞けと言われるかのような。それが事実であって、それ以上ではないとでも言うかのような。純然たる不理解がそこにはあって。
ふざけるな。自分が誰のために辛い修行に明け暮れたと思っている。何のために日本を守ろうと思っている。全てお前らを従えるためだろうが。
「グ……あぁ……ッ」
その呪いにも似た意識が、彼を立ち上がらせる。切られた首がくっつく。全てが回帰する。ただ一つ。自分が死んだという結果以外は。
「ッ!」
「ッ!」
「ッ!」
かしまし娘がその事に気付く。今こうして死から復活した吉備マルコが鬼と化す。そのことを誰も理解しない。彼が何を呪って、何に絶望したのかを誰も知らないのだから。だからそこにあるのは単なる鬼。世を呪うことだけに堕した鬼だった。
「くはは」
水鬼が運んできた戦艦。そのデッキで復活した吉備マルコ。それを理解しているのはあるいは今縛られている藤原千方だろう。皮肉にも、利用するために近づいて煽てた藤原千方が最も彼を理解している。
わかるのだ。誰にも理解されないということがどれほどの絶望なのかを。誰かにためになりたかった結論を否定され、自分のためにだけしか力を使えない虚しさを彼も知っているのだから。
「まさか。藤原……」
ツバサが藤原千方を見る。ニヤニヤと笑っている藤原千方は、だが気分的には「ざまあみろ」だった。
「私は彼の願望の達成の一助となっただけのこと。彼の絶望を根幹にあるのは裏鬼門御三家の令嬢に対する不満ですよ」
だから本質的に彼を救う術はなかった。マオと頼光が愛三に傅いた時点で吉備マルコにとっての絶望は既に決定事項だったのだから。鬼となった原因は、あるいは遠い裏切りに起因しているのか。
「ぐ……げぇ」
鬼と化した吉備マルコから知性は感じない。つまり高位の鬼ではない。だが何となく首筋がチリチリするのは分かった。知性がなくても、その保有する呪詛が全く無いわけでもないのだ。
「がぁあぁッッ!」
そうして三人目掛けて吉備マルコが襲う。最初に狙われたのは鳥取部ツバサ。だが刀……ロープライスロープは握っていない。単に鬼の爪による攻撃。それはあっさりと摩擦を無くしてツバサを滑り抜けた。
「ぎぁ!?」
その滑りが意味不明だったのだろう。あっさりと次なる標的に目的を変える。犬養部マオ。だがこちらも爪が効かない。誓約系による絶対防御を展開しているマオのそれを突破するのは鬼ですらも不可能だ。そこまで理解したのかは不明だが、最後に吉備マルコは猿飼部頼光へと襲い掛かる。問題は彼女が彼を殺したという一点。そうして爪を振り回して襲い掛かる吉備マルコと、冷静に距離をとろうとした頼光。二人の間合いが詰まる。
「?」
たしかに頼光はバックステップをして間合いを取ったはずだった。だがいつの間にか巻き戻っている。何が起こったのか。それを考察するより早く、既に頼光は抜刀していた。ガキィンッと刀と爪がぶつかり合い、そうして鍔迫り合いをする。相手はロープライスロープを持っていない。なら遠慮なく呪える。そう思って電気を迸らせる。
「ガァッ!」
だが呪いは届かず。何が起こったのかもわからない状況で、吉備マルコの爪が襲い掛かる。
「頼光!」
その彼女を庇ってマオが代わりに爪を受ける。もちろん絶対防御を前提とした暴挙だ。彼女が庇う限りにおいて、そこに血は流れない。
「とはいえ」
さっきから意味不明な事象が続いている。これが呪いでなくて何なんだという話で。
「つまり術式」
ではいつ獲得したのか。そもそも後天呪詛に属するのか。そこまで考えて、最も早く頼光が正解に至った。
「終天呪詛……」
死して得られる呪術を彼女自身も持っていたから。




