05:先天呪詛を持っていない女の子
「疾ッ!」
相手の呼気が見て取れる。打ち込まれた木刀の軌道を見て、その斬撃線に交差するように木刀を当てる。カツンと音がして、愛三ともう一人の木刀は鍔迫り合いになった。押し合い圧し合いが続いた後、相手側から間合いを取られる。相手の構えは下段。そして加速。下から伸びあがるような斬撃線がはしる。それを愛三は、あろうことか足で踏んだ。
「ッ?」
相手から困惑が伝わってくる。夢想願流の奥義、足譚。だが何かを踏むというのは京八流にも存在する。そもそも宙を踏むのが天狗と竜の御業であれば。そのままヒョイと相手の頭上まで跳んで、上下逆さに空中で身体を固定する。その愛三が振るった頭上からの斬撃は、相手の意識の外から攻撃だった。まさか空中で姿勢を固定するとは相手も思っていなかったらしく、コツンと頭を叩かれる。
「はい。一本」
「むー……」
ケラケラと笑う愛三。その彼にしてやられた猿飼部は不服そうに頭を押さえている。痛みが出ない程度に打ったのだが、やはり木刀で頭を叩かれると思うところもあるらしい。
「術式を使うなんてズルい」
「バカ言え。純粋にフィジカルで勝負してくる鬼霊化夷がいるか。俺だって位置取り以外には呪術使ってないぞ。それだけでも実践を想定していないと言える」
「わかってはいますですけど」
ブスーと不貞腐れながら猿飼部は不満そうだ。
「呪術が使えないから剣術っていうのもなー」
「猿飼部としては戦わないって選択肢はないんです」
それは家の事情であってお前の事情ではないのでは? とは思ったが愛三は特に何も言わない。
「剣筋は悪くないんだが」
さらにもう一本。カツンカツンと振るわれる猿飼部の木刀を木刀で受けて、愛三は苦笑する。彼女の剣には余裕がない。自分が打ち込むことを前提に持ちすぎているので、端的に言ってこっちからの攻撃を想定していない。であれば。
「ほい」
愛三が少しだけ結界に差し込んだ木刀に、彼女自身がぶつかるように突っ込んでくる。コツンと音がした。
「ほい。一本」
「むー」
鞍馬山には鬼一法眼が開祖とされる京八流と呼ばれる剣術が伝えられている。言うほど高尚な剣術ではないのだが、それでもその剣術を習いたいと、猿飼部は言ってきた。教えるのは別にいいのだが。こういうのはシャナの方が上手いのでは? などと愛三は思っていたが、そのシャナは教える気がないらしい。結果愛三が手取り足取り教えるはめになっているのだが。猿飼部の剣術の腕はかなりのものだ。勘所の掴み方がいいのだろう。剣への理解は達者と言っていい。
「もう一本。お願いします」
「構いやしないのだが……」
それでも愛三の剣は止まらない。コツン。コツン。コツン。愛三の木刀が優しく猿飼部の頭を叩いた。
「じゃ、休みにするか」
「むー」
そうして二人はいったん休む。
「なんで愛三は術式を使わないんですか?」
「使ったら勝負にならんからなぁ」
特に言うことではないが、実際に愛三の先天呪詛は強力すぎる。
「持ってるだけいいじゃないですか」
ブスッと不貞腐れる猿飼部。彼女の事情は愛三も聞いている。猿飼部は先天呪詛を持っていない。結果呪術が使えない。正確には後天呪詛は使えるのだろうが、それにだって条件がある。呪力を練らないと、呪術は使えない。それと伝死レンジの問題もある。結局、鬼霊化夷が武士道の誓約を持っている以上、剣術を極めるのは合理に適う。
「いいですよね! 愛三は術式持っているから!」
プクッと頬を膨らませて拗ねるような猿飼部。その不貞腐れに苦笑して、愛三は彼女の頭をポンポンと叩く。
「お前も術式が欲しいのか?」
「そりゃあったら嬉しいですよ」
たしかに鬼霊化夷が跋扈するこの世界で、術式を持っていないというのはデメリットだ。それが呪術旧家の令嬢であれば尚更だろう。
生まれつき持つ先天呪詛。生まれた後に持つ後天呪詛。どちらかと言えば呪術師の切り札は前者で、なので呪術旧家としては子供に先天呪詛を持ってほしいのだろう。その先天呪詛を持っていないという猿飼部が、実家でどういう扱いを受けているのかは、まぁ確かに予想できて。
「ボク……役立たず」
血を吐くように、猿飼部はそのように自虐する。分かっているのだろう。先天呪詛の術式を持って生まれなかった自分の惨めさを。それを愛三がどうにか出来るわけではないので、彼としても頭の痛い都合だ。
「じゃあ呪術は使いたいんだな?」
確認するように問うと、猿飼部は言った。
「当たり前です!」
当たり前なのか。とは思っても口に出す程野暮ではなく。
鞍馬山の中。そこで土を踏んで場にいる二人は互いに木刀を握っており。
「じゃあ術式を使えるように……か」
一つだけ、彼には心当たりがあった。先天呪詛でも後天呪詛でもない。もう一つの呪詛。
「ただなぁ」
「?」
それを本当に猿飼部に付与していいものか。そもそも付与して問題にならないか。そんなことを思う。
「何です?」
「いえ。何でも」
安直な救いを提示するのも控えざるを得ず。猿飼部に術式を付与できると言ったら、彼女は食いついてしまうだろう。そうすると何があっても呪術に傾倒してしまう。別にそれが悪いとまでは愛三にも思えないのだが。
「それより京八流を教えてくださいよ」
ヒョイヒョイと木刀を振って、挑発するように猿飼部は言う。
「じゃあまず振抜を」
基本である三つの抜手。その一つである振抜は例えるなら示現流の一撃に近い。大上段からの雲耀の一撃。京八流はそもそも剣術として明確に設定されているわけでもない。単に鬼一法眼が使いやすい剣の振り方を、そのまま乾始坤終衆が伝説として語っているだけだ。その京八流を愛三も習得しているのだが、もうちょっと分かりやすくならんかなとは常々思う。
上段の構えから放たれる一撃。それを猿飼部は反応できなかった。ピタリ、と彼女の頭上で止まった木刀は、皮肉でも言うように彼女を嘲笑う。
「これが振抜だ」
「なに……を……?」
「別に大層なことはしていない。踏みこんで刀を振るっただけだ」
まぁ木刀だが、とやはり皮肉っぽく愛三は言う。
「術式に頼らない威力が欲しいんだろ。その意味で京八流を選んだお前の判断は正しい」
「別に……」
「ま、気休めに過ぎないけど。出来ない自分を信じるより、出来る自分を信じたほうが、努力も少し楽しいんじゃないか?」
「出来る自分を……信じる?」
「そ、ちょっと未来の、出来る自分を信じる。別に出来ない自分を信じてもいいけど、あんまり楽しくないと思うんだよな」
「出来る自分を……」
ポツポツと愛三の言葉を繰り返す猿飼部。自分を信じるなんて、そんな胡散臭い言葉は今まで猿飼部は嫌悪していたが、言ってしまえば猿飼部自身、自分を信じないということを信じてきたのだ。