47:水鬼
大洪水。……というより南極の氷が溶けて海の水位が上がった。とでも言うべき水が六波羅を沈めた。
いきなりの奇襲に、そういえば残っている藤原千方の四鬼の一柱が水鬼であったことをようやく思い出すかしまし娘の三人。その三人は安全圏で周囲を囲う水を見ていた。
結界。そう呼ばれる空間に呪いの効果を付与する技術。
「んーと」
頼光が果たしてどう思ったものか。
「……水鬼……だね」
マオがそう結論付ける。というか他に候補がない。更地に大洪水を起こすこともできる水鬼の呪い。それによる物量作戦は確かに六波羅機関を襲う意味で最も有効だろう。尚のこと隠形鬼がどこにいるのか。悩んでいる暇があるのかどうか。
「大丈夫ですか?」
「呪いそのものは、ね。それにこの水はもうすぐ消えるから」
ツバサが確信をもってそう言う。同時に六波羅機関を沈めていた大量の水が消え失せた。
「ね?」
ツバサにとっては自明の理だ。この水が日本鬼子にとって都合が悪ければ、それはつまり厭離穢土の術式対象だ。あらゆるものを終わらせる呪い。水とて蒸発するが定めなれば。
ズズン。大きなものが落ちる音がした。それが何かを確かめるために三人は外に出る。あったのはある意味でこの六波羅機関にそぐわないもの。
「戦艦……」
さっきの水はつまりこれを運ぶための手段だったのだろう。とはいえ水を失った戦艦が陸に上がって意味があるのか。船頭多くして船山に上る、というのは比喩表現であって、実際に船が陸に上がることを想定していないのだが。
砲撃でもするのか。あるいはミサイルを飛ばすのか。そんなことを想定していた六波羅機関の人間。キチチ、とギアの回転する音がそれに答えた。
「アイロニアン……」
鉄でできた人を意味するその名称は、つまり自動的に呪いを誅する現代社会の技術の粋。鬼の武士道防御を突破するためにわざわざ人型をとった人形による攻撃。もちろん武士道防御に違反する攻撃はしない。その手の部分にはブレードが付いていた。本来人を守るために運用されるソレが、水鬼の指導のもと、六波羅機関を襲う。
「行け」
言葉はそれだけで十分だった。そうしてアイロニアンの軍勢が六波羅機関へと襲撃する。もはやそれは蹂躙と言ってよく。痛みも知らず。躊躇もない。そんな冷えた鉄の塊が死をも恐れず呪術師へと襲い掛かる。そのシステム設計を誰が為したのか。そこを考えると、帝国海軍のいずれかの顔が上層部には浮かぶ。
ガシャァァン!
そのアイロニアンの群れに特攻をかけたのは頼光だった。手にするは無銘の刀。神珍鉄製とされるその刀は刃があまりに薄く。速度と角度さえ間違わなければ、鉄さえも切り裂く。まるで斬鉄剣をそのまま具現したような。速度は上々。剣技は様々。襲い来るアイロニアンをことごとく切って捨てる。その隣で、悠々と歩いているのはツバサだ。あらゆる摩擦をゼロにする円転滑脱の前には、あらゆる物理攻撃が通用しない。
ギチチチ!
その二人目掛けて襲い掛かるアイロニアン。だがもちろん次から次へと沸いてくるアイロニアンの軍勢はそれ以外をもポイントしていて。
「こっちに逃げてくださーい」
戦えないものには安全圏の提供を。
犬養部マオの梵我反転。平和裏郷。
その反転領域内では、あらゆる殺傷が禁じられる。もちろん六波羅機関の教師枠は全員アイロニアンの迎撃に駆り出されている。先天呪詛持ちが少ない教師職にとって、だが攻めてくるものと戦わないという選択肢はあり得ない。
「フゥ!」
その最前線で戦っている頼光が、襲い来るアイロニアンを悉く切り捨てている。鉄の肉体を切り裂くのは百パーセントではない。条件次第では叩くこともある。だが今頼光が握っているのがこの刀で良かったとは思う。愛三がロープライスロープの代わりにこの刀を置いてくれなければ、ここまで頼光は戦えなかっただろう。そこまで愛三が明晰に考えていたわけでもないのだが。
まるで昆虫の群れのように戦艦から現れるアイロニアン。それを教師陣が無力化していく。生徒の中にも戦っているものはいるが、それでも最も活躍しているのは頼光だろう。
雷光頼光。
その電速の剣は、あらゆる金属を断ち切る。
その頼光目掛けて。バシュッと水が迸る。ウォーターカッター。超圧力で押し出された水が、あらゆるものを切り裂くとされる技術。もちろんそんなものを具現できる存在などそうはおらず。
「水鬼……」
そういうことになる。とはいえだ。水鬼と戦えるのは頼光しかおらず。マオは反転領域の維持で精一杯。ツバサは長時間戦える呪詛総度ではない。今水鬼と戦えるのは潤沢な呪詛量度を持ち、継戦能力が高く、ついでに水鬼に刃を立てられる頼光しかいない。
「やりますか?」
「上等」
そうして頼光と水鬼の戦いが始まった。
バチッと電光石火が迸る。それによって加速した頼光の速度が、水鬼の認識の外から斬撃を浴びせる。雷光にも似た斬撃。だが水鬼はそれを躱す。パシャッと水の音がして、水鬼の周囲を囲むように現れている水が、水鬼に頼光の斬撃を教えている。
「腐食」
さらに水鬼が術式を展開する。水を用いた呪術。風化を水で再現。だが頼光の刀は腐食しない。神珍鉄による刀に劣化という概念はなかった。
ヒュン! と刀が振るわれる。それをギリギリで水鬼は躱す。
「水弾」
さらに戦艦でのこと。水が弾丸となって頼光を襲う。それを電速で回避する頼光。
「斬撃」
圧縮された水の斬撃が頼光を襲う。それをギリギリの体捌きで頼光は躱す。頼光の斬撃は常に刀を抜いている。それは抜刀から最速を具現する愛三の剣とは少しだけ違う。頼光の剣は自在に振るわれるその闊達さがそのまま威力なのだ。
「ふぅ!」
周囲に展開されている水を躱し、その最速で水鬼を切る頼光。その斬撃が、だが水鬼を捉えられない。互いに安全マージンを保っているのがその理由だ。相手に一撃入れるより、相手の一撃を回避する術を確保することに全力を尽くしている。
「さて、どうしようか」
頼光にはジョーカーがある。だがそれは未だ習得しているとは言い難い。
すでに痛みには慣れた。これほどの痛みを愛三が感じていたのかと思うだけでも、頼光には罪悪感が湧く。痛いというレベルですらない。梵我反転によって得られる痛みは、もはや常識を超える。だから愛三にこれ以上の痛みを与えないために、頼光は強くなることを決めた。もうきっと愛三に梵我反転を使わせない。そのためなら自分が地獄のような痛覚を覚えても問題がないと言えるように。
「……ッ!」
そのまま無銘の刀を下段に構える。
「梵我反転」
フィールフィールドの拡張。それによる伝死レンジの解決と無条件の周囲への呪い。それを成し得るのが梵我反転だと知っていて。だが痛いものは痛い。
「零留我鞍」
瞬間。頼光は電光となった。あっさりと水鬼の首を断たんと襲い来る頼光。その全てを具現して、だが水鬼の生み出した氷がそれを阻んだ。ガキンと音がして、頼光の刀が受け止められる。そのまま斬ることもできるのだろうが、頼光には不可能だった。そうして氷の壁を切り裂いて、さらに加速。反転領域内ではいくらでも頼光は加速できる。それこそレールガンのように。それが水鬼に対する頼光のアドバンテージで。つまり頼光にとって電速による加速はそれこそ十全なる斬撃そのものだった。




