44:吉備マルコの悪意
「ん♡ ちゅ♡ ぁん♡」
「んぅ……ぷちゅ……ん……」
乙女へと反転した愛三が可愛いと温羅は何度も言った。結果、鬼ヶ城では、温羅との情事に耽るのは愛三の仕方ない文化的な活動だった。身体を重ねて温羅は愛三にディープキスを求める。
「はぁ……はぁ……はぁ」
互いの汗を混ぜ合わせて、一種異様な匂いが部屋の一室を満たす。そうやって一発やって、それから換気する。
「温羅。ちょっといいか?」
で、その温羅と愛三の情事の後。部屋に気軽に入ってきたのは。
「おうマルコ。余は今忙しい」
「忙しいって……って……って?」
はたして、温羅は愛三と一緒に布団に寝ており、さっきまで何をやったのかは隅々までバレた。
「百八か?」
「そういうお前は吉備マルコ」
つまりそういうことだろう。鬼が人の側の事情をよく知っているのは、内通者がいたから。その内通者が誰かと問われれば。今鬼ヶ島にいる吉備マルコに相違なく。
「お前も鬼側についたのか?」
「いや、さらわれて人質状態」
「そうかそうか。では俺様が弄んでもいいのだな」
性欲丸出しの顔で愛三に近づく吉備マルコ。その肢体を如何様にもできる。そのことに興奮を覚える程度には彼もまた少年であった。
パン、と空気が圧搾され指弾が飛んだ。温羅のデコピンが放ったのはまごうことなく空気を弾いた指弾。温羅の女である愛三に手を出すなら殺す。そういう意思表示。
「ところで俺の刀はどうした?」
「ああ、俺が貰った。お前は人質なんだろ? 俺様が有益に使ってやるよ」
「まぁ後で返してもらえばいいか」
呪いは自分に帰ってくる。つまり愛三の呪いであるロープライスロープも結果論で語れば愛三に帰ってくる。
「で、殺していいのか?」
「やれるんならな」
愛三はあっさりと頷いた。殺していいかと言われれば、たしかにここでは敵対存在なのだから殺しちゃまずいはずもなく。
「調子に乗るなよ吉備マルコ」
その愛三への攻撃を咎める温羅。だが愛三はへらへら笑っていた。
「あー、いいぞ。殺される気はないから」
「舐めてんのか?」
「俺の空間アトラクタ見えてないだろ?」
「あとら……?」
「結界のことだ」
「???」
布団から這い出て、そのまま流し着を着て、肉体を男にする。そして掌を上に向けて握って、人差し指を伸ばしてヒョイヒョイと曲げる。かかってこいのジェスチャーだ。ズバンと刀が振るわれた。その時には既に愛三はそこにおらず。鬼ヶ城の天井を歩いていた。
「さて、どうする? このまま諦めるか」
重力を反転させて反重力を作り、屋根を床のようにして歩いているのだ。これは一度鬼子に披露もしている。
「急急如律令。緋色! 円陣! 奥羽! 騒動!」
マニュアル呪術。千事略決。
その重ね掛けによって吉備マルコは一時的に一人でも鬼を弑能う殺鬼人へと変貌していた。呪いによるバフ。強化系の呪術をこれでもかと積み上げる。さてどうしたものか、と愛三が思っていると既に吉備マルコは天井を走っていた。手に持つは名刀ロープライスロープ。受けたが最後。愛三の反転系統でも反射は出来ない。かの刀にかかっている呪詛は斬った呪いのキャンセル。つまりロープライスロープの斬撃は呪術で防げない。だだだだだっと天井を蹴りつつ愛三に襲い掛かる吉備マルコ。その速度が更に速くなる。
「急急如律令。大仏」
言った瞬間愛三の間合いまで踏み潰す吉備マルコ。だがあっさりと愛三は地面に降りた。別に呪術さえ解除すれば、天井にいる理由もない。そう思っていると天井を蹴って急降下する吉備マルコ。その剣が振るわれる。受け流し、躱し、時にからかってあっさりと反撃する。
「死ね! 死ね! 死ね! 俺様が裏鬼門御三家のご主人様だ!」
「それは俺とは関係ないかね」
そもそも彼女らからの信頼は偶然だと愛三も思っている。だがそれをここで言っても意味は無いのだろう。吉備の家は裏鬼門御三家を支配し得る主人公の家。だが彼の剣はお粗末で、見るに堪えるものでもない。
ヒュン! ヒュン! ヒュン!
振るわれるロープライスロープ。その剣劇があまりに単調すぎて、わざとやっているのか悩んでいるところ。
「ほら、頑張れ頑張れ」
斬られる寸前を見切って紙一重で躱していく。まるで遠い蜃気楼を斬っているかのような錯覚。それを覚えているのは吉備マルコの方。自分はバフを持って千事略決の呪術を軒並み使っている。だというのに、愛三はあっさりと躱す。愛三の側に言わせれば、別に不思議でもないらしい。
「いい加減切られろ!」
「それで『はい、わかりました』、と言える人間がいればいいがな」
とはいえ命の危機はその通り。普通に考えてロープライスロープを相手取るのはガンガン意識のリソースを削られる。さらになりふり構わなくなる。
「急急如律令。痘痕」
そんな祝詞を吉備マルコが呟くと、今度は仮初のアバターが二対現れた。これで彼我の戦力は一対三。とはいえそれでも警戒はしないのだが。
「急急如律令。愛洲。雷神」
一人目のアバターが冷気を打ち出した、それも新入生ではあり得ない超威力のそれ。冷たい空気を回避するなら上。また愛三は天井に張り付く。
「昇り竜」
そこに励起の靄からオリジナルの吉備マルコが現れる。シャンシャンシャキンッッ! 完全に切る気でロープライスロープを振る。一応躱していなす愛三。
「急急如律令。灰屋。雷神」
二人目のアバターが炎を打ち出した、それも新入生ではあり得ない超威力のそれ。このまま鬼ヶ城が焼け落ちるのでは、とも思ったが杞憂だった。炎で焦げはするが、それ以上ではない。その炎を真っ向から受けて、ぶすぶすと火傷する愛三。同時に炎を放った吉備マルコ量産機が焼けこげる。呪詛返し。それは後天呪詛にも適応される。
「さーて。男の子の柔肌を焼こうとはふてえ野郎だ」
「ふむ」
その愛三と吉備マルコを見て、愛人である愛三を思えば止めるべきだが、それよりも思ったことが温羅にもある。
「よし。では続けろ」
無論愛三は正気を疑った。何と言った。続けろと。そう言ったのか。
「愛三は斬られることは無かったのだろう?」
「そういうことになる」
「では倍六九を覚えろ。面白いぞ」
「バロック?」
「倍六九だ」
コイツは何を言っているのだろう。そんなことを思ったが、ここでジョークにもならないらしい。だが倍六九とやらを覚えるのは何となくワクワクした。自分の知らない技術というのは彼にとり習得に値する。




