40:神隠し
「カースオン」
体捌きでは愛三にも劣らない鬼子は、人が変じた鬼を殺しに殺しつくしていた。元々人である……という定義については知っているが、だから何だとしか言えない。シリアルキラーに陥った人間にギロチンを与えない刑法もないだろう。
「あああぁぁ!」
伝死レンジ。接触。鬼子の手に触れた鬼は、そのまま時間が異常なまでに加速されてその終わりを引き出される。一瞬で寿命を迎えて、肉も骨も残らず風化した。
温羅の術式。厭離穢土。
伝死レンジ内であればあらゆる全てを風化させる終わりの呪詛。その呪いの前にはあるいは温羅本人さえも無力である可能性がある。
温羅にそそのかされて、裏鬼門御三家の令嬢や、庵宿区に存在する呪術師やサムライを襲っていた一般人。彼らが担がれて鬼となり、そして呪術師に殺される。それさえも温羅にとっては喜悦なのだろう。無意味に人が死に、鬼が死ぬ。
悪意という意味でこれ以上は存在しない。
「カースオン」
まるで広告紙をライターで焼くように、炭となって消える鬼。それらを鎮圧して、それから愛三のフォローに回ろうとした鬼子は、だが堂々と立っている鬼奈……温羅に出会う。彼女は荷物でも持つように愛三を抱えていて、それから曇りのない瞳で鬼子を見る。
「よう。討伐は終わったか」
女子らしからぬ口調。だがそれを素で言っているのは鬼子にも読み取れる。
「愛三をどうする気なのよね?」
「持って帰って愛でる。こやつは余の寵愛に値する」
「言っておきますけどなのよね」
「拝聴しよう」
「愛三が女子に反転すると反則的なまでの可愛さなのよね」
「愛三の乙女バージョン」
「なんなら頼んでみるといい。鬼奈の感性が私と同じなら、多分一発で惚れるのよね」
「それは楽しみだ」
そうしてこの場は収まった。腰に差したロープライスロープ。封じの鞘に納められた安綱が、そのまま彼ごと持っていかれる。愛三は意識を取り戻していないらしい。死なないということは聞いていたので最悪はないだろうと高は括ったが、それも決して根拠があるわけじゃない。多分だが聞いたら裏鬼門御三家の令嬢は興奮して詰るだろう。だがここで鬼子が温羅に対して決定力を持っていないというのは、それ自体が温羅のアドバンテージとも言える。
「連れ帰って、どうするの?」
「鬼となす」
まぁそうなるよなー、とは鬼子も思って。たしかに愛三を鬼にすればカーステラー側の戦力は増強するだろう。無制限反転術式。陰陽二兎。それを鬼が先天呪詛として扱えば、怪獣が海から攻めてくるよりなお驚異的と言える。
「ではな。鬼子。余はまた貴様と出会う時を楽しみにしておる」
「私たちのお母さんを殺したのは……どう思っているの?」
「あ? そんなことあったか?」
鬼子と鬼奈の母。愛おしいはずの母親を殺したのは誰あろう鬼奈。正確には鬼奈の中でうごめいている温羅。
「よく憶えてはおらんな」
だからど忘れする程度には温羅には印象が無く。行列を作っているアリを踏み潰した自覚もない傲慢な人間にも似た悪辣で、鬼は人を殺す。
「殺す。殺す。殺す。殺してやる」
ビキビキとこめかみの血管が隆起する。今全力で憤怒の感情を覚えている鬼子は双子の妹である鬼奈と、それにへばりついている温羅には最悪の憎悪を向けていた。
「ふ」
殺してやる、という鬼子に、温羅は鼻で笑った。
「どうやって?」
言われた瞬間、鬼子の堪忍がはちきれた。触れたものを一瞬で風化させる防御不能の掌。それによって論じられる絶対終了……厭離穢土。防ぐ術はない絶対の攻撃が……だが温羅には当たらない。
「貴様は温羅の術式を継承した。だがこの身体は温羅のフィジカルを継承した。より脅威であるのが果たしてどちらか。それは一概に論じられないだろう」
そして鬼子のみぞおちに蹴りを穿つ。
「よく精進せよ。貴様の術式くらいしか余を滅ぼす手段はない」
「愛三を……返せ!」
「断る。姉の宝物を簒奪するのは妹の特権だな」
「殺すのよね」
「可能ならやってみせろ。賛同はしないが、この俺の余裕を崩す程度の威力が今の貴様にあるか?」
そうして空間に出来た染みに温羅は消えていく。わきに抱えるように持っている愛三ごと。水面に石を投じた様に、空間と空間の境目に手を添えた温羅。それによって境界面に波紋が奔り、情景が歪む。
「ああ、裏鬼門御三家に関しては藤原千方に任せる。アレであれば、討滅も容易であろう」
「それを私が許すと?」
「頑張れよ。日本の夜明けはもうすぐだ」
そしてチャプンと音がして、空間の継ぎ目が波紋を広げて、まるで入水するように消えた温羅と愛三は、そのまま認知不能の何処かへと消えた。
「半村領域……」
とある作家が言った理論だ。小説の舞台を作るとき、舞台となる地方の地図にカッターで線を入れて、切れ目を広げてそこにできた空間を舞台とする。故に現実空間と隣接していながら、しかし亜空間として処理される場所を呪術界では半村領域と呼ぶ。
そこに入るには温羅か、空間を維持している呪術師の許可がいる。もしくは概念系の否定呪詛を持ってこじ開けるか。オタク知識を持った犬養部マオに言わせれば、例えるなら勇者王のディバイディングドライバーが一番分かりやすいらしい。
空間に切れ目を入れて、その切れ目を拡張して異空間を作る。それによって出来上がる世界を鬼子も熟知している。温羅の御座だ。であればそれは日本一有名な御伽噺で語られている。
鬼ヶ島。
木の一本も生えていない岩だらけの島で、そこには鬼の王が住まう城があり、襲撃者を押しとどめる門があり、海は荒れ、常に嵐が天を逆巻き、島には小鬼、中鬼、大鬼が跋扈しているとされる。
一種の結界とも言えるだろう。
ただ桃太郎に語られる伝説がそのまま実体化した伝承呪術の側面を持ち、つまりこの海が少し遠くにしかない東京都庵宿区で、異空間を作って海も、島も、城をも建立してしまうのが温羅の恐ろしいところでもあった。もしも温羅を討伐するのなら、鬼が無数に待ち受けている鬼ヶ島に乗り込み、温羅の潜在能力を百パーセント引き出す鬼ヶ城で戦わなければならない。
出来るか? それが? あの愛三さえも鎧袖一触してしまった温羅を相手に?
ボウ、と手の平に呪詛を集める。鬼子の掌はあらゆるものを滅ぼす魔性の手。それによって生きながらえる存在は然程いない。だが呪いには伝死レンジがあって、触れるか、マーキングをしないと相手を呪えない。
そもそも根本的に、鬼子は温羅を呪えるのか。
「覚悟を決めろ。日本鬼子。私が殺さなくて誰が殺す……ッ」
温羅を滅ぼせるのは温羅自身。温羅の魂を継承した人間として、温羅の肉体を滅ぼすことは理にかなっている。むしろ他の誰に出来るのか。
鬼を殺すだけなら殺鬼人で十分だが、鬼王を殺すには伝説がいる。温羅ならば桃太郎。酒呑童子なら源頼光。大嶽丸なら坂上田村麻呂。だが吉備マルコは戦力にならず。戦力の根幹であった愛三は連れ去られ。愛三に忠誠を誓っている裏鬼門御三家は、未だ何も知らない。マズいとは思う。このままでは鬼によるレコンキスタは冗談抜きで成ってしまうかもしれないのだ。南無三。




