38:世界を呪う
「やほ。お姉ちゃん。息災かや?」
日本鬼子の双子の妹。鬼奈。今現在の温羅の魂魄を宿している……呪術界における鬼王。その威力は伝説に語られ、日本でも最強とされる鬼。日本で五柱しか認められていない鬼王の内の一鬼。
「温羅様!」
「温羅様だ!」
「おお、温羅様に祝福を!」
カーステラー派の人間は、そんな温羅を見て感激する。特に自分らが彼女の呪いから絡めとられている自覚はないらしい。
「い……ぎ……?」
「ぎは……ぁあ……」
「ぇぐ……ぐえぇ……」
その拳銃を握っている自称カーステラー派が、その誓約によって鬼へと堕す。動画配信で言った通りだ。温羅の味方をすれば老いも病も無い世界に行ける。つまり愛三を殺そうと奮起した人間は温羅の呪いによって鬼と化す。
「ゲ……ハァ……」
「グルゥ……ゥウ……」
「ギ……ガァ……」
鬼になるというのがどういうことなのか。そこから愛三にはわからない。例えるなら流行り病にかかった異国の人間を想像する程度の距離だ。辛いだろうなとは思うが、本質的に理解できるものでもない。
「鬼奈……相変わらずみたいね」
温羅の魂を継承している鬼子が、最愛の妹の名をそう呼ぶ。
「仕方ないよ。人の世を呪うのが鬼の宿命。余はこれでも理性的な方だと思うが」
鬼であることを否定したことが無いのだろう。鬼子が抱える宿命を、温羅は心に持っていない。
「それでお姉ちゃんの傍にいるのが……裏鬼門御三家の主人……でいいのかな?」
「はぁ。まぁ」
特に否定することはせず。実際に裏鬼門御三家の令嬢に忠誠応酬を誓われているのは事実であって。
「ハロー。余は温羅。人間としての名前は鬼奈なんだけど。そこは貴様には関係ないよな」
全く無いとは言えないが、たしかにあまり関係はない。
「うーん。惜しい。貴様が女性だったら余の愛人にしてやるのに」
「あー」
今時点での愛三は男になっている。特に理由はないが、それが温羅にとってはマイナスに働いたようだ。
「それで、貴様は何故余に逆らう?」
根本的なことを聞かれた気がする。だがそもそも愛三には温羅と敵対する理由は無いのだが。端的に言って社会の問題程度の意義しかない。
「お前が問題を起こさなければ、俺としても別に誅しようとは思わんのだが」
「つまり余が憎いわけではないと?」
「そもそも理解もしていない人間を憎む方が難しい」
「ふむ……ふむふむ……」
そこで思案するように愛三を眺め、その結界に踏み入った。
「ッ!」
瞬間的に発生する違和感を戦慄に変えて、愛三が警戒するが、その愛三の手を温羅は握った。
「では貴様は呪術師を何だと思っている?」
速い。
愛三の認識を超えて振るわれる威力に、愛三の方もとてもではないが心が凪ぐわけにもあらず。例えるなら、漁に出て嵐に襲われるような不条理な感情に近しい。神頼みをするしかないという意味でも。
「貴様はカーステラーを何だと思っている?」
「俺は鬼霊化夷だと聞いているが」
「懐かしい。カーステラーを鬼霊化夷と呼ぶ呪術師がまだおったのな」
基本的に古い呼び方だ。愛三は師匠であるシャナに影響されている。
「四つに分類されるカーステラー。その中でも人が呪いで変質した存在をこの帝国では鬼と呼ぶ。では呪術師は? 人であり、呪いを扱う。これは鬼とどう違う?」
身体の構造の問題。底なしの悪意。そう言う問題ではないのだろう。
「「「ギィィィィ!」」」
愛三の手を取り、問いかける温羅。その背後で、呪いによって鬼化した一般人が本能のままに人を襲いだす。ここは東京の都会区。人など吐いて捨てるほど存在する。それらを襲いだす鬼の一団に、だがそもそもそれを誅する権利が愛三にあるのか。
「鬼と人と呪術師。これらの境は何だと思う?」
愛三の手を握っている温羅は真摯に、そう問いかける。
「知らぬ……と言えば満足か?」
「その理知さえないのに、貴様は鬼を殺そうと?」
「成敗されるが定めなれば」
「それは思考停止だよ」
理屈としてはその通りなのだが、今目の前で人を襲っている鬼をスルーするのもまた違って。温羅との伝死レンジは接触。そこから憎怨に突入してホロウボースを練る。溢れた呪術は不動縛呪を具現する。その動けなくなったであろう温羅に蹴りを加える愛三。手を握られている。動作も読まれている。躱されることを前提に、その前提を潰すために不動縛呪を掛けた。その上で、木製バッドなら五、六本を平気で折れる威力の蹴りを繰り出したが、温羅は鮮やかに躱した。正確には愛三の蹴った足に乗って、そのままフワリと跳躍。重量など存在しないかのようにひるがえって、少し離れた場所に着地する。
体術の面では愛三を超える。それも確かだろう。彼女は鬼の魄をインストールしているのだ。フィジカル面で人を大きく超えると警戒して異存ない。
「金縛り……にしては違和感があるな。貴様。系統は?」
「言ってたまるか」
反転系統ではあるが、対策されるのも上手くない。
「さきの不動縛呪は後天呪詛かや? 生憎と余を縛るには強度が足りんな」
だろうな、と鮮やかに同意する。反転系統は、その呪詛強度によって反射する呪いを受け止めきれない限界がある。その反転系統による金縛りも、つまり呪いの出力次第では打ち破るのも容易だろう。だが愛三の呪詛総度を、そのままフィジカルで破られるのは彼も想定していない。呪いによる固有ステータスの上昇。そういう強化に働く呪詛となれば収束系統だろうが、それにしても異常としか言えない。
「大丈夫なのよね? 愛三」
「まぁ俺はな」
温羅と同じ顔をした黒い髪の鬼子の心配に、ヒラヒラと愛三は手を振った。二人が双子であることを知って、だいたい因業は悟れる。つまり双子に生まれた日本鬼子と日本鬼奈に、温羅の魂魄が別々に憑依したのだ。結果、鬼の精神と肉体が、それぞれ姉妹にインストールされてしまう。
「勝てる?」
「いやー。どうだろう」
手段を選ばなければ勝てるが、それを愛三はしたくない。
「ていうか鬼の方をどうにか……」
「そっちは私が何とかするのよね」
厭離穢土。
触れた物質を風化させる鬼子の先天呪詛。冷静に考えれば、今時点で愛三が生きているのは奇跡だろう。もしも温羅が鬼子と鬼奈に分裂していなければ、圧倒的なフィジカルで襲い掛かった温羅が、そのまま愛三に触れて厭離穢土を適応させる。それで終わりだ。最強の肉体と最強の術式。今時点で温羅が暴威を振るっていないのは、あくまで気まぐれであって、それも偶然と呼ばれる奇跡が温羅そのものを弱体化させているが故である。
チャキッと音が鳴った。腰に佩刀したロープライスロープ。その魔剣が早く抜けと愛三に伺いを立てる。愛三の終天呪詛……一篇一律を宿した呪物だ。
「ほう。余と競り合う気か?」
「生憎と、鬼を殺すのが定めなれば」
「先の問いにはどう応える。呪いを扱う人間を鬼と呼んで、では呪術師は?」
「鬼を殺す鬼だ……とでも答えれば満足か」
「ふむ」
少し思案するように温羅は顎に手を添えた。鬼を殺す鬼。その定義は新しい。




