21:嫉妬の鬼
「キエエエエエッッッ!」
カツン!
糸切りバサミが閉じる音がする。それが聞こえたのは愛三の耳元だった。愛三の髪を糸切りバサミで切り取ろうとした六波羅機関所属の学生が、ほぼ反射でカウンターを差し込んだ彼の蹴りによって股間を押さえている。さすがに悪い気もしないでもないでもないでもないのだが、愛三は自分を悪くないと感じていた。聞くに、なんでも愛三の髪の毛には懸賞金が付いているらしい。その金目当て……というより、むしろ直接的目的として六波羅機関の男子生徒は愛三の髪の毛を欲していた。何故かと言われるととても分かりやすい。
丑の刻参り。
藁人形に呪うべき対象の髪を混ぜ込んで、心臓に釘を打ちこむと、あら不思議。心臓に痛みが走るというアレだ。もちろん六波羅機関が呪術を学ぶ場所である以上、丑の刻参りは常識だ。先天的な術式を持っていない人間でも扱える呪術。専門用語でいう後天呪詛の一つ。丑の刻参り。蟲毒。結界。式神。これらは後天的に身に着けることのできる呪術で、汎用性を求めて運用される。それらを全て過程を略して呪術をマニュアル化したのがかの天才陰陽師……安倍晴明であり、その技術は「千事略決」と呼ばれている。
「覚悟しろ百八! 急急如律令! 愛洲! 周到!」
二大後天呪詛の一角。
仏理呪術。
襲撃者のホロウボースが冷気によって氷を作り、その氷をシュートのように射出する。
「くあ……」
警戒するまでもない相手の襲撃に、愛三は欠伸をした。氷を飛ばす呪術は、愛三に触れた瞬間に軽快に跳ね返り、そのまま明後日の方向へと飛んでいく。そしてガシャンと教育棟のガラスを割った。当然すっ飛んでくる警邏隊。ガラス破損の容疑で襲撃者は連れていかれた。
「中々愉快な学校だな」
先日から愛三の髪を採取しようとしたり、悪質になると後天呪詛によって殺し……まではしなくとも痛めつけようとしてくる。それらを脅威とも思っていない愛三もそれはそれで常軌を逸しているのだが。とはいえ師匠であるシャナのしごきに比べれば欠伸も出るし、危機感も煽られない。まだ幼い頃。新月の鞍馬山で狂骨に包囲された時に比べればピンチの内にも入らない。
「……ご主人様……大丈夫?」
「まぁ今更丑の刻参り程度で死ぬほど難儀な立場ではないよな」
「御命令さえ頂ければボクが斬ってきますよ?」
「ロープライスロープならガチで出来そうだな」
あらゆる斬った呪いをキャンセルするロープライスロープ。今時点では頼光に預けているが、本来は愛三の剣である。だが相性がいいのだろう。ちょこちょこ剣の相手をしていると雷光頼光の振る舞いに、相手の防御能力を加味していない斬撃が散見されていた。
「ちょっと失礼するのよね」
で、マオと頼光と一緒に学食に向かおうとした愛三。それを止める声。さっきの狂気に満ちた男子どもの声ではなく、もうちょっと理性的だ。独特の言葉遣いに、声の主を特定するのは容易だった。
「鬼子さん」
「ご機嫌いかがなのよね」
「無事息災だ」
日本鬼子。特に何がどうのではないが、おそらく悪意で付けられた名前ではないだろう。どちらかと言えば背負わされたカルマか。あるいは運命を読み取られたか。
「奢るから食事一緒しない?」
「構わんが……」
とはいえ愛三の一存では決められない。マオと頼光は警戒していた。
「大丈夫なのよね。何もしないから」
ついて来いとばかりに、背を向ける。歩く先には学食が。
「ところで」
愛三が唐揚げ定食を頼んで席に着くと、チキン南蛮定食を頼んだ鬼子が興味深げに聞いてくる。
「愛三が桃太郎の転生者……ってことでいいのよね?」
「まったく良くはないんだが」
そもそも転生者じゃない。
「裏鬼門御三家を従えているのは?」
「偶然」
「……必然です」
「マオの言う通り」
各々食事をとりながら否定反論を展開していく。
「愛三が桃太郎だから忠誠を誓っている……って考えてたんだけど」
ある意味妥当で、ある意味大げさな鬼子の予想は、裏鬼門御三家としては納得できないわけではない。
「……それは関係ない」
「ご主人様との御縁とは関係ありませんね」
「えーと……」
困ってしまって愛三を見る鬼子。
「本当なのよね?」
「少なくとも俺と桃太郎には関係性は完全に無い」
それで言えば、以前見かけた吉備マルコの方が名前だけでも近しいだろう。
「アイツに従う気は欠片もありませんが」
これを桃太郎の従者の血統である猿飼部が言うのだから、色々とこじれてはいる。
「ちなみに裏鬼門御三家としては今回の件はどう動くの?」
温羅が今東京に潜んでいる。そのことを確信しているのは現時点で鬼子だけ。その理由について問いただしたいが、事実であればマオや頼光にもスルーは出来ない。温羅を討伐するのは裏鬼門御三家の血の命題でもある。
「……まぁチョチョイと」
「適当に」
何のビジョンも見えないマオと頼光に、大丈夫かとツッコむ鬼子。
「そもそも何でそれを日本氏が知っているので?」
「かくかくしかじか……」
「そのかくかくしかじかを言えと言っているのですけど」
「無理なのよね」
突っ込まれると、突っぱねるしか鬼子には対処が無くなる。秘密主義を咎める気はないが、温羅レベルの鬼の発生となると、高度に政治的な判断が必要になるのだが。
「愛三が桃太郎だったら助力を求める気だったのよね」
「まぁ残念ながらと言いますか」
もしゃもしゃと唐揚げを食べつつ結論する愛三だった。
「ちなみに想定が二千年前の鬼だとして、愛三には勝てる?」
特に期待しての言葉ではなかった。素手でライオンを仕留めろと言われているようなものだ。愛三には出来るだろうが、比喩としては無力な人間を想定しているもので。
「場合による」
それが愛三の答えだった。限定条件下でなら不可能ではない。そう言っているように聞こえたし、実際にそういう意味で愛三は言っている。
あの伝説の鬼、温羅に対して勝ち目があると彼は言っているのだ。
「理由を聞いても?」
「ノーコメント」
秘密主義はお互い様らしい。
とはいえ現状では不可能とも言っているのだ。いくら何でも二千年前の伝説の鬼相手に生まれて十五年の愛三が正面切って勝つのは無謀も極まれり。呪いは時間を経るごとに強大になっていく。二千年前の鬼ともなれば伝説に聞く超抜能力に加算で時間の重みが加わる。普通であれば日本の世が終わっていても何も不思議はなかった。
「術式とか聞いてもいい感じよね?」
「そっちは秘密にする意義もないが」
大体悟られている認識は彼にもあって。




