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01:忌み子がシャナに拾われる


 名刀、薄緑。


 かつて源義経が振るったとされる刀の銘である。キラリ鮮やかに月光を反射するその名刀は、夜の闇の中にあってなお華麗で静謐。


 月の明るい夜だった。


 星が光り、月が冴える夜。そんな静寂が似合いそうな夜に、一匹の鬼が咆哮を上げる。既にシャナが捉えた鬼は、その最後のあがきにシャナを殺そうとした。


 鬼。


 人が呪いで変質した存在を呪術界隈ではそう呼ぶ。角が生えて筋骨隆々のマッチョな怪物をイメージする日本国民は多いし、今シャナが目にしているのも、そのベッタベタな鬼だ。しかし人が呪いで変質したものを鬼と定義しているので、例えば死者が幽霊になっても、それは根本的に鬼と呼ばれる。元々鬼とは『キ』と呼んで隣国では死者を意味する言葉なのだ。


「だから成敗しないってのも違うのじゃが」


 今回の鬼は生きている人間が変質したものだろうとシャナは思っていた。


 赤い髪をポニーテールにして、狩衣を着ている無頼者。手に握った名刀薄緑が月光を反射して冴えわたる。ヒュン、と空気の切り裂かれる音がする。それで決着だった。夜の京都。その一般住宅街で起こった鬼とシャナの交錯。沈黙がおり。何が起きたのかも片方には分からず。


「斬り捨て御免」


 一切鬼の血が付着していない綺麗な薄緑を納刀すると、ズルリ、と何かがズレる音がした。その音の意味を鬼は理解していなかっただろう。切られた鬼の首が、首提灯のように一歩遅れて傾いで落ちる。ズシャッと鬼の首が落ちて、そこからさらに遅れて鬼の胴体が倒れ伏す。此度の鬼が何を思って暴れたのかはシャナにはどうでもいい事だ。成敗されるが定めなれば、そこに同情は差し挟まない。


「で、ここが鬼の……」


 どこにでもある一軒家。ローンを組んで買ったのだろう。時代に即した家の様式に、シャナはちょっとだけ嫉妬する。彼の住む家はとても歴史的に古く、電気もガスも通ってはいない。呪術によって賄っている部分はあるが、どう考えても大時代的と言わざるを得なかった。そのシャナは、鬼を殺したその足で一軒家に入り、血臭のする屋内で鼻を抑えた。血の匂いは慣れたものだが、それが悪寒に繋がらないわけではないのだ。


 死体は二つ。


 おそらく夫婦のものだろう。結婚して家を買った夫婦が鬼に殺されて終わるというのも救い難いのだが、生憎とこの程度の不幸は日本帝国ではありふれている。シャナは公認呪術師でこそないが、こういう案件があるとどうしても介入してしまう。今回は救えなかった夫婦に黙礼だけで謝罪し、その遺体を呪術で燃やす。


「急急如律令。灰屋ファイヤ


 葬式をしてもいいのだが、呪詛が残っても面白くない。であればここで焼いてしまった方が後腐れはなかった。そうして夫婦の遺体を焼き払って、残った骨をどうするか悩む。順当に行けば庭にでも埋めるのがいいのだろうが。そう思っていると、赤子の鳴き声が聞こえてくる。


 まさか、とシャナは思う。聞こえる赤子の鳴き声に、どうしても違和感。というのもシャナが介入した時にはすでに鬼は家を蹂躙していた。生きているはずがないのだ。あの鬼の脅威から。何もできない赤子が。


 リビングから繋がる私室に赴くと、ベビーベッドが置いてあり、そこには一人の赤ん坊が。白い髪の男児は産まれたばかりなのだろう。言葉を理解していないどころか、そもそも歩くことさえできはしない。本当に生まれたての乳児だ。


「…………」


 どうしたものか、とシャナは悩む。対処そのものは簡単だ。生きていた赤子を孤児院にでも預ければいい。そうすれば鬼に襲われて家庭崩壊した赤子の行く末としては妥当であるし最も合理的。ただ、鬼に襲われて尚生きているという事実がシャナを悩ませていた。実際に殺されたのだろう。ベビーベッドには染みがある。夫婦はリビングで殺されていたので、彼らの血ではない。とすれば結論は一つ。此処で殺されたのだ。赤子が。そして生き返った。全くないわけではない。呪術には不死を約束する類のものもあるし、それを赤子が自動的に使える可能性もある。ただそうすると話が変わってくる。


「永久呪詛持ちか」


 永久呪詛。


 術者を不死にする呪いを、界隈でそう呼ぶ。一般的に不老不死と呼ばれる奇跡の根幹なのだが、当事者にとっては幸運と呼べるものではない。死にたくても死ねないというのは時に絶望に繋がるのだ。


「とはいえだ」


 その永久呪詛を持つ赤子を、シャナがどうしようというのか。彼は知っている。生前の自分が何をしたのかを。妻を切って、娘を切った。自らの罪業に、そうやって愛すべき者を巻き込んだ。吐き気を催すその在り方に、歯を噛みしめたことは幾度と知れない。そんな自分が赤子を保護していいものか。理性は言っている。孤児院に預けろと。そうするのが最も理に適っている。だが永久呪詛を持つこの赤子が、自分を否定しないで、幸せに孤児院で暮らす様を、どうしてもシャナが想像できない。


 で、あればどうする。と悩んで、彼は赤子を抱き寄せた。泣いていた赤子は、そこで彼の慈愛を受け止めてキャッキャと笑いだす。可愛い……と、素直にそう思えた。幼子をあやして、その笑顔を見る。そういえばそんなことも久しいような。


「鞍馬山に連れて行って……その後どうする?」


 悩ましいのは事実だ。この赤子の呪術ポテンシャルは計り知れない。放っておいたら、あるいは呪詛災害になり得る。鞍馬山で生活をさせれば呪術を扱う上で最も理想的な指導ができるだろう。だがそれは同時にこの赤子の呪術界への参入を意味する。まだ可能性ばかりの赤子を、呪術の世界に引き込むことをシャナは恐れていた。


「…………」


 しばし思案して、


「仕方ない。恨まれた時は、その時に謝罪しよう」


 そんなわけで、シャナは鞍馬山に赤子を連れていくことにした。何にでもなれる赤子の未来を狭めるのは罪悪感を伴うが、どちらにせよ永久呪詛の持ち主である赤子にはこの道が最も適切だという判断も自然で。


「名前は……」


 この家の苗字は百八ももやと言った。役所に行けば、赤子の名前も分かるだろうが、そうするとまた問題が頻出する。


「じゃあ愛三あいぞうだ。お前の名前は百八愛三ももや・あいぞう


 そうしてシャナは赤子を鞍馬山へと連れて帰る。


「お、シャナのお帰りだぜ」


「ケラケラケラ! 何か持って帰ってきたぞ」


「赤子じゃねーか。美味そうだな」


 黒い肌に黒い羽根。山伏の格好をした存在が、シャナの連れ帰った赤子を興味深く見つめる。カラス天狗。鞍馬山でカラスが変質した低級の天狗を、そう呼ぶ。鞍馬山では普通に見る存在だが一般的にはあまり見ない。霊山にだけ存在するカラスの変異種で、およそ山主の呪いによって使い魔として操られる存在だ。


 この鞍馬山では鬼一法眼と呼ばれる呪術師が全ての決定権を持っており、それに逆らうことはできない。だがシャナが連れてきた赤子を鬼一法眼に見せる必要はないだろうとシャナは思っていた。元々鬼一法眼は俗世に興味が無く、シャナが何をしようと素知らぬ顔だ。


「なわけで自分が育てるのじゃ」


「まぁいいけどよ」


「あのシャナがね」


「そもそも赤ちゃんって何を食うんだ?」


 たしかに。そもそもシャナは母親ではないのだから、授乳はできない。


「ミルク……か?」


 母乳であれば母親だろうと牛だろうとあまり違いは無いだろう。まだ歯も生えていない愛三に飯を食えというのも酷な話ではある。


「前途多難じゃな」


 シャナが赤子を扱うのは、約千年ぶりなれば。


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