悪女とセドリック ーアベルー
結婚してしばらくたった4月、王宮で私は働き始めていた。
そしてようやく落ち着き始めたと言う頃だった。
職場に私を訪ねてきている人がいる、と言われて応接室に行くとそこにいたのはセドリックだった。
「驚いたかい?」
言葉も出ない私にイタズラが成功した子供のようにセドリックは笑った。
セドリックにはサンスフォードに親戚がいる。
学園時代もそこから学園に通っていた。
今回は小公爵として訪ねてきたらしい。
「うん、やっぱりこの店の味は変わらず美味しいね。」
とセドリックは満足そうに料理をほおばっている。
ここは学園時代よくきた料理屋だ。
来客が来てるならと早めの昼休みが貰えた。
どうせなら懐かしいところに行こうとここに来たのだ。
「ビジイ…いや。ブリジット夫人だね。彼女は元気かい?」
いきなりブリジットの話題を出されて面食らう。
「ああ、元気だよ。」
「そうか。」
ブリジットに会いに来たのだろうか?
正直セドリックとブリジットの話をするのは気まずい。
2年の契約婚だと知れば何というだろうか。
「ブリジットに会いに来たのか?」
単刀直入に聞いてみた。
なぜか自分でも驚くほど低い声が出た。
「いいや?」
拍子抜けするほどあっさり否定された。
「さすがに僕が会いに行くのは醜聞になりかねない。家族にも止められているしね。でも元気でやっているか気になるじゃないか。」
気になる?
まだブリジットに未練があるということなんだろうか?
しかしそんな風には見えないあっさりさがある。
考えているとセドリックが手を打った。
「それはそうと!」
にっこりと笑ってセドリックが言う。
「君に会いに来た理由は他にもあるんだ。僕はもちろん、アリスもぜひ行きたいと言っているお店があってね。どこにあるか教えてくれないか?あと、二、三知りたい場所があるんだ。」
「アリス?」
いきなり出てきた名前に思わず聞き返す。
眉を顰めた私の顔をセドリックは違うように受け取ったらしい。
「ああ、手紙に名前を書かなかったかな。件の男爵令嬢のアリスだよ。ようやく両親にも紹介できてね。婚約者になったんだ。だから今回の訪問も親戚に顔を見せるために連れてきているんだ。」
手紙?
件の?
婚約者だって?
そういえばと思う。
そもそもブリジットとはどうして離婚したんだ。
結婚が決まれば離婚理由も話すと言われていたが聞いていない。
まあこちらも契約婚となってしまい、あまり気にはしなかったんだが。
こちらが思考を巡らしている事には気にせぬ様子でセドリックはマイペースに話し続ける。
「王都にパイの美味しい店があるんだろう?クラシックな煉瓦造りの店構えの。中はアンティークの家具で揃えてあるらしいじゃないか。」
いや、知らない。
そもそも私に美味しいお店など聞くことが間違っている。
しかしそんな私をみてセドリックは楽しそうだ。
「まだ行きたいところはあるんだ。君の領地に王都が見える小高い丘があるんだって?夕暮れ時に行けばなかなかロマンチックだそうじゃないか。ぜひ僕たちも行ってみたいんだ。」
一体何の話を……
ポカンとする私をみてセドリックは弾けたように笑い出した。
「なんで僕が知ってるんだって顔だね!楽しかったが話が進まないから種明かしをしようか!」
そういうと懐から紙の束を出し机に置いた。
どうやら手紙のようだ。
「この字を見たら誰からの手紙かわかるだろう?逐一報告は受けているよ。最初は随分驚いたもんだよ。あの研究にしか興味のない君がねえって。」
字を見ても誰の手紙かなんて全くわからない。
さっきからずっと話が全くわからないのに、セドリックは当然通じていると信じて疑わず話をどんどん進めてゆく。
そしてセドリックは完全に混乱している私をみてサプライズ大成功と思っているようだった。
「それから……」
「待て!待ってくれ!!」
ようやく絞り出すように声が出た。
「本当に……待ってくれ、君は一体何の話をしているんだ。」
混乱を抑えるように片手で自分の目を覆った。
セドリックが何か言おうとする雰囲気を察する。
がそれより先に私が口を開く。
「うちの領地にそんな場所はない。」
「何を……」
「パイの店も知らない。本当に。」
ここまで言うとセドリックの雰囲気が変わった。
「その手紙も誰の手紙かわからない。」
一通り話すと私もようやく落ち着いてくる。
静かに目から手を外しながら言った。
セドリックはひどく驚いた顔をしていた。
「わからないって、これはブリジット夫人からの手紙じゃないか。」
‥‥‥わかる訳ないじゃないか。
不満げな私をみてなおも言葉を重ねる。
「本当にわからないのか?自分の妻の字が?婚約前も手紙のやり取りはあっただろう?」
責めるような口調に不愉快な気持ちになる。
しかしセドリックの方も、どうしてわかってくれないんだとばかりに続けた。
「王都のパイが美味しい店をビジイが噂で聞いて、そうしたら次の日にはお前が連れて行ってやったんじゃなかったのか?誕生日にいきなり遠乗りをしようとお前が提案してサプライズで夕暮れの王都を見せて誕生日のプレゼントを渡したんじゃないのか?」
誰の話だとしか言いようがない。
私の沈黙を否定と受け取ったようだ。
セドリックは、はあーーっと長いため息をつくと背もたれに体を預ける。
今度はセドリックが片手で目を押さえた。
「領地に大きな湖は?庭に薔薇の迷路は?」
「うちの領地は川しかない。迷路を作るほどの大きい庭もない。その一連の話は他の人だ。」
自分で言った言葉に自分で納得する。
他の人との話を私と勘違いしてるとしか思えない。
ようやく合点がいった。
合点がいくと無性に腹が立ってきた。
コケにされた気分とはこういう事か。
「断じてその男は私ではない。そもそもブリジットが君とそんなに親しく文通してるなど知らなかったし、まさか私の知らぬ間に貴族の男をたらし込んでいるとも思わなかったよ。」
皮肉を言うとセドリックはギョッとした顔でこちらをみる。
「君が紹介してくれた素晴らしい悪女は毎月毎月予算をギリギリまでドレスや宝飾品や高級食材に使っているよ。部屋の模様替えも毎月のようにしているようだが、ちゃーんと予算内に収めてくれているんだ。素晴らしいだろう?毎日何をしてるか知らなかったが、そうかそうか。どこぞの貴族の男と遊んでいたか!」
ガタン!
弾けるようにセドリックが立ち上がる。
射る様な目つきで睨まれるが、私だって腹が立っているんだ。
負けないくらいの顔で睨みつけた。
「お客様、困りますよ!」
店員の声がするとふっと空気が軽くなる。
「出よう。」
セドリックが短く言った。