お別れ ーブリジットー
アリスにブリジットが刺されて2日が経った。
出血の割に傷が浅かったと言われたが、その通りで今は縫ったところが引き攣るのが気になるだけなまでになっていた。
気にならないと言えば嘘になるが、ベッドに寝続けなければならない程でもない。
ガネット夫人は何かにつけブリジットを気遣ってくれた。
セドリックとアリスの事を気にかけている事を察してか、教えてくれた。
2人の事はドリンコート侯爵に引き渡して、すべて任せることにしたそうだ。
ゴスルジカ公爵家からの迎えが来るまでドリンコート侯爵家で預かり、その後の処遇はゴスルジカ公爵家に委ねられる。
ガネット夫人はすべて知っていると言ったが、本当にすべて知っていた。
ブリジットが知らない事まで。
セドリックとの離婚時、思っていたよりあっさり話が進んだ事にブリジットは少なからず不思議に思っていた。
何ということもない。
最初から唐突な結婚話に公爵夫妻は違和感を感じていたのだ。
悪女の噂の出所もきっちり抑えていた。
(まさか婚約出来ていなかったなんて……)
セドリックからの手紙にはようやくアリスを婚約者にできたと書いてあった。
しかしすべて思い込みだったとは。
しかしアリスは気付いたのだろう。
婚約は認められていないと。
あの燃えるような瞳を思い出す。
ブリジットは責める気にはなれなかった。
悪女はブリジットが言い出した事だし、今回の事も腕の傷で済んだのだ。
彼女は彼女で苦しかったのだろうと想像した。
大体自分のような嘘つきにはいつか罰が下ると常々思っていた。
それが今なのだとあの時ブリジットは確かに覚悟を決めたのだ。
あの時アベルに呼ばれ、ブリジットが振り返ったことで狙いが外れて腕を切りつけた。
思い出したように腕の傷をなでると、アベルもお人好しだなとブリジットは思う。
悪女と知っていても放っておけなかったのだろう。
気を失ったブリジットを屋敷まで運び医者も呼んでくれた。
お礼を言いたい気持ちはあったが、自分から訪ねる勇気もなかった。
もちろん向こうから訪ねてくれる事もない。
ブリジットは当然だと思っていた。
一歩間違えればとんでもない醜聞が王都中に広がっていただろう。
ただでさえ自分は疎んじられているのに、お見舞いなどあるはずがないのだ。
(子爵家のタウンハウスに移るのはアベル様の意向もあるんだろうな。)
ガネット夫人は療養のためと言ったが、元気になったらあなたの好きにしていいと言われた。
ガネット夫人はアベルとの契約婚の事も知っている。
そしてもうアベルは王宮で働いている。
今離婚しても何の問題もないのだ。
明日の朝イチ王都の子爵邸へ出発することになっていた。
ブリジットの荷物は離れにあるので、適当に服を何着か荷造りしてもらった。
青いリボンの事は言わなかった。
もう離れの引き出しにしまったまま置いていこうと思った。
そのうち誰かが処分するだろう。
(物理的に距離が置けるのは良い事かもしれないわ。)
何度押し込めても、あんなにはっきり拒絶されても、たまに顔を覗かせていた自分の気持ちをとうとう捨てることができると思った。
ここにいれば嫌でもアベルの姿を目にしてしまう。
しかしもうそれも終わり。
お礼も謝罪も出来ぬまま、もうお別れだ。
そう思っていたブリジットだったが、次の日見送りにアベルは現れたのだ。
アベルの姿を見てブリジットは驚いた。
しかしブリジットと目が合った途端アベルは伏せるように目を逸らした。
お礼を言わなければ、そう思った心は視線を逸らされたことで折れてしまった。
「言いたい事があるなら言っても良いのよ、ビジイ。」
促す様にガネット夫人が言う。
その言葉に導かれるようにアベルの視線が戻ってきた。
こんなふうに、お互いの瞳に姿を映し合って話せるのはもう最後だろう。
そう思った途端ブリジットは走り出していた。
喉が詰まったように息がしづらい。
それでもしっかり聞いてもらえるように。
ブリジットは飛びつく様にアベルの首に手を回すと唇を耳元に寄せた。
「ごめんなさい。」
言うだけ言うと走って逃げた。
アベルの反応を見るのが怖かった。
なんてみっともなく、情けない最後だろう。
でもいいわ。
(死に損ないの悪女なんてみっともなくて当然よね。)
飛び込むように馬車に乗り込むと、馬鹿な自分を嘲笑った。