契約と契約後 ーブリジットー
今日もブリジットは自分を完璧に磨き上げる。
身だしなみを整えると厨房に朝ごはんを食べに行く。
厨房のシェフのダンはブリジットとカトリとマリーで親子だと、そして何らかの理由でブリジットだけ冷遇されている。
そう思っているらしかった。
「たくさんお食べ。」
そう言っていつも食事を出してくれた。
ブリジットが街に出なくなった頃、図書室の目立たぬところにアベルの学園の教科書がまとめて置いてあるのを見つけた。
朝食の後は教科書を見ながら勉強をする。
どんなに眠くても同じ時間に起き、このルーティンをこなしていく。
それが自分を守る事だと信じていた。
寝室には机はない。
ドレッサーを机にしたり、ベッドサイドチェストを机にしたりしていた。
しかしその夜はベッドに寝転び、テキストやノートを広げていた。
正直わからなすぎてだらけていた。
テキストを手に入れたからと言ってわからないものはわからないのだ。
そして教えてくれる人などいない。
「離婚したら慰謝料は学園の授業料に使おうかしら。」
確か寮もあったはずだ。
いやそんなにはもらえないかな。
1人であれやこれや考えていると、珍しくドアがノックされる。
アベルだった。
ブリジットは身体がこわばった。
夜に夫が来訪するという事はそういう事だ。
「月のものが始まったと申し上げたと思いましたが。」
考える前に口が動いていた。
あんなのはもう二度としたくなかった。
しかしアベルはそんな事言われるとは思いもしなかった、という顔をした。
(何か急な用事があるのだろうか。)
ブリジットはいぶかしんだが、アベルを中にいれた。
外にずっと立たせているわけにはいかない。
中に招き入れてから座る椅子が無いことに気がつく。
ベッドくらいしかない。
そしてそのベッドには図書室から勝手に持ってきたアベルの教科書。
しまった、と慌ててベッドに行き片付ける。
「私の学園の教科書じゃないか。」
そういうとヒョイとアベルに取り上げられた。
さっと血の気が引いた。
「申し訳ありません。図書室で見つけて勝手に」
慌てて謝罪をする。
「ああ、文法がわからなかったのか。」
えっと驚いてアベルを見る。
「貸してごらん。」
そういってアベルはノートとペンを受け取ると教科書と一緒にベッドに広げた。
ブリジットが赤を入れたところを的確に説明してくれる。
いつのまにやら始まった講義にブリジットは隣に座った。
質問をすればアベルはわかりやすく教えてくれた。
(手紙の時みたい。)
ふとブリジットはそう思うと、そっとアベルの方を見た。
アベルに会う前は、会ったらこんな風に話してみたいと思っていた。
自分の知らない話をたくさん聞きたい。
そう思っていた。
ブリジットは落ち着かなくなって服をつまむと擦り合わせた。
「セドリックと同じところでつまずいてる。」
アベルはそういうと愉快そうに破顔した。
ブリジットは息を呑んだ。
サッと顔を背ける。
じわじわと顔が熱くなるのがわかる。
まさかブリジットに笑顔を見せると思わなかった。
不意をつかれた。
ブリジットはぎゅっと服を握りしめるとノートに集中した。
教えてもらった事を無心に書き留める。
と、自分の唇に何かが触れてる。
「え」
触れているのはアベルの指だった。
瞠目してアベルをみると、蕩ける様な目でブリジットを見ていた。
訳がわからずうろたえると、あっという間もなく唇を奪われた。
ちゅ、という音がやけに大きく聞こえた。
優しく髪を撫でられる。
真っ白だった頭がようやく回り出した頃、ブリジットはアベルの胸を押した。
びくともしない。
もっと強く押そうとした時だった。
バッと体が離される。
目の前のアベルは顔を背けていた。
「すまない。」
一言だけ言うと逃げるように出ていった。
残されたブリジットはしばらく茫然としていたが、おもむろに立ち上がるとキュッと口を引き結ぶ。
(誰かと間違えたんだわ。)
でなければあんな蕩ける様な目を自分に向ける訳がない。
事実アベルは謝っていたじゃないか。
また気が緩んでいた。
愛する気はないと言われたばかりではないか。
こんな事じゃダメだ。
ブリジットは気合いを入れ直した。