伯爵令嬢物語 ーブリジットー
ブリジットのいつも通りの日常がガラリと変わったのは12歳になったばかりの時だ。
身なりのいい歳の頃なら60歳くらいの紳士がヒステマラ領に現れ、
領主であるブリジットの家を訪ねてきた。
彼はゴスルジカ公爵家の紋の入った封蝋の手紙を持っていた。
ゴスルジカ公爵家嫡男セドリック様の名代だと言った。
両親は客間に彼を通した。
ブリジットは都会の垢抜けた紳士に釘付けになっていた。
ヒステマラ領は王都から早馬で駆けても一ヶ月はかかろう田舎である。
こんなところに王都からのお客などこない。
地方の貧乏貴族が王都に行くこともない。
いきなり訪れた非日常にワクワクした気分を隠しきれなかった。
だからだろうか。いつもならやらない事をした。
ブリジットは扉にピッタリと耳をつけてはしたなくも盗み聞きをしていた。
扉越しに遠く聞こえる声はブリジットには少し難しい話をしていた。
借金は全て返しましょう。
領地の立て直しの援助もする。
しかし両親はすぐさま断っていた。
四大公爵家にこんな田舎貴族の私たちができることなどない。
娘を犠牲にする気はない。ときっぱり言い放っていた。
娘を犠牲に?
私?
しかし紳士も食い下がる。
ブリジット嬢にとっても悪い話ではない、と。
公爵家に住み、ふさわしい装いをし、上位貴族のマナーと教養を身につける。
これは必ずブリジット嬢の大きな力になる。
もちろん契約終了後は責任を持ってブリジット嬢に良縁を結ぶことも約束する。
だから三年ブリジット嬢を公爵家に預けてくれないか。
そんな話が途切れ途切れ聞こえてくる。
ブリジットは舞い上がった。
まるで夢のような、物語の始まりのような、素敵な話に思えた。
(王都に行けるの?公爵様の家に住むの?私が?)
だが両親の姿勢が変わることはなかった。
(どうして?ずっと王都にいるわけじゃない。三年って言ったわ。私行きたい!)
田舎の若者にとって王都はキラキラ眩しい憧れの地だ。
「また明日参ります。一度ブリジット嬢とも話してみてください。」
そういうと帰る雰囲気が漂う。
ブリジットはハッとして慌てて扉から逃げ去った。
その後は夢心地で両親から話があると言われるのを今か今かと待っていた。
「公爵家相応しい装いってどんなのかしら!」などと独り言を言いながら想像でドレスを紙に描いたりした。
が、待てども待てどもお呼びなどかからない。
(夜ご飯の時に話をされるのかしら)
しかし夜の食事はあっけなく終わった。
とうとうブリジットは痺れを切らせた。
このままではブリジットに話されることはないまま、明日あの紳士が来てしまう。
「ねえ!!私王都に行く話はいつしてくれるの!」
晩餐が終わり退室しようとした両親にたまらず声をかけると、2人は酷く驚いた顔でブリジットを見た。
いつも優しい2人の顔は険しい。
ブリジットは思わず身じろいた。
「盗み聞きしていたのか。」
「ごめんなさい!」
反射的に首を縮めてブリジットが謝ると、呆れたように父親はため息をついた。
しばし黙り込んだ父をブリジットは俯きながらもチラチラと様子を伺う。
そんなブリジットに父は目をやるともう一度ため息をついた。
「そうだな。これも勉強だ。ビジイ、お前にも話をしておこう。」
諦めたようにそう言った。