空野さんの日常 その4
「御年78歳、同じフリーターの母と、実家で同居する55歳の独身男が。夜勤割増し1250円の時給で、非正規のバイトとして働く」
空野さんは発言内容的に、淡々と言った。
「この、コネか枕抜擢の、下手な俳優みたいな棒読み。上男叔父さん、あたしとシフトに入っていても、ずっとこうなんですけど。ひょっとしてお金に困って応募した闇バイトの治験で、秘密組織にAI魔改造でもされたんですかね?」
自分のような高齢独身男にとって、外見や素性はともかく。
十代の女性に、耳元小声で、親し気に、しかも無料で囁かれると。先のない日常が悲惨なだけに、無駄にテンションがあがるものだが、勘違いをしてはいけない。
私(大倉)には、ほんのリトルあっても、十代のこの子には、金のないオヤジへの気持ちなどないのだ。
私は名乗るのは自由。ワイドショー文化人枠の、厚顔自称学者同様、国内底辺「学者」を、同じく「自称」しているので。
君に度を越えた好意を押し付ける気はない、コンビニにだって「学者枠」があっていいはずだ。
夢★職でも、大人としての礼儀をわきまえ。
「うん、空飛ぶ円盤にさらわれて、空野氏の中の人は、実は宇宙人って可能性もあるね」
ほがらかに話を合わせた。
しかし、ヤングギャルは遠くを見て、私(大倉)への返事はないのであった。
「あんた、時給1250円も取って、それであんな昆布対応なのか?」
喫煙爺も好かれたいのか。客とレジだけの関係のベニーちゃんを、この子は自分に好意を持っている。昭和オヤジ勘違いをした顔で、ちらりとベニーちゃんを見ていった。
「こんな、二次元オタにネットで血祭りにあげられそうな。YouTubeのアウトロー系チャンネルで、恋人ではない、あたしはマネージャーだと自称し、嬉々としてチンピラの犯罪自慢動画の司会してるような。敵対するB仲間にケツかかれたヤンキーに、Aルファードでさらわれるような」
「叔父さん! そんなマイ実ばなしより、一刻も早くレジに駆け寄って、売り上げから五万抜いてあたしに渡して! そのためのコネ同僚、叔父さんでしょ?」
ベニーちゃんは、自分の用を思い出したのか、切羽詰まった声で叫んだが。
「この索漠とした埼玉砂漠で、ただ一人のオンナだというだけで。コンビニの姫というだけで。下心丸出しの不似合いな若者言葉使いですか。男って悲しい生き物ですよね?」
空野さんはベニーちゃんには目もくれず、元のAI仕様声で喫煙爺にいった。
「うんうん。こんなとこで隙あらば若い子とタダで話そうとせず。きっちり大金払うんだから、情報商材の社長とか二世政治家とか、メジャーリーグ級の馬..まあ猿成金氏や、金もうけに必死のユーチューバーさんたち同様。パパ活オヤジっていつもニコニコ現金払いで、日本経済を回していてエラいですよね! だからさあ、あたしのシンパパ、早く五万円貸して!」
ベニーちゃんも喫煙爺には辟易してたのか、聞こえよがしにいった。
空野さんは、あきれたように首を振っていった。
「でもそれ「昆布」ではなく、「塩」対応の間違いですから。まさかのウケ狙い、話のタネの作りの、じじいギャグですか?」
そっちかよ!
ベニーちゃんは歯ぎしりした。
「そんなことより、いつまで続くんだよ? たかが煙草ひと箱の、この茶番劇は。団地のラジオ体操に間に合わねえだろ!」
喫煙爺が、まだ目上だから俺の勝ち、勘違いした顔でいった。
空野さんの、コンビニを教会に見立てた、「世間一般の常識」の奴隷撲滅伝道。
だが、この自業自得を引き寄せた、喫煙爺の除霊、奴隷解放からの、芸術家魔改造計画は、まったくの徒労のようだった。
すると、
「その意見に激しく同意!!」
いつもの相手とは勝手が違うのか。全く口をはさめず、ただ困惑していた警官たち。その中の私服刑事が、たまりかねたように叫んだ、
「いや、僕は茶番だなんて思いませんよ」
私服刑事さんは、気遣うというより、怯えたような顔で、空野さんを見ていった。
「いやあ教養ある方の、コンビニ店員とは思えぬガチ理論。うちのちびが大好きな、小中学生向け論破ユーチューバーの、適当理論より実に聞きごたえがあったなあ。ですが、あなた方の年齢ではなく。夜が更けるというか、もう白みかけて、そろそろ朝じゃないですか。最近、我々がこうして血しぶきが飛び交う現場で、この国の治安維持のために時を忘れ。命を懸けて奮闘しているのにですよ。署に戻ると、なぜかタイムカードが定時に押されている、我々の生活の根幹をおびやかす、とんでもない怪奇現象が頻発してましてね。だもんで、勉強バカのキャリア新署長が、無駄に早出してくる前に、お開きにしませんか?」
「ちょ、待てよ! 私は防犯カメラ映像を元に、職員室に押しかけ。遠足の写真を並べさせてだ。S年法無敵を気取る万引き小僧どもを割り出し、きっちり未来のフリーター引きこもりに追い込む男だよ。なら、さっさとこの迷惑老害を強盗致傷で逮捕し、警察で監禁して」
「オーナー、留置、留置。警察は監禁などしません」
「とにかくそんなに急ぐのならよ、今すぐこのじじいをサツに連行してさ。日本警察伝統の方法で、無理にでも自白を引き出し、送検したらいいじゃないか。それで解散、一件落着だろ?]
「また無実の人間を免罪に追い込む気か? 公権力が無法を働くなら、俺の生活費の世話をしてくれた、左翼系政治団体が黙っていないぞ!」
「おまわりさんさあ、いつ死ぬかもしれない人たちより。将来の高齢日本を支えるあたしを優先して、今すぐシンパパから五万円押収してよ!」
「ならさ、その五万で、俺があんたらの残業代を肩代わりするよ。それならお互いウィンウィンだろ? なあに、領収書切れなんて野暮はいわねえよ。親にだってぶたれたことないのに、煙草ひと箱で客面しやがって。何があんたのためを思った愛の鞭だ、感謝しろだ? おまわりさん、この老害をサツの密室でつるし上げてくれたら、俺は民事でこいつの着ぐるみ全部剥いでさ。五万なんて安いもんだ。損して得取れ、儲かった。それが商いの基本だ! 呵々大笑してやるよ」
「パパ、いちいち突っ込まないけど、それは押収じゃなくて、買収という立派な犯罪だよ? こんなことがあろうと、スマホで録音しといてよかった。通報されたくなかったら、今すぐ五万出して! ほら、共犯者のおまわりさんたちも、マッハで父を説得して! でないと月に代わって懲戒免職よ!」
コンビニが、どこもこんなに混沌としていることはないだろうが。
フィールドワークを気取った私も、さすがにこの膠着状態には困惑した。
なにか突破口はないものか。
皆が痛感したその時、
「なら僕に任せてください。僕がこの場を納め、きれいさっぱり終わらせましょう」
腕組みし、思索にふけっていた空野さんが、顔を上げて毅然といった。
知人のコネは相手が倒れるまで使い倒せ。
親のスネは骨になるまでしゃぶり尽くせ。
賢者の叡智同様、人間の知恵も、使えば使うほど、その人の心が、人生が豊かになる。
我々には勝ち負けに縛られ、マウント取りの徒労に明け暮れるだけの、無意味な「美味しんぼ根性」も。
ただ自分の生き方を窮屈にし、日々、怒りに囚われて、頭皮が剥き出しになり、コメント依存症のヤホーターになるだけの、「世間一般の常識」も。
全く必要ないのだ。
警官たちは、この際、方法は問わないから、一秒でも早くこの場を立ち去りたい。藁にもすがるような顔で空野さんを見た。
空野さんは何か特別な秘策があるのか、フッと笑うと、いつものAI仕様声でいった。
「最後に僕が一曲歌って踊ります。それで〆ましょう」
(続く)
構成 文責 大倉さとし
国内底辺学者
国内底辺研究所 所長 主席研究員