空野さんの日常 その3
昼間の活況が噓のように、普段は寝静まったような深夜のコンビニが、お祭りのような活気を呈していた。
「パパ!」
カウンター内ではなく、レジ前にうずくまり、商品の氷を額にあてた、山田の名札をつけた中年男に、ベニーちゃんは悲鳴をあげると。
「五万円貸して! 今すぐ!」
娘という特権的立場を利用し、若い肢体をくねらせ、甘言を用いている時間はない。タクシーのメーターが、容赦なく上がるから。
ベニーちゃんが女子らしい割り切りで、声を大にしてパパ兼オーナーにお願いをすると。
「邦子、なんだその恰好は? おじいちゃん世代なら」
「おいお前、不愛想接客中は名無し制服に、ジミーなすっぴんですましやがって。普段は商売〇みたいな恰好してんのか! やっぱオンナは魔物だな!」
偏屈を絵に描いたような小柄な爺さんが、制服警官に囲まれながら、ベニーちゃんに杖を突きつけ、昭和ワードを怒鳴った。
「パパも娘にエラそうなことを言えた義理ではないけどな、この惨状スルーでいきなり金貸せだ? まあ、それはいつものことだからともかく。本来ならパパではなく、ここは邦子のシフトだろ? オーナーの娘が率先してバイトをバックレてどうすんだ! ほかの若いバイトに示しがつかんだろうが!」
「なあ、俺はもう帰っていいのか?」
喫煙爺は、自分の立場が理解できないらしく、あくびしながらいった。
「いいわけないでしょ? 被害者次第だけどね、最悪、強盗致傷で逮捕送検もあり得るんですから」
中年太りの制服警官が、喫煙爺にもう戻せない現実を告げた。
「はあ? 客に対する態度がなってないこいつに、大人として注意したらもめて、つい興奮して金を払うの忘れて店出て」
「追いかけてきたオーナーさんを杖で殴って通報された」
「金なら気づいた時点で払ってたよ。なのにこいつときたら、大学アメフト部直伝みたいな、明らかに俺を仕留める気満々の、殺人タックルかましやがって。だから俺も対抗して杖で、正当防衛だろ?」
喫煙爺が、一人だけ私服の、刑事風の男に抗議すると。
「あなたね、取ったのがタバコひと箱でも、被害者に暴力振るえば、法的には強盗致傷になるし、市民逮捕は合法なんです。オーナー、どうします? 我々も深夜に働いてるふりだけは、きっちり近隣住民に猛アピールしました。告訴されると、これから取り調べとか書類作成とか。ハハ、お互い手間じゃないですか。ねえ?」
刑事は事情を説明し、意味ありげな目をし、オーナーに穏便な解決を求めたが。
「おい邦子、ちょっと待てよ。仮にタクったとしてもだ。深夜割り増しを加算してもだ。K町からここまで、五万はしない、精々三万。そうだね? 経営者としてのお父さんの目に狂いはないぞ。シフトをバックレたあげく、どさくさに紛れて二万抜こうなんて、お父さんは許さないからな!」
「はいはい、糟糠の妻をポイ捨てして、金で若いアジア系女性をゲットした、敏腕コンビニ経営者はいうことが違いますわね。でもお生憎さま。今日はホームのK町ではなく。アウェーのS北沢ですから。ライブハウスのこじゃれたサブカル娘どもに、この勝負服に、これ見よがしのゲスパ貼って、きっちり彼女ヅラしてきましたから!」
「邦子、日本には敗戦から今日まで、「S年法」という、ガキの万引きを国や弁護士が推奨する、コンビニ経営者には大迷惑な法律がある。邦子もそうは見えないが、まだ17歳じゃないか。仮に踏み倒して逮捕されたって、そもそも高校に行ってないんだから、学校を退学になる心配もない。パパは今日、娘への教育の一環として★一徹になる。パパという獅子は、心を鬼にして、娘を千尋の谷に落とすぞ!」
「パパ? それ「ちひろ」じゃなくて、「せんじん」の間違いじゃないですか!」
「..せ、せんじんの谷にならぬ、警察の闇に落とす。刑事さん、ちょっと待ってください。今から30分以内なら、強盗致傷のほかに、無賃乗車現行犯逮捕も、セットでお届けします!」
皆、黙った。
空が、白みかけてきた。
「爺さん、「世間一般の常識」と踊っちまったな。あんたはどれだけ俺が手を差し伸べても、結局、芸術家にはなれなかったな」
空野さんが、一歩前に出ると、突然、この舞台の主役のように語りだした。
「じゃあなにか? コンビニでタバコ買うと、魔法使いの店員が、げ、芸術家とやらに、変身させてくれるのか? あんた見た目もきめーが、いってることも訳わかんねえんだけど!」
私(大倉)は、久々に我を忘れた、ガチのマジギレを、至近で見た。
だが喫煙爺は、どこか悲し気だった。
テレビゲームで、どうしてもクリアできない時。
進む道の正解さえわかればクリア出来るのに。
喫煙爺は、今の「ネット時代と違い、攻略本がなくて五里霧中、何度も同じミスをし、かっとしてコントローラーを投げつけ、テレビごと壊してしまった、昭和の子供のようだった。
「我々、日本人は「美味しんぼ根性」や「世間一般の常識」に取り憑かれて生き、己の潜在能力を発揮できずに、無駄に苦しい人生を送っている。今のあなたのようにね。それらを捨てて自由になれば、あんただって芸術家になれたのに」
「あいにく、俺はゲージュツなんてもんには、とんと縁がなくてね。絵も下手なら、歌も音痴だ」
「あんたのいうゲージュツは、歌や楽器の演奏がうまくて、美麗で細密な絵が描ける人間のことだろ? だかな、それは単なる技術であり美術であって、人生に無意味な勝ち負けをつける「美味しんぼ根性」や、自分で生き方を制限して苦しむ「世間一般の常識」の奴隷どもの勘違い、たわごとに過ぎない。真の芸術とは、それらを乗り越え打破した先にある、人間の自由な生き方をいうんだ!」
空野さんは、歌舞伎役者のように大見得を切った。
世が世ならば、場が場ならば。
大向こうから、千両役者の屋号を叫ぶ声が、鳴りやまなかっただろう。
「確かにいってることは立派っぽいけど、いってるのが55歳のこどおじのコンビニバイトじゃねえ」
だが、現実のこの国の「世間一般の声」は、空野さんには無理解で、冷たいのだった。
(続く)
構成 文責 大倉さとし
国内底辺学者
国内底辺研究所 所長 主席研究員