空野さんの日常
今日もNTTM記念館での、国内底辺研究所の仕事を終え、私(大倉)はふらりと自宅兼研究所を出た。
ちなみにNTTM記念館とはMKKK。
私たちでいう、無期限活動休止系男子。
アーティストかよw いや「ニィーティスト」だよ。
「世間一般の常識」的にいえば、ニート、ひきこもりの実像を、容赦なく暴き。
その一作のみで消えた、ニィーティス亭夢★職氏を偲んで。
両親亡きあと、私だけになった、子供部屋から、自分だけになった家を、ニーティス亭夢★職記念館と名付け。
いじめ自殺同様、決して終わることのない悲劇。
自分を底辺の負け組と一方的に決めつけ。
無知ゆえに絶望し、我を忘れてかっとして、「だいそれたこと」を実行し、凶悪犯罪者に堕ちた元底辺が。
本当は同じMKKKの、自称会社員たちの自虐ネタとして、掲示板、コメント欄を大いに賑わす事件、事案。
亡くなった命は、決して元には戻らないのに。
無知ゆえの恐怖に圧倒された、事後に大勢を占める、もっともらしい正義ぶった書き込み。
欧米では教会に通い、聖書の教えに則って生きる。
LGBTのカミングアウトも、聖書ではゲイやレズビアンは罪だとされているからこそで。
ただ聖書なき我が国にも、粗悪な代替え品、「世間一般の常識」という心の呪縛があり。
それは馬鹿げた「美味しんぼ根性」と双璧を成す、無意識の洗脳であり。
こうじゃなくちゃ、ダメ!
という呪縛に生涯取りつかれ、悩まされる「世間一般の常識」。
面白いのは、欧米のような、聖書の教えとは無縁の。一部のカルト宗教とは違う、王道の神や教会とは無縁の我々が。
鎖国時代の日本が、歌舞伎、かたや欧米はオペラ。
知らずにシンクロしていた歴史同様。
日本人は、不信心で教会とは無縁ながら。気がつくと聖書と同じ教え、「世間一般の常識」の基本定義。
定職について、家族を持ち、きちんと納税してこそ一人前。朝から酒飲んでる無職や、ニート、ひきこもりは人間失格。
「世間一般の常識」という狂信に、精神をがんじがらめにされ。
MKKKが、ヤホーターやGちゃん民に執拗に叩かれるのも。その人たちが「世間一般の常識」の奴隷状態にあり。
我々が自分を犠牲にしてこんなに苦労してるのに!
ある意味、「世間一般の常識」の犠牲者たちには。唾棄すべきニート、ひきこもりにしか見えない、教えに外れた生き方をせざるえない、我々、底辺の生き方を認めること。
それは自由に生きられない自分の人生、ただ我慢に我慢を重ねた、虚しい己の人生の苦しさを、根底から否定することになり。
自分が精神的に壊れるかもしれない恐怖を。なんかもう必死でしょう状態で、掲示板に、「世間一般の常識」に則った罵詈雑言を、我々、底辺に向け。匿名で書き込むことで、心のバランスを保っている。
という現状が、近ごろのネット社会のトレンドであることは、疑う余地のない事実であり。
それとは逆に、我々の活動を知らない底辺諸氏が。「世間一般の常識」に囚われ、自分を駄目な人間だと一方的に思い込み。
「世間一般の常識」に則って生きる成功者を、自ら殺戮破壊することで己を解放した。ように見える、無知な先駆者の後を継ぐしか、自分がこの負け組妄想の恐怖を克服する道はない。
要は「世間一般の常識」といった、あやふやな線引きを、我々が平等に捨てれば。
どれだけ絵に描いたような底辺でも。
猿成金や、持ち金自慢だけのバブル動画小僧同様。
我々、底辺にだって平等に命という、「世間一般の常識」のような幻覚と違った、この世で一つしかない、尊い価値のあるものを、平等に持っているのだから。
自らの命を誇り、他者の命も敬う。
全国民が「美味しんぼ根性」、「世間一般の常識」の無意味さを自覚すれば。
誰もが人生の見た目だけの勝ち組、成功者になれずとも。
「世間一般の常識」の呪いに踊らされ。目を覆うような、無意味な血しぶきの惨劇、その真の負の連鎖は未然に防げるのではないか?
これが「国内底辺研究所」の設立理念であり。
アンチキリストならぬ、反「世間一般の常識」者として、まったく恥じ入る気持ちなど毛頭なく。長い人生、そんな回り道もある。私(大倉)も、ここ数年の、ひどいアルコール依存症状態から立ち直り。
まずはこのブログから、底辺仲間が勘違いをして、無意味な殺りく行為に走らぬよう。
同じ底辺なら、きっとわかりあえる理念を共有したい。
今はネットを通じての字だけだけど、ゆくゆくはわかりやすい動画をもと考えている。
幸い身軽な夢★職で、家族は猫だけなので、時間ならある。
そんな思いを胸に、1日の底辺研究所生活を終えた私は、近所のコンビニへと自転車を走らせた。
深夜の青いコンビニ。
実はこのコンビニに来るのは、研究所から近い以外に、私のフィールドワークにうってつけの、同世代のソウルメイト的な店員氏がいるからだ。
むしろ、底辺フィールドワーカーとして、彼に会うのが楽しみだから。なのである。
空野上男さんは。殺巣クンのようなDNFネームではない本名。堂々と名札に、謎にフルネームで書いてある。
空野さんは、子供が入れない、黒い暖簾の向こうに、秘密の部屋がある「書店」で。二十一世紀初頭から、コロナ以前に、ネット配信に押されて、「書店」が閉店するまで。
二十年近くに渡り、週六夜勤を無欠勤で勤め上げ。750円スタートの時給も、閉店間際には920円までアップし。別途、バイトリーダー手当、月3000円も受け取っていたという、筋金入りの猛者だ。
書店閉鎖後は、当然のように自宅でのMKKK状態に入ったが。今は亡き空野父の末弟、このコンビニ経営者の叔父氏から。
「独身で実家暮らしなのはともかく。50過ぎの男が、78歳の母親の国民年金と、君のネット代を支払うためのパート収入に頼り切りで。いつまでも働かずに、朝から酒を飲み、1日中くらくらしているのは如何なものか?」
反「世間一般の常識」的、充実生活を満喫していた空野さんに。
多角化コンビニ経営で財をなし、豪邸を建て、子供は二人とも中学から私立。二人乗りスポーツカーを駆り、趣味は大勢いる勝ち組友達とのゴルフ。
「世間一般の常識」の権化。それが当たり前。勝ち組ガチ勢の叔父さんから叱咤され。
今はこうして叔父さん経営のコンビニで、週六夜勤をしている。
私(大倉)が空野さんを知ったのは。叔父さんの激怒にもあるが、共通した酒畜、飲酒極道時代の頃で。
私自身も年齢、今後。どう考えても詰んでいる。諸々嫌になり、誰もいない自分だけの家で、朝から酒を飲んでいた時。
ネットのまとめで、すごい酒畜がいる。
それがアダルト書店のバイトがない休日。
朝からひたすら酒を飲む、空野さんの動画配信サイト、「アルナカくらくら書店部」だった。
空野さんの配信を見ながら、私も朝から一緒に、いろんな意味でディープな痛飲をし。酔った勢いで、空野さんにDMしたところ。ラインならぬ、マイミク招待の返信があり。その後、空野さんが近所のコンビニに配属されるという、運命の僥倖もあり。
「お疲れさまです。明日は休みでしたよね? また寝ないで朝から配信するんですか」
「アルナカくらくら」時代は、《アルナカアンバサダー極長 デューク酒奴隷》。
勇ましいハンドルネームで、デビューしたての、娘のような年齢の新人女優さんを。アラフィフ昭和男代表として、酒を飲みながら、パッケージをなめながら、ねちねちとフェチ解説していたが。
「明日は祭日ですからね。子供たちが、朝早くから、僕を待っているんですよ、同接で10人くらい。だもんで、今、俺、やるっきゃない! 状態なんですよ」
最近では、《男酒家光宙乃助》。
後ろはふりがなも振れなければ、文責を持てない、レベチなハンドルネームで。びりびりキャラの黄色い衣装をかぶり。夜勤明けに、朝から酒を飲みながら、気絶するまでちびっ子向けのゲーム実況をすること。それが今の空野さんの、唯一の楽しみらしい。
「やっぱり趣味嗜好がないと、独身男老いやすく学成り難しですよ」
空野さんは、コンビニ離れしたリーズナブルな価格の、ワンツー、Sンガリアの缶チューハイ。ひどい依存症から抜け出したが、酒をやめたとはいってない私に。
いつもの350レモン缶をひょいと投げると。自分はドライの350缶を開け、喉を鳴らして一気に飲み干した。
コンビニ制服のまま、休憩中に飲酒。コンビニ裏は、客の目にはつかない私有地とはいえ。
「僕はね、俺は「世間一般の常識」の噛ませ犬じゃない。残りの人生とこの身を。底辺発の、「世間一般の常識」打破に捧げたいんですよ」
空野さんは、真っ暗な夜空を見上げ、ぽつりといった。
「コンビニってとこは、「世間一般の常識」の墓場なんですよ。「世間一般の常識」に毒されたゾンビたちが、わらわらと寄ってくる」
深夜2時の30分休憩。
コンビニ週6夜勤の空野さんは、大人DVDやゲームの実況ではいえない。自身の独自底辺哲学を語りだした。
「アメリカの地方都市を網羅するバイブルベルト。そのどこにでもある教会が、この国のコンビニで、牧師の代わりが僕のような店員。そしてコンビニ店内を支配するのが、聖書の教えならぬ「世間一般の常識」。僕にはそう思えてならないんです」
おいオッサン、なにいってんの? 頭沸いてんじゃねえの?!
空野説に対する、こんな直情的な感想こそ、私(大倉)が、国内底辺学者として考える、「世間一般の常識」の奴隷的発想であり。
そこを突き抜けた先に、底辺が命の尊さを学び、底辺でも挫けずに生きていける、鋼の哲学、精神があるはずだ。
「悪いやつは匂いでわかる、なんていいますよね? 「世間一般の常識」に囚われた奴隷もまた、匂いで分かるんですよ」
乾き切った顔。造花か、腹話術の人形のような、無表情ないつもの空野さんだった。
私もいつものように、無言でメモとペンを用意する。
「ヤニくさいんですよ。このコンビニに来る、「世間一般の常識」奴隷1号は。なおかつ欲しい煙草の番号を覚えていない」
全く抑揚のない、これもいつもの空野節だった。
今夜はいいフィールドワークが採取出来そうだ。
私は生唾ならぬ、Sンガリアのレモン缶を飲み干した。
(続く)
大倉さとし
国内底辺学者
国内底辺研究所 所長 主席研究員